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 いっそのこと大雪にでもなればいい、――などと思った日に限って、見事なまでの青空が広がるというのは何の皮肉か。
(俺の運が悪いのか、クリスの運が良すぎるのか)
 12月も丁度半ば、建物の隙間を鋭く駆け抜ける風は身を竦ませるほどに冷たいが、日向にはほんのりとした温もりがある。そうした快晴の日に、レスターとステラは賑やかしい商業区に足を伸ばしていた。
 通常の買い物であれば、大通りに出ている店での売り買いで事足りる。だが今回は、ステラが「発掘」した古い家具の修理依頼などの交渉を行うため、直接工房へと出向く必要があった。これを機にと、ユーリアンが家屋の修繕を提案してきたこともある。
 若干面倒だと思ったレスターだが、長い間家主が殆ど家に寄りつかなかったために放置されていた、と言われれば、拒否の言葉もない。
 そんな後ろめたさを肚に抱えた彼とは真逆に、久々の遠出に若干興奮気味のステラは、一日を目一杯楽しむ気でいるのだろう。朝早くに家を出てから半日、午前いっぱいを不要な家具の売り交渉に費やした彼女は、僅かな疲労を滲ませながらも非常に満足な様子であった。
 軽い昼食を終え、武器屋に向かう足取りも、異様なほどに軽い。スキップを踏むような歩き方のステラを前に、レスターは肩を竦めながら声をかけた。
「あまり無理はするな」
 そんなに外出が嬉しいなら、もっと早く連れ出してやれば良かった。そう思わぬでもないが、もともと「クリス」には本人がそうと気付かぬままに無茶をするきらいがある。締めるところは締めていかなくてはならない。
「もう少し、ゆっくり歩いた方がいい」
「平気平気。レスターは意外に心配性だな」
「興奮しているだけで、疲れに気付いてない可能性を指摘しているんだ」
「大丈夫だってば」
「倒れた挙げ句、私に抱えられて皆の注目を浴びたくなければ、少しは落ち着くべきだと思うが?」
「……はぁい」
 それは勘弁とばかりに顔を引き攣らせ、ステラは踏み出しかけた足を引き戻す。その反応を素直でよろしいと思うのか、そこまで嫌なのかと思うべきなのか、レスターにしてみれば些か複雑な心境だ。
 ”クリス”であった時にも彼は同様の言葉遊びを楽しむところがあった。その時はむろん完全にからかっていただけであり、嫌な顔をされることも面白がる要素のひとつでしかなかったが、今はどうにも互いの位置関係が不安定であるためか、しかけたはずのレスターの方がもやっとした感覚を覚えることもある。
 そんな彼とは対照的に、ステラの方は自由な調子だ。転機からひと月を経て、あれこれ取り繕ったところでどうしようもないと悟ったのかも知れない。
(そういうふうに割り切れるから、今があるのかもしれないが……)
 羨ましいというよりも、レスターは自分にこんなにもしつこい部分があったことに驚いている。
 そんな答えに形のない考えを振り切るように頭振れば、前を行くステラが丁度振り向いたところだった。
「なぁ、レスター。武器を買うなら何が良いと思う?」
「? 剣を買う気で来たんじゃないのか?」
「それなんだけど。どうも体が小さくなってさ、調子が掴めないんだよなぁ」
 クリストファーはもとより、クリスティン・レイも女性ながら体格に優れていたという話はレスターも聞いている。ステラは女性にしてもやや小柄であり、加えて華奢という言葉が擬人化したように細い。今のステラはもとあった気怠げな様子が払拭され、見た目の印象の上では快活にも見えるが、急速に頑丈になったわけではないのだ。
 確かに、”クリス”と同じように剣を振るうのは、少なくともこの先しばらくは難しい話だろう。
「剣と言ってもいろいろあるだろう? 軽いものを探したらいいんじゃないのか?」
「重い軽いの問題じゃないんだ。間合いとか目線とか、そういうのがリセットされちゃって、これはもう、以前の感覚云々に拘るより、新しい戦い方を見つけた方が早いかなとか思ってさ」
「……別に、戦わずに暮らせばいいという見方もあるが」
「自分の身は自分で守りたいでしょ。そりゃ、兄様みたいに力業で圧倒する事なんて無理なのは判ってるけど、この顔じゃ、何やっても舐められるから、脅す手段くらいは作っておきたいんだ」
 答えに、レスターは知らず額を押さえた。もはや、ステラがどこへ向かいたいのかが判らない。
(家の中で大人しくしてろってのは……頭にないんだろうな)
 クリストファーの妻であるエマという、如何にもたおやかな女性の存在を間近に持ちながら、どうして勇ましい方向へと傾いていくのか。かつて関係を持ったどの女性とも違う思考の方向性に、レスターは今更ながらに、女とは謎の生物であるという認識を深くした。
「どうした、レスター? 頭でも痛いのか?」
「……なんでもない」
 苦笑を浮かべながら、レスターは肩を竦めた。
「それより、悩んでいるならそこの店にでもとりあえず入ってみたらどうだ?」
 指し示すのは、小さな工房の品をまとめて販売している雑多な印象の店である。武器の販売に特化しているわけではないが、逆に言えば思いも寄らぬ変わったものを発見できることもあるだろう。
 気分転換も兼ねて促せば、ステラは素直に頷いて店の扉を開けた。


 そうした店を渡りあること四件目。
 扉を開けた先、店の奥に居た先客の横顔を見てレスターは何度か瞬くこととなった。
「ヒルトン?」
「――奇遇ですね」
 振り向く時間だけの間を開けて、僅かに眉を上げたヴェラ・ヒルトンが、レスターの顔を認めて小さく会釈する。いつも通りの熱のない反応だが、別段レスターが嫌われているわけではない。彼女は、頼ってこない人物には関心がないのだろうとレスターは分析している。
(頼る、か)
 会釈を返しながら、レスターは傍らのステラに視線を落とす。
 端から見てヴェラは”クリス”に対しては、母親か教師のようないっそ庇護するような様子で関わっていた。その時にはいっそ親しげにさえ見えたふたりだったが、現在、クリストファーとヴェラの間にさしたる交流はない。
(”クリス”のもっていた不安定さに無自覚に気付いてたのかも知れないが)
 ”クリス”がクリストファーになり、特捜隊の面子の関係も、微妙に変化しているように思う。それが良いことなのか悪いことなのかは判らないが、強いて言えば正しい形に戻ったということなのだろう。
 では、今の”ステラ”に対してはどうか。
 そんな思いを読み取ったかのように、ヴェラはつい、と視線をステラへと向けた。
「はじめまして。ヴェラ・ヒルトンと言います。お見知りおきを」
「……ステラ・エルウッドです。ご丁寧にどうも」


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