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 ヨークは、面白そうに顔を歪めたようだった。そしてつい、と足を進め、レスターの耳に口を寄せる。
「彼女が逃げる機会を探しているとは思わないのですか?」
 ステラの美貌があれば、事情を知らない男のひとりやふたりなど誑し込むのは容易い。地方から出てくるそうした男を捕まえるために、試合会場へ出向くのではないか、そう示唆しているのだろう。――確かに、以前のステラなら充分にあり得た話である。
 ほぼ反射的に目を眇め、レスターはヨークの肩を押しのけた。
「思わない」
「いくら記憶喪失とは言え、本質は同じですよ?」
「君の言う本質は、環境に影響を受けて出来たものだ。勝手な決めつけは止めてもらおう。――失礼する。クリスも、突然すまなかった」
 身を翻し、レスターはステラの肩を抱く。そうして来たときと同じように強引に歩くように促せば、ステラは今度は素直に従った。
 しばらく無言のままに歩き、建物を出たところでレスターは息を吐く。
「すまない。クリストファーと何か話せたらと思ったんだが」
「気にしてないよ。ちょっと吃驚したけど、相変わらずだなって思っただけだ」
 言葉のままに、ステラは笑う。平気を装っているという様子でもない。真実、ヨーク・ハウエルのことはさほど意に介してもいないのだろう。
 だが、とレスターは迷った後に口にする。
「クリストファーのことも」
「それは……」
「前に彼の態度が軟化していたようだからと大丈夫だと思ったんだが、……あれは『相変わらず』と言うべきか?」
「あはは、……まぁね。そっけないのは判ってるんだけどな」
「しかし君は、あれだな。クリストファー以外には、それなりに本調子が出せる」
「え?」
「突然会うと戸惑うのは同じだが、クリストファー以外には喋ってる内に、”クリス”みたいな対応が出来ている。一歩引いている感はあるが、言うことはちゃんと言えている。……やはり、クリストファーは別か?」
 ステラの目が泳ぐ。彼女自身自覚していることなのだろう。
「ヨークやダグラスなんかは……、ほんの数ヶ月の知り合いだから。たぶん、エミーやアントニーに会ったら、同じようにどうして良いのか判らなくなると思う。父様は、事務的に話せると思うんだけど」
「何も知らない素振りは、無理か?」
「無理かなぁ。初対面を装えれば良いんだけど、やっぱりあれこれ気になるし、話したい気持ちとどうしていいのか判らない気持ちでいっぱいになる」
 胸に手を当て、ステラは目を閉じる。
「元気? 変わりない? 困ってることない? お腹の子は元気に育ってる? あの時はいろいろごめん、って聞きたいことも話したいことも謝りたいこともいろいろあるんだ。特に兄様には、迷惑かけてごめんなさいって。でもそれを直接言うことは出来ないから」
「君がクリスティンだと、話す気はないのか?」
「ないよ」
 肩を竦め、ステラは眉尻を下げた。
「レスターだって、不思議現象がなかったら信じなかっただろ?」
「だがクリストファーは、君が自分の心の中にいたことを知っている」
「でも駄目だよ。私は兄様たちの心を惑わせたいわけじゃないんだ。矛盾した考えだとは思うけどね」
 寂しげな微笑に、レスターは思う。
 そうした真実を知らせずに、ステラをクリスティンの位置に持っていくことはできるだろうか。完全にとはいかずとも、以前のような親しい友の場所に。
 クリスティンのために、何をしてやれるだろうか。
「レスター?」
 考え込む素振りを見せたレスターを、ステラが首を傾げて見遣る。
 なんでもないと緩く頭振り、レスターは家路へとステラを促した。

 *

 晴れ渡った空が地上に光を落とす。熱気が歓声を天高く押し上げ、王都内を熱狂的な雰囲気で包み込んだ。
 御前試合当日――。
 本戦序盤、長方形の競技場は取り替えられた色違いの石畳をもって四つに区切られ、同時に四試合が行われる。この段階ではそれぞれ持ち時間は十分であり、勝敗が付かない場合は延長十分。およそ二、三時間の後に半数が消え、更に一時間後にまた半数と数を減らしていく。
 各軍の代表とも言うべき参加者の数は、はじめの時点でおよそ百人。毎年参加人数によって端数は生じるが、そのあたりは上手く調整され、最終的に十六人になったところで一度に二試合という形に変更となる。
 優勝までに単純に計算するなら七回の試合をこなさなければならない形となるが、実のところ、不戦勝が多いのも事実だ。双方相打ち、或いは負傷により棄権という結果があるために、まともに考えれば相当な時間を消費する試合形式だが、現実には夕暮れまでに終わるのが常となっている。
 基本的によほど逸脱しない限りは、場外という概念はない。どちらかが負けを認めるか、戦闘続行不可能と判断される怪我を負うか、或いは時間切れとなるまでそれぞれが力の限りを尽くす。むろん、早々に決着がつく場合もあればギリギリまで戦い続ける組もあるが、次の試合時間への考慮はほとんど為されない。そのあたりの継続的な判断力も必要となる試合だ。 
 第一回戦を五分ほどで無難に終えたレスターは、次の第二戦でかなりの苦戦を強いられていた。
 それもそのはず、相手は実力、評判ともに格上の中隊長。更に言うなれば、先日団体戦でレスターの所属する大隊を潰した隊に所属する三十台の男だ。因縁というほどではないが、はやし立てる周囲はそうした事情をからめて好き勝手に盛り上がっていた。
 技倆だけを見ればほぼ僅差、素早さでレスターが勝り、膂力で相手に劣る。戦闘経験の差で若干レスターの方が不利になっているというのが冷静な見解か。それでもこうした制限された状況の中では実力伯仲、互いに決め手に欠ける中、序盤には珍しい延長戦にもつれ込んでいた。
 飛び散る火花の向こう、互いの目に焦りが生じている。ただでさえ他の会場に比べ長引く試合が多く、圧倒的に試合の消化が遅れているのだ。後であったはずの組が、一番早く全試合を消化した会場に場を移して既に終わっている有様だ。
 遅くに始まり遅くに終わると言うことは、次の第三戦までの時間もまたないということを示す。こんなところで体力を無駄に消費している場合ではない、――というのが共通する認識だ。何度も打ち合った掌は痺れ、全身が酸素を求めて喘いでいる。額から流れ落ちる汗を拭う暇もなく、謀りに謀りつくした打ち合いを繰り返す。
 残り時間はあと僅か。審判に勝敗を委ねれば、どこかに納得できない部分が生じると判っているからこそ、互いに攻撃の手は緩められなかった。
 レスターの剣先が相手の服を掠める。だが身には届いていない。そう認めた瞬間には既に相手の剣が目前に迫っている。それを弾き、捻った体を戻しながら突けば、相手は素早くバックステップを踏む。大きく間を詰めて再び突き、弾かれ、薙がれ、胴を狙う一撃を横に避けて躱す。
 序盤では稀にみる接戦に、会場内の目の殆どがふたりに向けられていた。早々に試合を終えた強者たちも、面白そうに観戦している。


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