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「最後に、聞いておきたいことはあるかね?」
 ハウエルなりの温情ということだろう。ルークにしてみれば、聞きたいことは幾らでもある。チェスターやハウエルは何故人身売買組織と対立を始めたのか。「三人目」が存在するという話もあるが、本当なのか。ハウエルは今回の事件にまつわることを、初期の段階でどの程度把握していたのか。
 だが結局ルークは、その中でも最も個人的なことを選び、問うた。
「何故チェスター様は、私などにハウエル様とお会いするよう指示を下さったのでしょうか」
 上司部下の関係であったとき、関係が良好であったわけではない。後にハウエルから真相を聞くことにはなるが、当時は厳しすぎる上司に鬱手前まで追い詰められていたと言った方が正しいだろう。
 素質の面を見ても、財務省の若手の中では確かに出世コースには乗っていたが、それにしたところで飛び抜けていたわけではない。希有の才能というものなど持ち合わせていないことは、ルーク自身がよく判っていた。加えて、仕事以外の特技があったわけでもない。普通に考えればとても後継者として目を付けられる人間ではないのだ。
 むしろ、ルークには組織に寝返る可能性の方が多くあったと言っていい。今回がそうであったように、脅迫を受けた可能性は充分にあったのだ。
 言えば、ハウエルは低く笑ったようだった。
「君が奴らに弱みを握られていたことに関しては、バーナードの賭けだ。脅迫するだけの、脅迫されるだけの材料がある人物を、敢えて味方に付けるなどとは思うまいとな。言ってみれば君は、財務省内でいつでも使える手駒としてリドリーに見られていたわけだよ。警戒に値しない、その他大勢のひとりとして」
「ですが、今回はその恐れていた通りになりました」
「君がほぼノーマークだったのは五年前までの話だ。だからこそ、前回一斉捕縛に踏み切るまで、君の存在を隠すことは最優先事項だった」
 過去形。つまりハウエルにとって、ルークは期待された役割を既に終えていたということだ。一度存在を示せば終わりの決定的な切り札。故に今回は、ルークには実は何の役割も期待されていなかった。
「勘違いするな」
 ハウエルが、ルークの思考を読み取ったかのように鋭い制止をかける。
「今回の事件の主役は、既に儂らではなかったということだ。儂も君も、五年前にやるべきことを終えた」
「……」
「いいか、強大な相手と戦っていくには、才能以上に理由が必要となる」
「理由、ですか?」
「多少のことがあっても諦めない、挫けない、強い思いが。憎悪にしろ執着にしろ、な。君は十二年前の11月14日、バーナードの手帳を切り取った紙を持って儂を訪ね、これまでのことを聞いた。同じ日にバーナードはリドリーの目を引くようにして自殺を図った。これで君に、楔が打ち込まれたのだ」
 静かに、ハウエルはルークを見つめる。
「強い後悔と、絶対に返すことの出来ない恩、それが君の原動力だ。そしてそれは五年前、君が堕ちるはめになった原点、ゼナス・スコットを引きずり落とし、組織を壊滅状態に追いやることで終わった」
「……はい」
「奇跡は二度は起きない。既に表に出てしまった儂らは、観客の方へ回らざるを得なかったのだ。知られれば追われる。知られれば警戒される。リドリーもそれをよく判っていた。だから奴は、表に出ないことに必死になっていたということだ。外国で活動するフェーリークスの連中は、そうしたリドリーをバックアップするつもりで『ニール・ベイツ』を派遣して、奴に煙たがられてたようだがね」
 リドリーは実質、この国の中のフェーリークスのトップであったにも関わらず、終始誰かを上に置いていた。かつてはスコットであり、今は王宮――強いて言えばミクソンであり、遙か昔を考えるなら、歴代のトップは国王とそうした関係にあったのだろう。
 時々現れる優秀な官吏に刈らせるのは草の上、根は残る。そうして五年前、オルブライトは見事同じ罠にはまり、それとなくそうした存在に気付きながらもハウエルもまた捕らえることが出来なかった。
 そうした意味で今回の出来事は、国の歴史の大きな分岐点となるだろう。英雄が悪を滅ぼしたのではない。様々な立ち位置にあった者達が、抗いながら手に入れた結果だ。
 リドリーという存在を消去したはずの過去と現在、それを結びつけたのがバーナード・チェスターという男の存在だったとすれば、リドリーの敵はハウエルでもオルブライトでもなく、最初から最後まで、ただひとりだったのだろう。
 自分を棄ててまでも後に思いを残し繋いでいった男の執念の勝利、――ルークはそう思った。五年前、自分はチェスターから与えられた役割を終えることが出来ていたのだ。そう思えばいくらか気も晴れるようだった。
「教えていただいて、ありがとうございます」
 深々と頭を下げ、ルークは本来下されるべき決定を聞くべく、自らその話題へと転換した。
「今回、私はそうした若者の奮闘の足を引っ張るばかりでした。如何様な刑も受ける所存です」
「どのような刑でも?」
「はい。私なりに抗った、というのは自己満足に過ぎません。私が自らを省みず、あの男を捕らえていれば、既に死んでいるとされているヴィクター・リドリーこそが首魁だと言うことが出来ていれば、――少なくとも、それを偶然知ってしまったというだけの理由で殺された者達を助けることができたはずです」
「まぁ、そうだろうな」
「ですから、どうぞ、私に下された刑を、処遇を、お教え下さい」
 あとは罪を償うことだけが、ルークに残された仕事だった。待つ者もいない。「契約書」は残っているが、それもルークが利用価値のない人間に成り下がればただのゴミとなる。
 否、もはや、ルーク自身が燃えた後の残滓なのだ。社会から消えていくことが相応しい。
 自分に何の期待もできないルークは、罰を欲していたと言っても過言ではないだろう。そうしてそれをハウエルに求めつつ、彼は首を斬られてもいいという思いでただ床を見つめていた。
 そんな彼に、ハウエルが低く重い言葉を落とす。
「……社会的な刑罰は、自分を赦してしまう者へは勿論必要なものだ。だが、自分を赦す事の出来ない者へはそれが慰めとなってしまう」
 びくり、とルークは曲げたままの背を震わせた。まさに、自分が逃げようとしていた方向へ、ハウエルは回り込んできたのである。
「君は脅迫に屈した。それに対する罰は必要だが、儂らは君を安易な方向へ逃がす気はない」
「……はい」
 そこまで判っているハウエルに下されるのは、どういった決定か。渇いた喉に唾を流し込み、ルークは覚悟を決めて顔を上げ、ハウエルを正面から見つめた。
 ――最後まで、楽に流される姿勢でいるわけにはいかない。
「ルーク・オルブライト」
「はい」
「これより五年、王都へ足を踏み入れることを禁ずる。それに伴い、財務長官の地位を剥奪」
「はい」


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