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「全部解決してから言おうと思ってたんだ」
「あの協調性のない四人がうちに集まるから、何かあるとは思ってたけど、なんで私に隠してたんだ?」
 ステラの口調に批難の色はない。ただ、僅かな寂しさが滲んでいた。
「別に聞いたからって、何もしないんだけど」
「だからだ」
「だから?」
「今こうしてこういうことをしている、なんて言ったところで、君自身には手伝ってもらえない。――いや、こういう言い方は語弊があるな。私自身は手伝ってもらいたいところだが、君を動かすわけにはいかない。あれが知りたい、これが気になる、だが君は動くな、そういうのは互いに辛い」
 出来る限り誤解を与えないように言葉を選んで伝えれば、ステラはきょとんとした顔で何度も瞬いた。
 そうして、肩の力を抜くように、大きく息を吐く。
「――うん。そっか。そうだなぁ」
 やけにしみじみと、ステラは眼を細めて微かな笑みを浮かべた。
「エマはこんな気持ちだったんだな」
「エマ? クリストファーの妻のことか?」
「うん。何かあるなっていうのは判るのに、相手が何も言ってくれない。でも自分には強引に聞き出しても何も出来ないのが判ってるから、何も聞けない。そいういうの、ちょっとだけ気持ち判った」
 そう言われると、さすがに心苦しいところもある。
「別に、批難しているわけじゃない。むしろ、いろいろ考えていてくれてすまないくらいだ。確かに、最初にこういう謎があるとか言われたら、そわそわしてしまっただろうしな」
「今後こういうことがあった場合は、言った方がいいか?」
「そうだなぁ。言ってくれた方がいいかも知れないけど、言わなくて良いよ。ただ、私がおかしいなって気付いたときには正直に教えて欲しい」
「君にはすぐに勘付かれそうだが」
「はは。それなら諦めてはじめから教えてくれるのも、どうするのもレスターに任せるよ。言ってみれば、浮気するなら墓まで隠し通してくれってやつだ」
「そんな困難極める面倒なことはごめん被る」
 揶揄に遠回しに否定すれば、ステラは笑ったようだった。彼女に実のところ「人妻」という認識は乏しい。知識だけで立場を理解している状況であり、浮気云々も妻という立場の人間を想像した上での冗談、といった口調だった。
 そうと気付きながらも敢えて指摘することはなく、レスターは肩を竦めて口調を改める。
「まぁ冗談はさておき。さっき話した推測についてはどう思った?」
「充分にありだと思う。正直、チェスターが自殺する日をどうやってリドリーに本当っぽく報せたかとか、結構謎だったしね」
「そうかも知れないという推測に過ぎないが」
「いいんじゃない? 完全に合ってなかったからって言って、誰が困るわけでもないし」
 確かに。そう苦笑し、レスターはほっと息を吐いた。
「ひとつ判らないのは、組織から警戒されていたチェスターが、どうやって法務長官と連絡を取りあっていたかということだが……」
 ダグラスも気にしていたことだ。そこもミクソンが仲立ちになって、と考えるにはさすがに無理がある。互いに意思が同じ方向を向いていると認識すればこそ、余計に接触を避けそうなふたりだ。
「ああ、それ……」
 頷いたステラが、僅かに視線を横にながす。
「連絡かぁ」
「何か知っているのか?」
「知っているっていうか」
 迷うように宙を睨み、間を空けてからステラは些か自信なさげに呟いた。
「推測なんだけどさ。『金曜日のお茶会』かなぁ、って」
「なんだ、それは?」
「前の、法務長官の執務室に行ったことがあるんだけど、その時、長年秘書をしていた人から、毎週金曜日だけは法務長官は必ずそこで書類を点検してたって言ってたと思うんだ」
「そこを狙って訪ねると?」
「違う。その長年やってる行動自体が、秘密の遣り取りの足場だったんじゃないかと思って。用があるときは、金曜日に送られてくる書類か郵便物に一見普通の書類のような、でも暗号になったものを混ぜておくとかさ」
 レスターは、これには意表を突かれたように瞬いた。そうして、仕事上の書類か、と独りごちる。
 他人の手に渡る危険を孕んでいる方法だが、通常業務の中に潜ませる以上、異常を勘付かれにくいことは確かだ。ハウエルの当時の地位を思えば、そこに回るような書類にすることも容易いだろう。
 当時の組織の手は広かっただろうが、さすがに政府関連施設に放り込まれる全ての書類に目を向けることは不可能だ。詳細はハウエルにそうして手紙で伝え、リドリーからの接触が考えられるオルブライトには、日付だけを書いた手帳の切れ端を渡した。
「日付の紙だけなら、なんとでも言い逃れできる、か……」
「元財務長官が受け取ったやつのこと? それなら、自殺する日と同じだし、そうだなぁ、万が一組織側に見付かったとしても、『この日に訪ねてくるように言われた』とか言えば、リドリーなら元財務長官を行かないように脅した上で自分が行く、って方向からも誘導できるかもな」
「そうだな。ヨーク・ハウエルに渡ったの考えると、結局リドリーはオルブライトとチェスターが接触したって情報は得られなかったと見るべきだろうが、殆どひとりで組織と対立していた人のことだ、幾つか保険をかけておいた可能性もある」
 顎を指で掻き、レスターは当時の状況を頭の中で展開した。
(ミクソン風に言うなら、第一幕の最終章、だろうが……)
 終章の始まりは、ミクソン自身が王宮管理官の中でも国王の側に侍る地位を得たところからだ。それまで組織の匂いを感じながらも、はっきりとした事は判っていなかったミクソンは、王宮内勢力の幹部に昇進する際、同じく、組織でも幹部の位置に就く者と引き合わされでもしたのだろうか。
 とにかくも、そこでミクソンは、国王こそがイエーツ国内でのフェーリークスの頂点――尤も、象徴的な意味あいではあっただろうが――であることを知った。
(そしてその情報を、メイヤーを使ってチェスターに流した、か)
 その時点でメイヤーを自由に動かせる立場であったとすれば、やはりミクソンは、それよりも遙か以前よりチェスターと共謀し、王宮内を探る役割を持っていたと考えるべきであろう。
(自分の追う者、組織、消滅させてしまいたい存在が国の頂点で、汚職の冤罪で地位を奪われた身にはもはやどうすることも出来ない存在だったとすれば……。いや、自分の計画の遂行の先に、かつてない国の混乱が確実に引き起こされると判ったなら)
 抵抗するための権力と立場を失ったチェスターが再起をかけるとすれば、それは相当に大々的なものになるだろう。知ってしまった事実を伝えないまま、国を転覆させるほど人間を動かせるとは思えない。
 この時点でおそらくハウエルは、チェスターからもミクソンからも、国王のことは知らされていなかったはずだ。知れば絶望する、そうして同士が潰えていくことを憂慮したのか。
(或いは、ハウエルに戦って貰うために、敢えて知らせなかったか)
 どちらにせよ、ミクソンからの情報を得てチェスターは、あらゆる意味で弱者となった自身では、組織と戦えないことを自覚した。だが、ただで斃れる気もなかった彼は行動に移す。自身の跡を継ぎ、冬の時代を超えて組織を滅ぼしてくれる者は誰か。
 ミクソンは、王宮の内部から崩壊を目論んでいる。だが、今回の一連の事件の彼の動き方を見ていて判るとおり、彼は内部に毒を撒きはするが、けして自己犠牲を払ったり、表舞台で正義面をして活動することは好まない。チェスターが決死の覚悟で王宮に乗り込んだとしても、自身に危険が及ぶのならば、見捨てることもやぶさかではなかっただろう。
 ハウエルは大人物ではあるが、それだけに組織の目を引きやすい。活動を始めた途端に消されるのが落ちだっただろう。
 それなりに優秀で、しかし大勢の中に入れれば凡庸の括りで、チェスターのことをそれなりに知っていて、組織に強い恨みを持つ人物。
 それが、オルブライトだ。ただ、そう気は強くない。組織へ向ける執念にも似た恨みについては薄すぎる。
(それを、自分の死で縛り付けた、か?)
 組織から密かに守っていてくれた人物が、実は自分を評価していてくれて、跡を託した上で自殺したと知れば、どうなるか。尻込みをするか、恐れを抱いて逃げ去るか。当然、そうした結果に終わる可能性もあった。
 だが、チェスターは賭に勝った。
 十三年前の十月半ば、最期に王都へ向かったチェスターは、オルブライトに接触し、ハウエルに連絡を送り、ミクソンに自殺の予定を告げた。ミクソンに連絡をとった方法は不明だが、組織の網に敢えて引っかからせる方法でも充分に目的は果たせると考えれば、そう難しい話ではないだろう。
 そして十一月。予告通りチェスターは自殺、情報におびき寄せられたリドリーは王都から離れた村に居り、その間にオルブライトは、安全な状態でハウエルのもとを訪れた。
 その後、オルブライトは自責の念に強く縛られ、チェスターの執念は成就した……。
「なんとも、遠大な話だな」
「は?」
「なんでもない。ただ結局の所、フェーリークスはチェスターの怨念に負けたのかもな、と思ってな」
「なんか、急に寒々しい話になったな」
 苦笑し、ステラは短く息を吐く。
「って言うかさ、レスター、自覚ある?」
「何のだ?」
「レスターもさ、たいがい執念深いってこと。チェスターとミクソンと元財務長官を足しで三で割った感じじゃないか」
 チェスターのように誰かに頼ることをどこかで拒絶し、ミクソンのように裏であれこれと画策し、オルブライトのように歯を食いしばりつつ投げずに耐えきる根性を持つ。
 呆れたような声音に何度か瞬き、意味を脳で咀嚼し、数秒。
 違いない、とレスターは、釣られたように苦笑しながら頷いた。


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