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「いいでしょう。あなたの浮気癖も形を潜めていますし、随分親身になっている様子ですから。今日の所は釘を刺しますが、今後は彼女がウィスラーと関わりがあるということを忘れて接してみます」
「それはありがたいが……、浮気の方は、と言うか、あれはだな」
「判っています。個人をターゲットにした潜入捜査、或いは枕営業、でしょう?」
 衣着せぬ物言いに、さすがにレスターも天を仰ぐ。表情を見る限りヴェラなりの冗談であるとは判るが、面と向かって指摘されると表情に困る。
 そんなレスターを置き、元の位置に戻ったヴェラは、厳しめの表情を若干緩め、ステラを見下ろした。
「正直なところ私は、あなたは罰を逃れたウィスラー一門として、二度と表舞台に出ることなくひっそりと生きることを望んでいます。ひとりで社会に出ることは勿論、武芸を習うなど反抗的とも取られるような目立つことは好ましくありません」
「……はい」
「ですが、あなた自身の身に危険が及ばないとも言い切れないのは事実です。護身術を習うことについては、責任を取るという夫君に免じて見逃しましょう」
 どうにも硬い物言いだが、声や表情に妥協が感じられる。思えば、”クリス”とヴェラの初対面も穏やかとは言い難いものだった。
 和解、もしくは再び以前のように話し合えるようになるには、年月と機会の両方が必要なのだろう。思い、レスターは僅かに表情の硬いステラの背を小突く。
「大丈夫だ。私は君を信じている」
 驚きに目を見開いたのはヴェラで、ステラはただ、静かな目でレスターを見上げて頷いた。
「それで? 法務省内でステラについて、好ましくないと取られる行動は他にはあるのか?」
「別段、厳密に定められているわけではありません。強いて言うなら、手紙のやりとりや頻繁な外出などに注意を払っているというところでしょうか」
「ほとぼりが冷めるのは?」
「少なくとも一年はそれとなく監視が入るかと。彼女にその気がなくとも、刑を終えたウィスラー一門や関係者が逆恨み、或いは暴力的な脅迫の為に近付いてこないとは言い切れません」
「長いな」
「仕方ありません。服毒自殺の件やあなたという存在がなければ、本来は国外追放、もしくは被害者という形で遠方での保護となったはずなのですから」
 他のウィスラー一族の女性がどうなったかについては、嫁ぎ先がどこまでウィスラーや王宮、ひいてはフェーリークスに関与していたかにより、処遇が異なっている。現状維持で済んだのはステラのみで、他は二度と政治には関われないような場所へ追いやられたという話だ。それをどう捉えるか。人によっては幽閉、または隔離。実家に振り回された不遇な女性については、静養ということになるだろう。
(”クリス”にとっては遠い場所に行った方が気は楽だったかも知れないが)
 それでも、ウィスラー一族としての自覚のない彼女の前には、別の困難が立ちはだかることになったに違いない。今のこの立場が最善だったとは思わないが、少なくとも手助けをしてより良くはしていける、とレスターは思う。
「忠告、胸に刻んでおく」
「ええ。ですが、振る舞いによっても周りの目は変わります。――ステラさん」
「はい」
「今のあなたの目、話し方、態度、どれも悪い印象ではありません。これからも周りに振り回されることなく、確固とした意思を持ち、しっかりと人生を歩んでください」
「は、はい」
「私に言えるのはこれくらいです。――それでは、また機会があればお会いしましょう」
 単なる感想か励ましか、いまひとつ捉えにくい口調で言い切ったヴェラは、次いでレスターに別れの挨拶を告げ、躊躇いなく背を向けた。そのままふたりが声をかけ直す間もなく、油の切れた扉が音を立てて閉まる。
 その切り替えの素早さ、素っ気なさに目で見送ることしか出来なかったふたりは、数秒の間を置いてようやくのように顔を見合わせた。そして、僅かに早くレスターが口を開く。
「……大丈夫か?」
「うん。大丈夫」
 苦笑し、ステラは緩く頭振る。
「ちょっと、思ったよりもステラの立場は厳しかったんだなって、吃驚しただけ」
「すまない。私も、そこまで法務省が警戒しているとは思わなかった。私に、監視義務があるとは言われていたが、てっきり一任されていると思っていたんだ」
「まぁ結果的に、噂だのなんだのを気にして、今日はレスターが一緒に来てくれて良かったってことか」
「そうだな」
 頷きはしたが、レスターの胸中は複雑だ。”ステラ”の立場を思えば仕方のないことながら、強いて言えば法務省の措置に対して若干の不快感がある。
(俺への信用はなくても構わないが――……)
 そんな彼の思いには気付かぬように、ステラは小さく肩を竦めた。
「相変わらずだったね、ヴェラは」
「ああ」
「だけど、『はじめまして』はやっぱり寂しいな」
「……ああ」
 話題の転換。そこに「監視されている」以上のステラの苦い心境がある。寂しげな響きに耳朶を打たれたレスターは、己が勝手に感じた不快感を恥じるように、内心で大きく舌打ちをした。
「また喋ってくれると嬉しいんだけど」
「会う機会さえあれば、なんとでもなるだろう」
「そうかな?」
「そうだ。今のクリストファーとは、あまり懇意にしている様子はない。彼女にとっては”クリス”のちょっと抜けたところが良かったんだろう」
「抜けたって……」
「良く言えば、人が安心するような適度な隙のある、ということだ」
「悪く言えば、危なっかしくて見てられないってことだろ!?」
 そうとも言う。肯定の言葉をからかいと共に飲み込んだレスターは、胡乱気に眇められた目から逃げるように、店の奥へと視線を転じた。
「それはそうと、どうする? 法務省も利用する店なら信用できるが、店主でも呼ぶか?」
 本来の目的を会話に投じれば、ステラは眉根を寄せた。
「どうした?」
「いや、派手なことはしない方がいいんでしょ?」
「それはそうだが、あまり気にしすぎるのも息が詰まるだろう?」
「ヴェラの口ぶりじゃ、態度次第では監視やら何やらも弛む感じだったよね? 一年くらいは我慢できるよ?」
「我慢、ね」
 今のステラであれば、法務省の目を油断させるくらいに品行方正に、慎ましく生活する程度の自制はできるとも判る。だが、そうして気を遣えば気を遣うほど、抑制が増えていくこともまた確かだ。果たして、そんな生き方を導き人たちは願っただろうか。
 レスターにとって、”クリス”のイメージは「自由」だ。ただひっそりと、己を殺し慎ましく生きる姿が見たいわけではない。そんな人物を好ましく思ったわけではない。


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