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 3.


 月をまたいで二月。
 寒さはいよいよ厳しくなり、誰もがコートの襟を立てて足早に道を行く頃、かねてから予定されてた軍の合同演習と対抗試合が催されることとなった。
 それまでは御前試合として、建前上国王主催とされていた大会だが、今回はそうしたことすらも省いた軍事演習の色が強い。特に先だっての事件のこともあり、緊張感が持続しているためか、各軍団ともに精鋭部隊を中央に派遣しているとの噂が流れている。
 各軍団体戦、個人戦より一週間早く行われた大隊単位――実際には警備や通常業務等で全員が参加できるわけもなく、人数的にはそうした単位数に見合うものではないが――の対抗戦は王都の東に横たわる平原が使用され、各部隊が善戦を繰り広げた。
 個人的な強さよりも各隊の連携や用兵、戦況把握がものを言う演習だけに、精強と言われる少人数の部隊が、思わぬところで戦線離脱していく光景は、軍務長官以下、高みの見物を決め込んでいる上層部からすればさぞ面白いものだっただろう。軍務長官の側で高台から各部隊の動きを見ていたダグラス曰く、「絶対アレ、有名所は狙い打ちされてたよ」とのことだ。
 レスターが所属している大隊は、当然の事ながらそうした「有名所」のひとつである。本来味方であるはずの同軍別部隊から集中的に攻められ、かなりの苦戦を強いられることとなった。むろんあくまでも演習であり、怪我人はともかく死者が出ることはないようには工夫されている。それでも、鬼気迫る様相で左右から別の部隊の攻撃を受けたときには、ひとりやふたりぶんの間違いくらいはあるかも知れない、と思ったものだ。
 結果として最後まで残ったのは北の国境を守る第三軍団の一隊で、レスター達は終盤に大隊長が捕獲され、そこで敗退となった。
「絶対、あの大隊長、途中で面倒臭くなったんだ!」
「『えー、なんでまだ残ってんだ』とかなんとかぼやいてたって話だぜ!?」
 散々な言われようの大隊長だが、実際には優勝した隊の作戦勝ちだったと言うべきだろう。序盤で注目されていた部隊が次々に消えていく中、終盤数部隊になるまで残ったのだから、充分な面目躍如だったという意見もあるが、闘争本能に火が付いた面々の中では少数派と言わざるを得ない。
 その少数意見に賛同しているレスターは、疲れた体を熱い湯で生き返らせるや、同僚の喧噪を背に運営側の天幕へ向かって行った。
「キーツさん、今大丈夫ですか?」
 管理のために応援として派遣されていた公安のバジル・キーツは、見知った顔を認めて僅かな笑みを浮かべた。一度ははっきりと対立したふたりだが、互いにその後のわだかまりはない。
「構わない。何の用かは、まぁ、判るが」
「話が早くて助かります。結果は出ましたか?」
「これだ。まぁ、善戦したんじゃないか?」
 結果とは、むろん、終わったばかりの演習の総合評価のことである。純粋な勝ち負けというよりは、どういう状況で敗退したか、危機を脱したか等、今後各部隊の課題となることの抽出作業だ。
 レスターが見たいのは、自軍の評価ではない。そうしたものを求めるのであればキーツも、報告を待て、と一蹴しただろう。彼が求めるのは、クリストファー・レイの参加した部隊のことだ。さすがに戦いの場で、別の軍に注目を払う余裕はない。
「歩兵師団の第一大隊は、中盤過ぎまで残ってるな。ただ、彼の居る第一中隊と第三はともかく、他の二、四、五中隊が序盤に中隊長を馬から落とされて失格となったのがその頃に響いたみたいだ。序盤から結構な時間を少ない数で残ったと見るべきか、明らかな作戦負けと見るかは微妙だな」
「初期の配置が少しまずいですね。あそこの大隊長は慎重なのは良いが、主力の第一中隊を奥に下げすぎている」
「近くに先手必勝の国境部隊が居たのもアレだな。側面を突かれたようだ。……正直、第二大隊が終盤まで残ってたのを見ると、評価はどうしても低くなるだろうが、レイ個人に影響するかと言われれば、まぁ、それは大丈夫だろう」
 この演習でクリストファーは、もといた小隊ではなく、同じ第一中隊の別の小隊を率いての参加となっていた。現在、もとの小隊には既に別の隊長が据えられているということもあり、それを押しのけてまで復帰、という形は取られなかったのだ。
「第一中隊長が集中攻撃を受けて印を取られるまで、ちゃんと生き残ってる。詳しい人数までは判らないが、小隊として形を保っていたことは充分に評価されるはずだ」
 土煙立ちこめる中の戦闘である。何時誰がどういう状況で戦線離脱したかまでは判るわけもない。ただ、中隊長以上が敗れたとされた時点で残っていた面子は記録される。開始直後、一番はじめに失格となった大隊などは、遠くからの矢で大隊長が落馬したことによる失格であったため、その人数は半端無かったとのことだ。
「それなら、個人戦でよほどのポカをしない限りは小隊長格で復帰は出来そうですね」
 とりあえずは安堵し、レスターは胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。お手数おかけしました」
「いや。構わない。ラザフォートには散々急かされたくらいだからな」
 苦笑するキーツと別れ、自軍の天幕へと戻ったレスターを迎えたのは、そのダグラスだった。
 全く疲れた様子もなく、いつも通りにへらりと笑う男を見て、意味のない苛立ちを感じたとしても誰もレスターを責めはしないだろう。
「お疲れさん。見事に集中攻撃浴びてたねー」
「全くだ。疲れている。帰れ」
「うわ、冷たい。いつもより二割り増しに酷い。折角、勇戦する君を見て、軍務長官が舌なめずりしていたって教えに来てあげたのに」
「……君が横で、不必要に注目させるようなことを言っていたの間違いだろう?」
「上司の覚え良くさせてあげようって心遣いなのに」
「余計なお世話だ。そういうのはクリスだけにしておけ」
「うーん、だめだめ、あそこは大隊そのものの根性入れ直しだなとか言われてたからさぁ」
「そうか。それで、何の用だ?」
 冗談交じりの会話をする気もなく急かせば、ダグラスはこの世の終わりと言わんばかりの大げさな反応を見せた。
「もう一度言う。疲れている。何の用だ」
「やだなぁ、もう。折角いい情報持ってきてあげたのに」
 今度こそじろりと睨めば、ダグラスはようやく諦めたように肩を竦めた。
「はいはい。じゃあ用件言いまーす。これは僕の独自の情報ですがぁ、後日ある個人戦でぇ、予選を順当に勝ち進めば、高確率で君とクリスがかち合いまーす」
「莫迦な。勝ち抜き戦は当日クジで分けられるはずだ」
「そうなんだけど、去年一昨年とさ、好カードが早めにぶつかっちゃって、最後が読めちゃう展開になったんだよね。で、注目されてるのは敢えて最後までぶつからないように調整されてるんだ。勿論君やクリスは、別にそこまで注目されてるわけじゃないけど、その煽りをくって同ブロックに分類されたって感じかな」
 既に終了した大隊単位での演習とは異なり、別段個人戦は部隊の中で選りすぐられるわけではない。勇み足のものはある程度ふるいにかけて落とされるが、基本的には個人がエントリーを行う。連隊長以上、または過去の優勝者は参加できず、逆に中隊長と大隊長は参加義務があるとされているが、後者は部隊内から推薦を出すことで免れることも出来る。但し、三年連続不参加は認められていない。
 一日目と二日目は勝ち抜き制で、規定人数に達するまで先に五人勝ち抜けば本戦に参加できる権利を得る。格下ばかりで点数を稼ぐという手もあるが、本戦に出れば格違いの相手に伸される未来が待っているだけということもあり、あまり実行に移す者は居ない。予選は会場が分散されているが、本戦は大観衆の中で行われるのだ。
 予選後、例年であれば全員がクジを引くという方法で対戦相手が決まっていた。ダグラスの言葉が本当であれば、今年は予選通過者の中からある一定の規則に基づき強者弱者適当に入り交じった枠が設けられるのだろう。
「でー、もし、さ。クリスとぶちあたったらどうするの?」
「どうする、とは?」
「負けてあげる?」
 聞き逃せない言葉に、レスターは片方の眉を上げた。
「あげないんだ?」
「試合だぞ」
「でも君は、勝っても負けても今年には中隊長だろうけど、クリスは中隊長になる切符を手に入れるかがかかってる」
「中隊長になれる素質があるなら、八百長などしなくても好成績は残す。勝ち負けだけじゃない。例えば優勝者に接戦を繰り広げれば、初戦敗退でも充分評価される。第一、クリスは私より強い可能性もある」
「それはないよ」
 冷静な目で、ダグラスは否定する。
「特捜隊の時は事故の後遺症か何かが響いてみたいで、どうも安定してなかったけどさ。今はそんなことないし、訓練してる姿を見てると確かに強いってのも判る。だけど君の方がもっと強い」
「お褒めに与り光栄です、と言っておこうか?」
「冗談。誰が見てもそう言うよ。つまり、皆そうと判ってる」
「……」
「で、どうするつもり?」
 珍しくも好奇心ではなく、クリスとレスター、両方を慮る顔つきに、レスターはただ小さく口端を曲げた。
 気持ちの上での答えなど出るわけがない。ただ、やるべきことは判っている。
「予選で負けるかもしれないさ」
 直接答えることはなく、レスターは話は終わりとばかりにダグラスに背を向けた。


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