[]  [目次]  [



 一瞬、ステラは体を強ばらせたようだった。だがすぐにその動揺を唾と共に飲み下し、笑みを浮かべて丁寧に礼を返す。
 内心、この予想外の遭遇をどう思っているのか。外に出ることになれば、いずれはかつて知己だった誰かと顔を合わす。それは避けられないことだが、今日この日はさすがに早すぎる。
 思い、レスターはヴェラの意識を自身へと向けるように口を開いた。
「今日はヒルトンも休みなのか?」
「いえ。遠方にいる捜査官の代わりに、研ぎに出しておいたものの回収に来たところです」
「なるほど。この店はそうした対応もしてくれるのか」
「知らずに入ったのですか?」
 怪訝な様子で眉根を寄せるヴェラに、相変わらずだなとレスターは苦笑した。
 大通りやその周辺の、所謂日常的な買い物をする店の立ち並ぶ場所であればともかく、商業区は確固たる目的を持って某かに拘った品を購入、或いは手配しに来るような場所だ。むろん、そうした店とは関係のない飲食店なども存在するが、当てもなく店を探す者の方が少ないのは事実である。
 特にレスターのように軍部に席を置く者が、刃物を扱う店に事前の情報収集無く適当に選び入る、――といった状況は意外を通り越して呆れに属する方に捉えられても致し方ないと言えよう。
「勘違いしないでくれ」
 慌てたように身じろぎをしたステラを制し、レスターは肩を竦めてヴェラを見遣る。
「私自身の剣は、軍部と契約している場所で整備している。勿論店も知っている。だが今日は完全な私用なんだ。私用に、軍の関連する場所を使うわけにはいかない」
「仕事で使わない武器、……ですか?」
「いや、私のではないんだ。彼女の護身用にと思ってね」
 その答えが意外であったことは確かだろう。だが数度瞬いたヴェラは、すぐに理由に思い至ったように生真面目に頷いた。
「どこぞから、何か接触でも?」
「いや、それは考えすぎだ」
「では何故?」
 ヴェラは、既に縁を切ったはずのウィスラー一族、及びその関係者から、某かの干渉があったのではないかと推測したのだろう。むろん、それについてはレスターも警戒していることだが、今のところそうした動きはない。
(まぁ、俺の所には援助を求める輩も来ているが)
 レスター自身はどうとでも対処できることであり、気分を害する以上の実害は伴っていないため、殆どは無視という形で関わりを断っている。そうしたことを今ここでヴェラに言う必要性もなく、故にレスターはヴェラの誤解を解くべく、ステラの肩を軽く叩いて注目を促した。
「私は任務で家を空けることもあるからな。滅多なことはないと思うが、いざというときの手段は考えておくべきだろう?」
「しかし、目立った行動やいらぬ誤解を招く真似は控えていただきたいものです」
 素直な賛同が得られるとは思っていなかったレスターも、その、ヴェラの思わぬ強い口調には眉を顰めた。声音には、好ましからぬ拒絶の色が強い。
「それは、君の意見か?」
「いえ」
「……法務省は、そこまで目を光らせているのか?」
「彼女自身の能力については危機感はいだいておりません。しかし、使い道がある、というのが問題です」
「だから何もするなと?」
「失礼ですが、それをおいても、にわか武芸では何にも成らないかと。付け焼き刃では自身を傷つけることもあり得ます。あなたが考える対策としては貧相では?」
「悪いが、彼女自身の希望でね」
 その言葉に、ヴェラの視線が再びステラを射貫く。黙っていたステラはむろんのこと、咎めるような雰囲気に萎縮していたわけではない。
 その証拠に、口を挟む機会を選んでいたと判る速さで、彼女は怯えも躊躇いもなくヴェラを見返した。
「付け焼き刃でも、続ければそうとは言えなくなるのでは?」
 はきとした口調、むしろそこにヴェラは意外性を覚えたようだった。一瞬目を見開き、全く知らぬ者を見るように警戒の色を宿す。
「それはあなたが考えたことですか?」
「ええ。私も立場は判っています。レスター以外に実質頼る人がいないとなれば、危機感だって覚えるでしょう? 勿論初めから積極的に有事に抵抗しようとは思っていません。ただ、逃げるにしても何にしても、相手の動きを封じる手段があるとないとでは違いますから」
「それは結構な判断ですが、一足飛びに武器に頼るという考えは安易で危険です」
「頼るつもりはありません。好ましくない輩が近付いたときの牽制になると言っているのです」
 尤もらしい理由を述べているが、店に入るまでそうしたことを考えていたわけではないだろう。ヴェラとレスターの会話を聞いた上で状況を把握し、咄嗟に取り繕った内容だ。ある程度ステラの立場については理解しているとは言え、以前のように軍部や法務省に出入りして情報を得ているわけではない。ヴェラと舌戦を繰り広げるのは、些か荷が重いだろう。
(中身がクリスで、味方面した元関係者に取り入られることも、武器の使い方を誤ることもない、――と言えれば早いんだがな)
 できもしないことを考えつつ、レスターは平行線を辿るふたりの会話の間に割って入った。
「ヴェラ、少し良いか?」
 促し、ステラから離れ、反対にレスターに近付いたヴェラに小さく耳打ちをする。
「彼女は記憶を無くしてるんだ。聞いているだろう」
「……報告には受けましたが、本当のことだったのですね?」
「嘘をついてどうする。……だがまぁ、見ての通りだ。あれこれと脚色もしていない事実を教え込んだら、ああいう感じに真面目に考えるようになった。以前の噂からは想像つかないかも知れないが、彼女自身戸惑っているんだ。比較は控えて欲しい」
「正直、信じがたいことですが」
「それでも、事実だ。記憶を無くす前と後では人が変わったように違う。ここひと月ほど見ていてもわざとらしさはない。何かを企んでいる様子も演技している様子もない。だから、まともな家庭環境で育ったのならあれくらいに素直だったのかもしれないと私は思っている。君も、信じろとは言わないが、彼女自身については怪しまないでやってくれるか?」
 言葉に、勿論嘘は混じっている。”クリス”という下地がなければレスターも存分に怪しみ、疑い、けして変化を正しく認めようとはしなかっただろう。そんな自覚を胸の奥に封じ、レスターはヴェラを説得する。
「何かあれば私が責任を持つ。だから、ここは曲げて、以前の彼女のことは忘れて接して欲しい」
 ”クリス”とヴェラの間の交誼はもはや成り立たないとしても、新しく、いちからの関係を築いて欲しい。そう頼み、しばし探るように見つめ合う。やがてヴェラは、短くため息を吐いたようだった。
 そうして、ふ、と彼女には珍しい笑みを零す。
「あなたも変わりましたしね」
「は?」


[]  [目次]  [