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「クリス、君、本当に何が言いたいんだ?」
 ぎこちなく礼を言うステラの横で、レスターは眉根を寄せる。まさか、評価を告げにきたとは思わないが、今のクリストファーは”クリス”に比べて非常に考えが読みづらい。根本的には似ているようだが、驚くほどに口べたなのだ。加えて、思ったことをそのまま口にするのか、間に挟まれた思考のぶんだけ判りにくい話になってしまっている。
 そうしたレスターの思いを感じ取ったか、或いは本人もそうしたことを自覚しているのか、クリストファーは今度は慎重に言葉を選んだ様子で口を開いた。
「いろいろあったが、丸く収まって良かったと思っただけだ」
「そうかどうかは判らないが、少なくとももう君を困らせることはないよ」
「そのようだ」
 あるかなしかの笑みを浮かべ、クリストファーはステラを見遣った。
「さきほどの茶も旨かった。……それではな」
「あ、……はい。ありがとうございます」
 客室の方へと体の向きを変えたクリストファーに、ステラは軽く礼を取る。
 ふ、と息を吐いたのは、扉が閉まった後のことだ。
「……吃驚した」
「クリストファーは君を嫌悪していると思っていたが、そんなに酷い状態の時に会ったのか?」
「ああ、うん。狂気一歩手前くらいな。すごくヒステリックで、置かれている状況のことも、レスターのことも、何もかもが呪わしいって感じだった」
 それがレスター不在の時であるなら、そういうこともあっただろう、とレスターは思う。
 行方不明とされていた時期、ウィスラーはリドリーが彼を殺したためだと勘違いしていに違いない。その状況で、次の「売り先」を探しに娘を連れ回していたということは方々から聞いている。
 ステラ・ウィスラーがパトリシア・ウィスラーのように、心底被害者というような心境で、操り人形さながら日々過ごしていた、とは思わない。多々、嵌められていく人々を見下し、斜にものを眺めながら嘲笑していたことは事実だ。だが、それが心底楽しいと思えるほど、彼女にも自由が与えられていたわけではなかった。
 徹底的に自分を嫌う者を夫とし、意思に反して離婚もできない状況。エルウッド家の人質のような立場にあることが存在価値で、それ以外は彼女にはなにもなかった。
「”クリス”なら、長い年月の間に、少しは歩み寄れていたのかも知れないがな」
「?」
「私はステラ・ウィスラーに騙されてやれるほど親切でも単純でもなかったし、彼女の置かれている状況を判っていても、彼女の心境を考えようともしなかったということだ」
 それが、悪かったとは思わない。レスターは聖人君子でもなんでもないのだ。
 ただ、
「……今でも、”ステラ”のことを憎んでいるのか?」
「いや」
 不思議と今になって、彼女も苦しかったのだろうと思うときがある。
「彼女は自殺という形で決着を付けた。もう彼女はいない」
「……」
「居なくなった者を憎むには、終わったことの実感の方が強すぎるな」
 父の死と兄の死、舐め尽くした辛酸を、生涯忘れることはないだろう。だが、レスターの中にも、決着を付けたという気持ちが大きくある。
 ――では、今のステラは何者なのか。
 故に、そうした漠然とした思いは胸に積もることはなく、レスターはこの時、隣で迷子のような表情をする女の顔に気付くことはなかった。

 *

 クリストファー・レイの行動は迅速だった。短い旅をするに都合のいい好天が続いたことも幸いしたのだろう。
 依頼から一週間と経たぬうちに王都から東へ、東から王都へと往復した彼は、軍部の知人を使ってレスターを呼び出し、知り得た結果を報告した。
「件の男が活動する場所は判った。だが、家にはいなかった」
「そうか……」
 近くにいたのであれば、クリストファーも面会を申し込むくらいはしただろう。彼が弟子本人に会わずに戻ってきたということはつまり、本拠地を離れて仕事に出ている最中だったということだ。
「いつまで留守にしているとかは聞けたか?」
「必要ない」
「は?」
「その男の家人が言うには、王宮の補修工事に出かけたと言うことだった」
「……。……なるほど」
 灯台もと暗しとはこのことか。
 或いはミクソンは、知っていて――レスター達がいずれ情報を求めてメイヤーの弟子に辿り着くことを想定して、事件の解決からしばしの時を経た今に、謎かけのような情報を提供したのかもしれない。
 むろん、近くに情報提供者が居るからという親切心ではなく、むしろ反対の、あれこれ遠回りをしているレスター達を見て嗤うために、だ。
(あの野郎)
 口に出して言わないのは、下品云々の問題ではなく、役者が上だったと認める思いがあるからだ。ハウエルといい、ミクソンといい、どうにも厄介な人物の多い年代だ。
 微妙な心中を察してか、それ以上の言葉を口ごもるクリストファーに礼を言い、レスターは直属の上官の執務室へと足を向けた。むろん、翌日に時間を作るための申請の為である。おそらくは中隊長のままに引退するであろう年齢の上官は、仕事の大半をレスターに任せていることもあり、あまり強く出ることはない。
 案の定、勤務時間の変更は二つ返事で了承を受け、翌日、レスターは王宮へと足を向けることとなった。
 入城許可を受けしばらく歩いた先、かつてブラム・メイヤーが手がけた瀟洒な建物は、今は完全に解体されている。如何にも急拵えといった補修箇所は無様としか言いようのない有様であるが、多数の死者――何故か全員が組織に与していたと思われる王宮関係者だった――を出した爆破騒動の痕はさすがに残っていない。
 どんよりと曇った空の下、十数人が汗を流して作業を続けているが、資材搬入等の手続きが後手後手であるためか、順調と言うほどには進んでいないようだった。
「失礼。昨日に連絡を入れておいたものだが」
 近くを通った作業員を捕まえ声をかければ、彼はいっそ不躾なほどにレスターを見回した後、怪訝そうな顔のまま後方へ声を上げた。
「おやっさん、客ですぜ!」
「待たしとけ!」
「ですけど、軍人さんですぜ!? まずいんでねぇですか!?」
 そこで、面会の申し込みについて思い出したのだろう。呼ばれた男は慌てたようにレスターの方へと駆け寄った。
 陽に焼けた強い髭面の男が恐縮そうに身を折るのを止め、レスターは用件を口にする。
「仕事中に申し訳ない。時間は取らせない。言伝は行っていると思うが、ブラム・メイヤーについて知っていることがあれば聞かせてもらえないだろうか」
 互いに忙しい身であり、歓談する気はない。当たりだけは柔らかく、そう事務的に問えば、相手もそれを察したようだった。
 場所を移す必要性もなく、土埃を払っただけの木材の上に腰をかけ、男は遠い記憶を思い出すように両手の指を組む。


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