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 (1)

 豪華絢爛と言うに相応しい手の込んだ装飾、目映いほどに華やかな色彩のタイル画、踏むことが躊躇われるほどに磨かれた床。どこを見ても見飽きることのない広い室内は、本来なら飛鳥の興味を惹きつけてやまなかったに違いない。
 贅を尽くした中東の宮殿を再現したような、そんな豪奢な一室に、今、飛鳥は立ちつくしている。正確に述べるなら、強制的に立たされていると言うべきか。
 室内の四方から突き刺さる品定めをするような目線に、飛鳥は大きく深呼吸を繰り返した。緊張を落ち着けるというよりも、盛大に吐き出したいため息を押さえる意味合いが強い。
「……ふん、貧相な体ですわね」
 後面、左右を鎧で完全武装した兵に守られた女性が、黄金色の髪を揺らして目を伏せた。飛鳥から見れば陳腐なほどの、如何にも重そうなドレスを着込み、口元を隠すような扇を手にしている。きつめの目鼻立ちは、充分に美人の枠に分類されるだろう。
 飛鳥をなめ回すように見つめた後、美女は柳眉を顰めながら紅唇を開いた。
「醜女とは言わないけど、もう少しまともな顔を連れて来られなかったのかしらね」
 判りきっていることだが、見ず知らずの他人から指摘されると怒りの領域が刺激されるらしい。飛鳥は目を眇め、目の前の人物を睨みつけた。両手は捕縛され、首の後ろには槍の穂先が皮膚一枚を突き刺しているが、どうにも好戦的な感情は抑えきれない。
「……何か、言いたそうね」
 美しい、魅了するといった意味とは別の、迫力を伴う方の目力には自信がある。若干の動揺を見せた相手に向けて、飛鳥は口角を吊り上げた。明らかな挑発に、周囲の空気が揺れる。
「わっ……」
 身構える隙もない。一瞬の空白の後、飛鳥は右の脇腹と左半身に強烈な痛みを覚えた。鏡のように磨かれた床ゆえに、不必要に皮膚を擦る凹凸がなかったのは幸いか。緩衝材などない場所に勢いよく倒れ込んだにも関わらず、頭部を打ち付けることが無かったのは、無論、運が良かったという問題ではない。そのように倒れるよう、計算尽くで殴られたからだ。
 痛みに顔をしかめつつ、別のところで器用だと感心する。人のどこをどう突けば倒れるのか、どれくらいで骨が折れるのか、殴った相手は熟知しているのだろう。その気であれば、今頃飛鳥の体は真っ二つに分断されていただろうこと、想像に難くない。
「貴様、立場をわきまえろ」
 脅しすら籠められた低い声に、飛鳥は口端を歪めた。戦闘能力にどれほどの差があろうと、売られた喧嘩は買うのが基本と決まっている。特に、その理由が一方的で理不尽極まりないときは。
「考えてますよ。そうですね、じゃぁ、私を殺して次の身代わり呼び出したらどうです?」
「貴様……」
「気にくわないなら、いっそ殺したらどうです? 私は構いませんよ、既に一度死んだようなもんですし?」
「……」
「あ、でも無理ですね。今私殺したら、代替え、間に合いませんし。残念ですね」
 何気ない様子で、しかし実際は全身の力を込めて起き上がりつつ、飛鳥は喉の奥で嗤った。痛みに力の入らない腹部を叱咤しつつ、なんとか両足で立ち上がる。自分を戒める意味合いも込めて周囲を見回せば、如何にも判りやすい怒りの籠もった視線が幾つも突き刺さった。
 だが、それが全てではない。否、どちらかといえば、困惑と同情、もしくは努めて無表情を装っているといった者の方が多いだろう。
 改めて自分の立場を実感し、飛鳥は短く息を吐いた。
 今冷静に判断できるのは、無論、衝撃と否認の時期が過ぎ、受容の段階に入っているからに過ぎない。彼ら曰くの「自分の立場」というものが聞かされたときのショックを思い出して、飛鳥は僅かに苦笑した。


 苦痛と微睡みを繰り返していた飛鳥が、ようやくのように目覚めたのその日。彼らは一様に引き攣った笑みを浮かべ、言祝ぎを述べたものである。
 ――ようこそ、選ばれし者よ! 貴方は大変名誉な役目を与えられるためにやってきたのだ!
 今時、小学生でも騙されはしないだろう、選民思想の大仰な言葉は、飛鳥の耳に呪いのように張り付いている。
 そしてそれから、全てが始まったのだ。彼らは、装飾に偽善と優越感を塗り重ねた言葉で、飛鳥に押しつけた役目とやらを説明した。丸一日費やした言葉の羅列は、しかし、要約すれば漢字二文字で言い表すことが出来るだろう。
 『生贄』。良く言って、身代わりだ。勿論、代わる元となるのは、今目の前にいる姫君、一国の王女である。
 目の前で自分を睨みつける、顔も体も派手な女性を見て、飛鳥はため息を吐いた。
(あれの、身代わり、ねぇ……)
 似ていなくもない。体型の判りにくい服を着て後ろを向けばほぼ同じと言える。だが、正面から見れば他人であること一目瞭然、強いて言えば同系統の顔立ちをしているが、整い具合には天と地ほどに差があった。どんな厚化粧をしたところでああはなれない、といったレベルの違いだが、それでも何故か、飛鳥は王女の身代わり――彼ら曰く、『栄誉ある王女の代理人に選ばれた』のだ。飛鳥にとっては迷惑極まりない。
 絶望的な体調不良が落ち着いてから聞かされた話は、飛鳥にとっては理解不能なものばかりだった。術、異空間転移、召喚、人体再構築、などなど、突拍子のなさにそのまま飲み込んで覚えているが、現実味は皆無である。話を聞かされてまず飛鳥が考えたのは、強引な設定のファンタジーだな、ということだった。
 ゲーム好きのオタク仲間が夢見るように語った「異世界トリップ」。現実逃避乙女の妄想の最終地点とも言えるが、飛鳥自身は特に傾倒していたほどではない。設定としては有りか、と思っていた程度だが、――実際におこると洒落にもならないものだと飛鳥はしみじみと思う。
 一度体を素粒子レベルまで分解して亜空間を通してこの世界に運び、そこで再構築しました、と具体的に説明された日には、要するにこいつらにみじん切りよりも酷い状態で殺されたんだな、と嗤う以外に何が出来ただろうか。
(魔法のある世界、か……)
 この世界に適応するように、体を組み替えたと飛鳥を呼び出した者たちは言う。それをふまえた上での体の再構築、という意味は、鏡を見て理解した。
 一目瞭然、もしくは百聞は一見にしかず。目鼻立ちにあまり違いはなかったが、目は濃い藍色に、毛髪は鮮やかな金髪に変わっていた。身長も僅かであるが伸びている様子である。この変化を目の当たりにした上で、未だに残る体の不調が、分子レベルでの接合がうまく馴染んでなかったものだ、と言われれば飛鳥に否定材料はなかった。
 ――むろん、納得などしていない。


 記憶を過去に飛ばしていた間、傍目には呆けているように見えたのだろう。わざとらしい咳払いと、槍の柄が床を鋭く叩く音に、飛鳥は目の焦点を現実に引き戻した。
 視線を転ずれば、王女の強ばった微笑。吊られたわけではなかったが、飛鳥もまた、引き攣った笑みを浮かべ、軽く肩を竦めた。思いに耽っている場合ではない。今はまさに、身代わりとして城から連れ出される直前、――自分の代わりとなる者はどんな者かと興味を示した姫君の座興に付き合わされている最中なのである。
 さすがに、何度も挑発をして床に転がされる趣味はない。だが、黙って観賞されるのも癪だと、飛鳥は抱いていた疑問を解決すべく、口を開いた。
「ちょっと、聞いて良いですか」
「……なにかしら」
「お姫様の代わり、なんでいちいち他の世界から連れて来なきゃいけなんですかね?」


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