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「師匠の話だったかい?」
「ええ。別段何かの問題を掘り返しているというわけじゃない。ただ、彼の受けた仕事のことで話を聞ければと」
「……人身売買組織の件だったら、わしに聞くよりも依頼人の方に聞く方が詳しいと思うんだがな。なにせ、今思い返せば、ヤツらからの依頼の時にはわしは外されてたんでね。師匠がわしを巻き込まないようにしたのか、ヤツらが部外者の関与を良しとしなかったのかは判らんが」
「それは判っています。だからこそ、あなたのところに捜査の手は殆ど向かなかった。私が聞きたいのはそこではなく、もっと若い頃のメイヤーの話だ」
 言えば、男は少し迷ったようだった。躊躇いと言うよりは記憶を探るような、困惑した色がそこにある。
 さほど、師について知りはしないのだろう。レスターの方もとりあえずの手がかりといったところだ。何の収穫が無くとも、今更落胆したりはしない。
 そう告げれば、男は幾分ほっとしたように肩の力を抜いた。そうして、ガリガリと頭を掻く。
「たいしたことは知らねぇんだがよ。……ただ、幾つか今でも何でだったかなって思うことはある」
「と、言うと?」
「下積み時代ってぇのは誰にでもあるだろう? いや、師匠の腕と才能だったらすぐに世間に認められても当然なんだけどな。それにしても名の売れ方が唐突だった気がするんだ。そりゃ、売り込みの上手い奴なんかだと、腕に反するみたいな大口掴んでくる奴もいるが……。師匠はそんなに商売上手な人じゃなかった。どっちかっていうと口べたな方で……」
 資材を調達していた男も言っていたことである。信じてもらえるかと窺うような目で見つめる男に向けて頷き、レスターは続きを促した。
「しかも、定期的にぽん、ぽんって、ひとつ仕事が終えたらちょっと休憩に丁度良いって期間を空けて、すぐにまた大口が入り込むって具合でさ。比較的簡単な仕事はわしも連れてってもらえたが、そういった大口はホント、基礎が済んだらすぐに暇言われて、そっからは別の小口の仕事をわしがひとりでやるみたいな」
「誰が依頼していたとかは知らないだろうか?」
「地方の名士なんかだと直接やってくるもんだから判るんだが、その大口がなぁ……。いやでも、一回だけ見たことあるか?」
 自分に問うような語尾から、男はしばし黙り込む。思い出せそうで思い出せない、そうした不快感を表情にし、首を捻る。
「駄目だ、思い出せねぇ。ただ師匠は親戚だって言ってた気がする。羽振りの良い親戚ですねって言ったら、『上手いこと養子に入りやがった』って」
「! 養子……?」
「仲は良くなさそうだったけどな。面倒事押しつけやがってとかなんとか」
 ミクソンにも共通するキーワードに、レスターは何度か瞬いた。
「……そのくらいかね。他は、今は思い出せそうにねぇや」
「いや、充分だ。ありがとう」
 己の記憶力を嘆くように頭を横に振る男に礼を言い、レスターはその他いくつかの他愛もない言葉を交わして王宮の庭を後にした。
 そして、仕事を終え、帰途の途中で考える。
 メイヤーの言う「親戚」がミクソンであればどうか。ミクソン家の養子となった男が王宮に入り、力を付けるにあたって王宮内の様々な事情を知った。その上で外部と連絡を取るために、かつての血縁であり、腕だけは確かな建築家を仲間に引き込んだとすれば。
(ミクソンは王宮と組織にメイヤーを勧め、その腕の良さによって紹介者として地位を上げる切っ掛けを作り、メイヤーはミクソンにより当代一の建築家の名を得た……とも考えられるが)
 王宮の役人全員が組織の存在を知り、与していたわけではない。むしろ大半は直接的に関わりのない者、厳密に言えばマーティン・ウィスラーがそうであったように、組織にとは知らずに良いように利用されている者達だ。
 さしたる名家の出でもなかったミクソンも、組織の幹部として招かれたのは相当な力を付けた後の話だっただろう。おそらくはメイヤーを使ってチェスターに国の真相を伝えた十数年前あたりのこと。その時には王宮の増築は既に始まっていた。
 弟子の話を合わせれば、メイヤーを有名人に引き立てる切っ掛けを作ったのはミクソンだ。だがミクソンが王宮内で権力を持ち、国の真相を知り得たときには既にメイヤーは王宮内の増築を行うほどに著名な人物となっていた。ミクソンが組織から指示を受けてメイヤーを傘下に入れたとすると、――時期がずれるのだ。
(ミクソンはやはりはじめから、外部と連絡を取る手段を作っていたと考える方が自然だ)
 つまり、王宮で権力者としてのし上がる前から既に、メイヤーはメッセンジャーとして働かせられていた。
 ミクソンと、誰の間を。
 思い、レスターはぞくりと体を震わせた。
 チェスターの手帳の記述は、自殺する日のひと月ほど前で途切れていた。丁度メイヤーが訪ねた時期である。そのままチェスターは王都へ足を伸ばし――。
(オルブライトとミクソンに会った?)
 オルブライトへは伝言と日付の書かれた手帳の一部を。ミクソンには手帳を。それならば、レスターがミクソンへ手帳を渡したとき、例の紙が抜かれている事に気付いたとしてもおかしくはない。組織の幹部に足を突っ込んでいたミクソンであれば、サムエル地方のあの館に、手帳を埋めに行くことも可能だ。
 そして、こう考えれば辻褄が合う。
(チェスターはミクソンに、リドリーに自殺の日付を伝えたとしたら)
 ミクソンはさも無関係の所から情報を得たような顔をして、こう言うのだ。
 あのチェスターが王都に来ていましたよ。ああこれ、奴が投函しとけって道端の小僧に渡した手紙なんですけど、……莫迦な奴です、その小僧が手前を見張ってる奴だったなんて知らずにね。で、それに何て書いてあります? え、その日に何かあるというんですかね? ――。 
 ミクソンという存在を入れることにより、謎の多かったチェスターの自殺のくだりに筋が通る。
(そうすると、仲間であるはずのチェスターを見殺しにするわけだが……、いや、それがミクソンのスタンスだったのなら)
 手を取りあい、励まし合い、目標に向かって共に歩む。チェスター、ミクソン、そしてハウエルはそうした繋がりではなかったのだろう。ただただ、組織をこの国にのさばらしておいてはいけない、そうした共通点をもとに手を組んだ三人。利害の一致もあり、それ以上に己さえも計画の一部に組み込む冷静さと残酷さを備えた意思の持ち主たち。
「レスター?」
 そこまでを考えたとき、ふと、後ろからかけられた声に、レスターはぎょっとして顔を上げた。
「どうしたんだ、家の前で。入らないのか?」
 心底不思議そうに首を傾げているステラに、レスターはなんでもないと言いかけ、緩く頭振った。
 ひとつの情報から、想像逞しく方々に考えを飛ばすことは褒められたことではない。可能性として筋道が立つと言えど、寄せ集めの情報の断片を推測でデコレーションしているに過ぎないのだ。
 他の者の意見も聞きたいと思い、それにふさわしい人物がいることを喜び、もう言っても良いかと僅かに躊躇いながらレスターはステラに、ぽつりぽつりとこれまでのことを説明した。
 ユーリアンがさりげなく置いた紅茶を片手に、居間に対面で腰をかけたステラが、呆れたように短く息を吐く。
「この前から忙しくしてると思ったら」


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