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「それはまさか、十二年、いや、十三年前の」
「さてね。ま、昔の話さ」
「ミクソン様」
「言ったろ。ご褒美は一欠片だけ。ま、後はせいぜい悶々と考えることさ」
 笑みを浮かべたまま、ミクソンは何事もなかったようにレスターの横を通り過ぎる。ふたりの位置が入れ替わったのは、丁度語尾が空気に溶けた直後のことだった。
 振り返ったレスターの目に、片手を振るミクソンの姿が映る。引き留めたところで聞き入れられるはずがないとひとめで判る背中に、レスターは一度開きかけた口をすぐに引き結ぶこととなった。
(――ふざけてやがる)
 悔しいことにレスターは、反撃となる言葉も情報も持ち合わせていない。
 ミクソンが告げた内容には、大きく分けてふたつ、深読みすれば更に幾つかの意味がある。ひとつには、彼はレスターの行動を逐一把握していたということ。暗に、掌の上で転がされていただけだよ、と刃向かうのは非生産的だということを告げているのだ。
 ふたつ目、これは真の意味での「ご褒美」というべきか。ミクソンは自ら、五年以上前からバーナード・チェスターや組織に関わる存在だったと情報を提示したのだ。どちら側の人間だったのか、非常に微妙な言い方であるのが如何にも彼らしい。
 仲間として得た情報を伝言した結果、「第二幕」が開けたのか。
 「先導者」に絶望を与え、止めを刺すために敢えて伝言したのか。
(調べてみるか?)
 おそらく、はっきりした結論は出ないに違いない。だがこれまで得た情報の中にミクソンのことが殆ど含まれていないことを考えれば、某か落としどころを見つけられる可能性もある。
 事件自体は既に決着のついたことであり、調べたところで自己満足以外に得るものはない。それでも、バーナード・チェスターの自殺のくだりは、もっとも謎の多かった部分だ。「クリス」からオルブライトの関わった部分については聞いて納得していたが、そこばかりはあまりにも不透明だった。
 好奇心と非生産的であるという認識の間での葛藤。
 やがて、レスターは頭振る。またしても掌の上で転がされていると理解しながら、なかなかどうして転がり続ける方が魅力的なのだ。
 腰に手を当て、レスターはため息をつく。
 そうして、次に顔を上げたときには、選ぶ道は既に決めていた。

 *

 カチ、とソーサを僅かに鳴らしたステラが、困ったようにレスターを見上げて首を傾げた。
「なんだ?」
「何って言うか、それはこっちの科白っていうか」
 眉間に軽く皺を寄せて躊躇いつつ、ステラは言葉を続ける。
「最近、帰るのが遅いみたいだけど、忙しいのか? ちゃんと休めてるか?」
「なんだ、そのことか。心配は要らない。体調管理は問題ない」
「そうかなぁ。お前は前科があるからなぁ」
「前科?」
「ひとりで無茶をして、怪我して熱出して倒れたのは誰だよ」
「……勝負には決め時があるというだけだ」
 些か苦し紛れに答え、レスターはステラから目を逸らす。
 忙しいのは勿論、ミクソンの身辺を仕事の合間を縫って調べているからだ。それを敢えてステラに隠し、仕事のふりをしてやりすごしているのは、レスターの方に迷いがあるためだろう。ステラを”クリス”と完全に同一視して接して良いのか、その距離が未だにレスターに掴みきれないことが、黙っている理由だ。
 話せばおそらく、ステラは謎に興味を持ち身を乗り出してくるだろう。だが、どれほど興味を持とうと、彼女は”クリス”のように自らが動き回って調査に乗り出すということはできない。気になるがどうにもならない、そんなジレンマを与えることがはっきりと判っている以上、レスターに出来ることは、全て謎を解決してから、彼女の知らない情報を教えることだけだった。
 幸い、軍部の仕事は状況によりかなりの変動がある。フェーリークスの件から年を越え、治安に関しては落ち着いているとは言え、通年生の犯罪者は幾らでも湧いてくるのだ。突然帰りが遅くなろうと、それがぱったり途切れようと、軍部の内情をある程度把握しているステラがいぶかしむことはない。
 少しばかり温くなった紅茶を口に含み、レスターはふ、とため息にも似た息を吐き出した。
「当分は忙しいかも知れないが、やることが多いだけで危険な仕事じゃないから心配は要らない」
「ならいいけど。私は暇だからな、手伝えることがあれば何でも言ってくれ」
「……逆に聞くが、あまり目立つことはできないが、暇つぶしにしたいことはないのか?」
「問題ない範囲を考えて言うなら、ないな。強いて言うなら、お前に暇が出来たら、剣の稽古を付けて欲しいってところかな」
 これには苦笑し、レスターは明確な返答を避けてただ頷いた。付き合うことが嫌というわけではない。ただ彼自身慣れない武器の扱いを学んでいる最中であり、そうした意味で、人にものを教えられるレベルではないと自分に及第点を与えられずにいるからだ。
 これをミクソンに言わせてみれば「やさぐれているようでくそ真面目」な面倒臭い性分であり、知己であるダグラス・ラザフォートに言わせてみれば、「見栄っ張りの極致」ということになる。
 その諜報部の青年に連絡を取ったのは五日ほど前。そろそろ接触があるはずだとして職場に向かったレスターは、期待を裏切らないタイミングで現れた彼の、その後ろにいる人物に目を止めて何度か瞬くこととなった。
「ユーイング?」
「なに、人を幽霊を見るような目で見てんのさ」
「いや、君はサムエル地方にいるはずでは?」
「別に、引きこもってるわけじゃないさ。仕事なんだから、王都に用事があるときだってある」
 相変わらず、面白くもなさそうな表情で憎まれ口を叩く男だが、とりあえず元気ではあるようだ。元財務長官と共に任地を変えて以降、素っ気ないほど見事に音信不通となったアランのことを、深く気にしていたと言えば嘘になる。だが、奮闘しているだろうと想像することと、実際に変わりなくやっている姿を見るのとでは似て非なるものだ。
 出掛けに、レスターの多忙ぶりを心配していたステラも、口には出さないが、かつての特捜隊の面子のことには強い反応を示す。これは帰って報せてやらねばならないと口元を綻ばせれば、それを余裕の態度と受け取ったか、アランは口元を更に歪めたようだった。
「なに?」
「なんでもない。久しぶりだなと思っただけだ」
「数ヶ月なんて、懐かしがるほどでもないだろ」
 アランは、子供っぽい態度をも広く受け止める、所謂懐の深いおおらかな大人の男に懐く傾向があり、反対に肚の底に何かを隠しているようなダグラスやレスターのような男にはあからさまな壁を作る。敵愾心というよりは、尖った警戒心といったところか。
 いずれにしても、慣れてしまえばなんら害はない。とげとげしい態度を気にすることもなくレスターは彼を引き連れてきたダグラスに向き直り、事の次第を端的に問うた。


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