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 そう、レスターは思っていた。具体的に言葉にすることはなかったが、今のステラに、同じような場所を与えてやりたいと思っていた。
 答えない彼に向けて困ったように眉を下げ、ステラは肩を竦めて身を翻す。
 レスターにも、考える時間が必要だと思ったのだろう。
「大急ぎで来たから、監視している人が居たら吃驚したかも。戻ってるね」
「……ああ」
「レスターは、ちゃんと体拭いて、新しい服着て休むんだぞ。ユーリアンがちゃんと準備してくれてたの知ってるから」
「判ってる」
「それじゃあ、また後で」
 本来は関係者以外立ち入り禁止である場所だと思い出したのだろう。若干慌てたように早口で言い、ステラは踵を返す。そんな彼女の後ろ姿を見送り、レスターは水に濡れた前髪を掻き上げた。
 ひとつくしゃみをして苦笑し、受け取った布で体を拭いながら彼は考える。
(俺は、間違ってたんだろうか)
 思い、首を横に振る。
 間違っていたと言うよりは、方向性がずれていたのだろう。彼女が行きたい方向と、自分が「彼女が願っているだろう方向」は、同じ行き先のようで、それでいて両者には交わることの出来ない溝があった。
 ”クリスティン”のように仲間達を気の置けない関係になれるように願っていたレスター。
 ステラとして、別の人間として再び新たな友達関係を築いていけるよう日々少しずつ行動範囲を広げていっている彼女。
 ああそうか、とレスターは思う。
 自分はずっと、クリスティン・レイに居場所を与えてやりたいと思っていたのだ。もういないはずの、女に。
(そうじゃない、か……)
 精神的に同一人物だったとしても、彼女はクリスティンのままではいられない。彼女はそうと判って、新しく生きていこうとしていた。新しい立場で、何とかできないかと悩み躊躇い、足掻いていた。だがレスターは、あくまで”クリスティン”のままで居られることに拘っていた。
 レスターが彼女を把握するための基盤は、もう二度と戻らない過去のものだったのだ。
 新しいステラという女を、そうと認めてはいなかった。
 友人のような。
 家族のような。
 奇妙な同居人。
 寄せ集めの、仲間にも似た、だが交わることのない他人。
 それぞれの都合のもとに、偶然の結果集うこととなった、運命共同体。
 ――それで、いいのだろうか。この先も、死ぬまでずっと。
 自問し、レスターは落ちてきた髪を掻き上げる。
(駄目だな)
 違う、と口の中でひとりごちる。このままでもなにも、本当はもう、答えは出ているのだ。意識しない思いが、行動が、したいことを代弁している。
 肉体も魂も同じながら、レスターが過去のしがらみと決別したように。
 ステラでもクリスティンなく。
 本当は自分は、新しい彼女と生きていきたいのだろう――。

 *

 本来、レスターは気の長い方ではない。ひとつの目標を達成するまでに長い年月をかけることはあっても、情報を仕入れ自らを鍛え、日々変化を加えていく方だ。よく言えば現状を良しとしない向上心とも言えるだろう。
 故にそうと決めた後の行動は早かった。


「ステラ。ちょっといいか?」
 そう断りを入れたのは、大本命同士の決勝戦で第三軍団に所属する大隊長が、先日の演習に引き続き栄冠を手にしてから十日後。非番の日の早朝。
 陽の昇る前、地面が薄く光を帯びてきた頃に、レスターはステラを伴って薄く雪の積もる坂道を歩いていた。場所は都の外れにある墓地であり、快晴を思わせる爽やかな朝と言えど他に人影もない。
 眠い寒いと文句を言いながら、しかし素直に従ったステラも、さすがに今は困惑した様子を見せている。
「どこへ行くんだ?」
「もう少しだ」
「天気が悪かったら、えいやとひと思いに殺られるんじゃないかと疑うところだぞ?」
「莫迦言え」
「なら、何で今歩いているのか教えてくれてもいいじゃないか。もしかして、家族の命日とか?」
「いや?」
 とぼけるレスターに呆れたか、ステラは肩を竦めて白い息を盛大に吐き出した。
 そして、沈黙に耐えられなかったのだろう。先日の大会結果について、今更のように話を持ちかけた。
「決勝戦、凄かったよな」
「ああ」
「でも、ガードナー隊長も、優勝したあの人にすごい接戦してたよなぁ。やっぱり強かったんだな」
「彼も注目株だったからな。その彼からの話だが、どうやらクリストファーは第五中隊に異動して小隊長からの復帰になるそうだ。事実上、ちょっとした降格だが、前の演習で早々に負けた第五中隊のテコ入れで他にも異動があるから、実際にはそこで立て直しに貢献してポイント溜めろという思惑だろうな」
「そうなんだ。……やっと、元の状態に戻ったって感じがする」
 馬車の事故の前に、ということだ。何人かと別れ、出会い、変わったことも多くはあったが、最も事件に翻弄された人物が落ち着くところに落ち着いたと言うべきか。ようやく一区切りがついた、という心地なのだろう。
「第五中隊と言えば、実はアントニー・コリンズも……」
 話し始めれば、それなりに話題は豊富にある。次第に明るさを増していく空を眺めながら歩き続け、いよいよそれ以上進めないところまで来た時点で、レスターは登ってきた丘の向こう側を指し示した。
 顔を上げて周囲を見回し、ステラが歓声を上げる。
「わぁお……凄い、ここでこんなのが見れたんだ」
「気象条件と、早起きが厳しいとところだが」
 この日のような冬の晴れた朝、王都は薄い霧に覆われることが多い。それをこの墓地の丘の天辺からは俯瞰で見渡せるのだ。殆ど真横に伸びる影と白い靄を纏わせた建物の群は、普段とはまた違った姿となり幻想的な雰囲気すら醸し出している。
 目を輝かせ右に左にと忙しなく顔を動かすステラを好ましげに眺めながら、レスターはしばし時を待った。
 そうして、ひとしきり満足した様子のステラが思い出したように振り返ったタイミングを見計らい、その名を呼ぶ。


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