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「今後はサムエル地方へ赴き、領主補佐に就任すること」
「は、――え?」
「これがその辞令だ」
 告げられた内容への驚愕を無視するように、ハウエルは三つ折りにされた二枚の紙をルークに差し出した。つい反射的にそれを受け取り、信じられぬ思いを確かめるよう目を落とし、その瞬間にルークは息を止めた。
「これは……!」
「……ま、君だけの奮闘の結果ではないがね、バーナードからの褒美だ」
「しかし、しかしこれは!」
 何故か皺だらけの一枚目を見つめ、ルークは震える声を出す。
「これは、ですが、もしやあなたは初めからご存じで……!」
「それは誤解だな。はじめは君にもバーナードにも、スコットの関わる不正のことしか聞いていなかった。それに、今まで儂がこれを持っていたわけではない。加えて、持っていた者から直接聞いたわけでもない」
「では、何故……」
「自殺する前のスコットから聞いていたのだ。君の過去の罪も、国王のことも、組織から切られたと知ったスコットが、復讐のためにあの屋敷に組織にとって重要なものを隠したということも」
 ハウエルは苦笑し、長い息を吐く。
「もしやとは思っていたが、儂もそこで国の成り立ちを聞き、動揺した。そしてその当時の混乱しきった――まだ王宮側の力も強かった状況では公表するわけにはいかないと、自らの胸にしまっておくことにしたのだ」
「――」
「そういう意味では、ずっと今回の根本にあることを黙っていた儂にも、君と同じような罪はあるのだろう」
 だが、敢えてハウエルは黙っていた。答えだけを聞かせてその後を考えさせることに何の意味もないことを、苦悩した彼自身がよく判っていたからである。答えに至るまでの経過こそが、これからを決める上では一番大切なことなのだ。体験し、悩み、考え抜くことが、幾つもある未来を選び取る原動力になる。
 おそらくそれは、ルークがチェスターに選ばれた理由と同じなのだろう。
「本来であれば引退を機に君に伝え、そうして何代かを経て、いずれは王宮を解体できればと思っていたのだが」
「ご期待に添えず、申し訳ありません」
「まったくだ」
 ハウエルは笑う。
「その代わりに、君がスコットに与えて滅茶苦茶にしたサムエル地方に、全てをつぎこむことだ」
「――それですが、私は」
「聞かんよ。決まったことだ。君も、どんなことでも受け入れるといったはずだがな」
 既に言質はとられていたのだ。反論の余地もなく、ルークは複雑な表情で顎を引く。
「ですが、それでも私は――……」
 苦渋に満ちた呟きが、床にぽとりぽとりとこぼれ落ちる。
 確かに、ルーク自身には苦しい罰だろう。だがこれは、ルークのしでかしたことに比べれば甘すぎるほどのものなのだ。全ての功績を消した上に財産を没収の上国外追放、或いは無期の強制労働。国家への裏切りには死刑以外であればそれくらいがふさわしい。いくら国民に真実を全て公表できないとしても、それと与えられる刑は別のものだ。
 己の両手を見つめ、力なく項垂れるルークに、ハウエルは小さくため息を溢したようだった。
「――死んだ者達も、一階級降格くらいでは納得しないだろうというのは判るがね」
「では」
「だがまぁ、実のところ、これが今の皆の気持ちなのだよ」
 苦笑。そして同時にルークの目の先に幾つもの封筒が滑り込んだ。磨かれた木製の板目に、白い紙の束。
 丁度、表を上にして落ちた一束に目を向け、そこに記された文字を読み、そうしてルークは喉を鳴らした。
「これは……」
「嘆願書だ」
 今度こそ、息を詰める。
「アラン・ユーイングを初めとして、特捜隊全員が署名した、君の減刑を望む嘆願書だ。君が出来うる限りの抵抗をしたことも、特捜隊へ様々に便宜を図っていたことも、ここに記されている」
「ですが結局、私は彼らを敵にぶつけるために集めてしまったに過ぎません」
「それは彼らも判っているだろう。国民には隠されることも含めて、真実を知った上でこれを送ってきたのだ」
「……」
「この事件をずっと追い、君の行動や言動を見続けた者達が、君のしでかしたことの答えを聞いて、考え、導き出した結論だよ。これからを担う者達が、君にまだやることはあると言っているんだ」
 ルークは、震える手で膝を掴む。そうでもしないと、嗚咽が喉から零れ出そうだった。
「私は……っ」
 堪えるように、ルークは唇を噛んだ。
「私は、これまでも沢山の判断を間違いました。それでもまだ、人々を導けと仰るのですか」
「単なる運だけの無能者に財務長官の座を何年も預けるほど、儂らも国民は莫迦でもない。それなら、いいかね? 儂はこれから君を脅す」
 一拍間を置き、ハウエルは大きく息を吸い込んだ。
「今回の君の罪を全てを国民に暴露されたくなければ、サムエル地方で国民の奴隷となって働きなさい。レアルとの国境の賊を取り締まり、組織の手によって遺棄されることとなった村を再建し、街道を整備し、スラムを解体し治安を王都並に引き上げること」
 五年、否それ以上前から棚上げされている問題の羅列である。普通に働いているだけでは、そのひとつをクリアすることも難しいだろう。
 だが結果は、皆がその目で確かめる。手を抜くことも、諦めることも許されない。
「これは命令だ。拒否権は君にはない」
 ハウエルの声は、穏やかだ。ルークの負担を軽くしようとしてくれているのがよく判る。
 断ることなど、出来るわけがない。
「……その任、謹んで拝命いたします」
 断罪を願ったときとは別の思いを込めて深々と頭を下げ、ルークは辞令を頭上に掲げた。ハウエルは鷹揚に頷き、笑ったようだった。
 思いを噛みしめつつ顔を上げ、ルークは思い出したように嘆願書を見つめた。
「ハウエル様」
「なんだね?」
「あとひとつ、教えていただけますか?」
「うん?」
 興味深げにハウエルは視線を寄越す。敢えて聞くからには面白い内容だろうな、と言いたげな悪戯っぽさが潜んでいるのは気のせいか。


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