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 体の状態、召喚術の素晴らしさについては延々と語って聞かされていたが、具体的に飛鳥に何を押しつけようとしているのかについては、皆が口を閉ざす有様だった。生贄として捧げられるとだけは判っていても、単なる人質としてなのか、昔語りに良くある化け物に喰われるのかではまた、話が変わるというものだ。
 今更ながら、或いははよりによって、という状況で具体的な問いを発した飛鳥に、背後から、如何にも憎々しげな目線が突き刺さる。だが、何をしても何を言っても、所詮彼らは飛鳥という生贄を今ここで殺すことは出来ないのだ。卑屈な思考回路を持って開き直り、飛鳥は皮肉っぽく口の端を曲げた。
「姫様の代わりっていう崇高で名誉ある犠牲なら、家族の生活の安泰とかお金とかちらつかせれば、立候補する子がいてもおかしくないと思うんですけどね」
「お前が知る必要はない」
 答えたのは、背後で得物を構えた兵士だった。よく手入れのされた槍の刃先が、服越しに飛鳥の体を突く。僅かに顔を顰め、しかし飛鳥は王女から視線を逸らさずに言葉を重ねた。
「じゃぁ、別の質問。具体的に私は、何に対して生贄にされるんです?」
 もともと気は強い方だと自覚しているが、武器を突きつけられて堂々としていられる現状に、飛鳥自身が一番驚いている。自棄混じりだとしても、震える声で弱音を吐かずにいられることはありがたかった。ちっぽけな虚勢だとしても、理不尽なことを押しつける輩を満足など、させたくはない。
「人柱ってわけじゃないみたいですし、ちゃんと与える対象がいるわけですよね。それは、怪物なのか、単なる凶暴な人間なのか、どちらです?」
 当たり前と言えばそうでしかない飛鳥の質問に、しかし、周囲からは動揺の波が押し寄せた。低いざわめきを集約したように、美しいはずの王女が、これ以上はない程に醜く嗤う。
「狂気の黒、よ」
「は?」
 畏れと恐れを多分に含んだヒステリックな声に、飛鳥は眉根を寄せた。
「何です、それ。化け物の名前?」
「そうよ、化け物。姿は人だけど、そうねぇ、それに召されて、戻ってきた人間はいないんじゃないかしら」
「ふぅん、で、あんたはそれですっかりびびって、全く関係ない私に無理矢理押しつけるってわけですか。立派なお姫様ですね」
 あまりに見下した調子の王女に、飛鳥の闘争本能が、再び頭をもたげたようである。
「誰も進んで身代わりになってくれないなんて、よっぽど人望ないんじゃないですか?」
「なっ……」
 顔は心を顕す、とはよく言ったものだ。造形がどれほど整っていようとも、今の王女の顔は醜悪で見られたものではないと、飛鳥は皮肉っぽく目を細めた。王女の頬は怒りにか、小刻みな痙攣を繰り返している。
「あんまり興奮すると、厚化粧が剥がれ落ちるんじゃないですか、お姫様?」
 この挑発は、正確には正しくはない。王女の化粧は完璧ではあったが、けして厚くはなかったのだ。だが、彼女の様子を示す形容としては、莫迦にするという意味で極めて的確なものだった。
 周囲から忍びきれずに漏れる失笑、飛鳥自身のあからさまな挑発、どちらがきっかけなったかは本人ですら判らなかっただろう。頬を紅潮させたまま手を振り上げた王女を、飛鳥は真っ直ぐに真正面から見返した。あの手が振り下ろされるとき、ふたりはかなりの至近距離に位置することになる。最後に蹴りを入れるくらいはできるだろうか、と飛鳥は頭の隅で考えた。
「お待ち下さい、姫様」
 王女の足が一歩踏み出された瞬間、狙ったようなタイミングで制止の声が掛かる。
「今から『黒』の元へ向かう者にお触れになっては、御手が汚れます。どうか感情をお鎮め下さい」
「……その、汚れた生贄に最初に選ばれたのは、そこの姫様だと思うんだけど?」
「黙れ」
 両手を縛られたまま、不自由な恰好で飛鳥は肩を竦めた。
「女」
 強ばった声が飛鳥を呼ぶ。半眼のまま目を向けると、その先にいた王女が僅かに顔を反らせた。顔は引きつったままながらも、幾分かの落ち着きは取り戻したらしい。
「とにかくお前は、わたくしの代わりに『黒』の化け物の所に行って、黙っていればいいのよ。いいこと、名前はエルリーゼ、喋っていいのはそれだけよ。名前を与えてあげるんだから、名誉に思って欲しいわね」
 横暴、且つ勝手極まりない命令だが、根本のところで飛鳥に回避する術はない。反抗的な態度までは許容範囲でも、押しつけられる事柄そのものを拒否することは不可能だった。
 今更、他の生贄を用意することは出来ない。それはこの城の中にいる間の飛鳥の強みだったが、彼女の方も逃げ場がないという意味では追い詰められているのと同じだった。話を聞かされた直後、自暴自棄になっていた時に、思惑通りになるくらいなら自殺を、と考えたこともある。だがそれは、身体的な問題で挫折を余儀なくされた。再構築された体というのが不完全な状態なのか、起き上がることすら努力を必要とするのだ。舌を噛みきることは勿論、走ることさえおぼつかない。
 深く息を吐き、飛鳥は王女を見つめ直した。
 暴れても泣き叫んでも、状況が改善するわけではない。反抗的な態度も不遜な物言いも、ここまで。そうして、悲劇のヒロインになるには、飛鳥はどうにも現実的に過ぎた。
「知ってます? 名前って、その人そのものなんですよ」
「?」
「名前ってのはそう軽いもんじゃない。その人がそういう存在であることを縛るものだと思ってる。あんたはエルリーゼだけど、生まれたと時にエリーならエリーって存在になったはず」
 名前は、授けられた瞬間にその人がそれであると決めるもの。
「他人にホイホイ渡していいものじゃない。あんたは私に名前を渡した瞬間にエルリーゼって存在を捨てた。そこんとこ、よく覚えておいて」
 完全に、捨て台詞だ。だが、少しは気の利いた言葉を吐けたかと、飛鳥は自己満足に微笑んだ。王女に意味は通じてないだろうが、それはそれで構わない。単に、何か凝りとして残るようなことを言ってやりたかっただけである。
 王女は数度、瞬きを繰り返した後、不快気に眉間に皺を寄せた。そうして、人差し指を戸口に向ける。
「くだらないことを言ってるなら、疾くとお行き。せいぜい、『黒』の化け物に命乞いをすることね」
 判りやすい言葉を合図に、室内が甲冑の擦れる音で満たされた。同時に両手の戒めが引かれ、飛鳥は僅かにたたらを踏む。強制退去、そしてイケニエの道まっしぐら、勿論、飛鳥に拒否権のない進路である。
 死んだら、真っ先に呪いに来てやる。そう、胸の内で毒づきながら、飛鳥は室を後にした。
 
 *
 
 足枷から重石が外された場所は、衛星――月ではないだろう――の明かりがやたら眩しいほどの、見渡す限りの荒野だった。乾いた砂が低く地面を這い、申し訳程度の草が力なく揺れている。
 豪奢な宮殿を出て粗末な馬車に揺られ、既に四日以上が経過していた。もともと土地勘などない上に、馬車には厚い暗幕が掛けられていたため、飛鳥にはここがどういった場所なのかすら判らない。ただ、偶然誰かが通りがかるような街道でないことは確かだった。
 乱暴に槍で背をつつかれ、左右もわからぬ荒野を進む。道と呼べる道などなく、巨大な岩と灌木を避けて通っているに過ぎない。ただでさえ力のでない体、躓くものも多い悪路を歩くだけで、飛鳥の息は簡単に上がってしまった。だが、帽子を目深に被った男達は、明らかに疲れている様子の飛鳥を気遣うこともなく、何かに急くように足早に先導する。厄介事は早く終わらせてしまいたいという心境なのだろう。


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