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 それに引きずられる形でクリスティンもクリストファーの肉体から追い出され、その過程で今度はゲッシュというエネルギーの塊と結びついてしまった。否、結果を見れば、ゲッシュがそうなることを望み、トロイがそれに応えてステラという肉体の元へ導いたのだろう。
 ゲッシュという人物が、初めからそれを目論んでいたとは思えない。クリスティンが「漂う存在」になるかの瀬戸際での、賭けのようなものであった可能性の方が高いと見るべきだ。だが、事は成った。
 今のステラはクリスティン。クリスティンはゲッシュのエネルギーを使って動いている。
 ――目の前に居る存在を、何と呼べばいいのだろうか。
 正直に言えば、レスターはそのややこしい魂の循環や成り立ちについてはどうでもいいと思っている。迷うのは、彼女とどう接するべきか、だ。
(前のステラよりずっと好ましいことには違いないんだが……)
 レスターには珍しく、素直な好感を抱いていたクリストファーそのものと言っても差し支えない人物だ。どこか奇天烈な行動も言動も、面白味があっていいと思っている。「家族」が欲しかったレスターにとっては、家に帰ることが普通になるほどに楽しみが増えていると言っても過言ではない。
 だが、どこかで困惑している。形だけであったにしろ、妻であったステラではない。社会的には妻でも、実際の存在はそうではないのだ。と言って、友人というにもおかしなものがある。
 奇妙な同居人。それが一番近い関係なのだろう。
「……どうかしたのか?」
 急に黙り込んだレスターに、首を傾げながらステラが問うた。
「――私のことなら、レスターのいいようにしてくれればいい。厄介なら、他の街へ行くのだって構わない。さすがに、住み込みで働けるような先の斡旋くらいはお願いすることになるが」
「いや、何度も言ってるが、それは気にしなくていい。そうじゃないんだ。ただやはり、こうして正面から向き合っていると奇妙な感じがして、な」
「あー、……うん。私もそれはちょっと思う。なんて言うのかな。仕事上でしか顔を合わせない友達と、いろいろ過程をすっ飛ばしていきなり養子縁組しました、みたいな感じ」
 養子縁組。なるほどな、とレスターは苦笑を持って同意した。
「それよりさ」
「ん?」
「私たちの関係は、これから嵌り込むところに嵌るまでどうしようもないとして、体調のことなんだけど」
 それは問題なしで終わった話ではないのか、と疑問を顔に出しながら見つめたレスターに、ステラは微妙な笑みを浮かべたようだった。
「うん、問題ない。それでさ、そろそろ街に出ようと思うんだけど、どうかな?」
「何をしに?」
「要らないものを売りに行きたいんだ」
「そんなこと、ユーリアンに任せればいいだろう?」
「うーん、なんていうかさ、ステラって趣味は悪いけど結構値の張るものを持ってるんだよ」
「?」
「だからさ、それを売って新しく自分のを買いたいわけで」
 ようするに、売り買いを楽しみたいということだ。より高く売り、より安く良い物を仕入れる、そうした遣り取りに対しての情熱が残っているらしい。口にしては倹約精神を前に出しては来るが、今あるものを売らずとも必要であれば買ってくる、と言うレスターの主張を退ける理由がそこにあることは明白だった。
 目覚めてひと月。考えれば、そろそろ家の周りにいるだけではストレスの溜まる頃合いかも知れない。
 思い、レスターは顎を指で掻いた。
「まぁ、いいだろう」
「え、ホント!?」
「但し、私も行くことが条件だ」
 付け加えた一言に、ステラは眉尻を下げる。さすがにムッとしてレスターが目を眇めれば、彼女は慌てて両手を横に振った。
「違うって。レスターと出かけるのが嫌なんじゃないってば」
「では、何だ、さっきの顔は」
「だって、『ステラ』の戸籍の手続きから何から何まで、レスターに迷惑かけっ放しじゃないか。さすがにもう体も安定したんだし、そろそろ依存してばっかの状況は嫌なんだ」
「……依存、ねぇ」
 レスターにしてみれば、以前のステラの方が遙かに手のかかる存在だったと言える。今は正直、痛くもない金銭面での援助以外、頼られているという感覚すらない状態だ。今日のように突拍子もないことで唖然とさせられることはあるが、別段それで苦痛を覚えることはない。むしろ次は何をするのか面白がっているくらいだ。
 だが、そう言ったところで納得してもらえることではないだろう。
 少し考え、レスターはある意味尤もな言いぶんを口にした。
「君は依存と言うがな。殆ど引きこもりに近かったステラが突然活動的になる方が、世間の目には奇異に映るぞ」
「う……」
「確かにウィスラー家の話題は皆が喋り尽くして関心も失せている。君が記憶を無くしてどうやら変わったというのもそれなりに広まった後だ。だが、くだらない好奇心が、ひとりでうろつく君に向けられないほどどうでもよくなったわけじゃない」
「う、うん」
「だからまず、私と一緒に出かける。如何にも失った記憶を取り戻すようにリハビリしている様子で、だ。ごく普通に、前向きに平凡に取り組んでいる様子を周りに見せれば、それで土台が出来る」
「話題になるほどのことはなく、普通の夫婦として平凡に暮らしてますよっていう?」
「まぁ、そういうことだ」
 実際には、そう単純にはいかないだろう。だが軽い物好きには、一度現状という名の情報を提供するだけで、大半が納得をする。そしてそこに話題性がないと判れば、興味が廃れるのも早いというものだ。あとはステラが、適当に周りに埋没する程度に大人しく行動していれば問題はない。
 口を尖らせていたステラだが、情報や噂の恐ろしさも有用性も充分に熟知しているためだろう。面白くなさそうにため息を一度吐いた後、彼女は渋々といった様子で首肯してみせた。
「レスターと出かけると、余計に目立ちそうなんだけどなぁ」
「それぞれひとりずつでも変わりはしない。君も慣れた方が……いや、か弱い外見である以上、私よりも気をつけるべきだ」
「それなんだけどさ」
 先ほどの「それよりさ」と同じような口調にレスターは心持ち身構える。こういう、なにか思いついたときの声音の後に続く言葉は、大概ろくなものがない。そう、ひと月の共同生活で彼は嫌と言うほど思い知らされていた。
 故に、胡乱気に問いかける。
「……なんだ?」
「買い物に行ったとき、武器屋に寄ってもいいよな?」
 何をする気だ、などとは聞くまでもないだろう。
 額を押さえ俯いたレスターの背後で、ユーリアンが忍び笑いを堪えていた。


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