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 一方的に身代わりにされて、そこまで命令を遵守する必要性はなかったのだが、なんとなく雰囲気に呑まれて首肯する。ぎこちない飛鳥の動きを、青年は胡乱気な目でじとりと睨みつけた。
「んじゃ、本物のエルリーゼ姫なら、今から美味しくバリボリ食わせてもらうが、それでもいいか?」
「あ、嘘です」
 あっさりと主張を翻し、そうして飛鳥はおかしな事に気がついた。
 ――自分は、何者と会話しているのだろう。
「あの……」
 おそるおそる、上目遣いにジルギールを見上げる。
「あなたは、ただの旅の人、ですよね?」
「旅人ではあるな」
 含みのある言い方に、飛鳥の背筋に汗が落ちる。更に質問を重ねようとしたところに、先ほどの声が割って入った。
「デンカ、何やってんですかね?」
 あっけらかんとした、この場に不似合いな明るい声が響く。必要以上の大きさに、ジルギールは眉間に皺を寄せた。
「うるさい。聞こえてる」
「デンカがぜんっぜん反応しないからですよ。で、そっちのお嬢さんが、例の子です?」
「偽物だけどな」
「へぇー? でも、ふわっふわの金髪、可愛いなー」
 高いと思っていたジルギールよりも更に上背のある、小山のような男である。ジルギールが数歩離れ場所を譲ると、彼はにこにこと笑いながら、害のない様子で飛鳥の髪に手を伸ばした。肉厚のある掌が、軽く飛鳥の頭をあやすように撫でていく。
「けど、デンカ、金髪だったらいいんじゃないですか?」
「そうはいきません」
 更に、後方から別の声。冴え冴えとした響きに合う、如何にも怜悧そうな男が、切れ長の目を飛鳥に向けた。
「調査では、セルリアには金の髪の者はひとりでした。すなわち、王女エルリーゼです。替え玉はありえません」
「じゃぁ、このお嬢さんはなんで金髪なんだ?」
「考えられるのは、他国の者、ということです。そうなれば、レオット様の預言と違えます。セルリアの王女、でなくとも構いませんが、セルリアの金、ではあるべきです」
「そこだ」
 ジルギールが、目に困惑の色を戻した。
「金髪は滅多にいるもんじゃない。いや、それ以上に、他国の者が強制的に連れてこられたのだとしても、腑に落ちない」
「どういうことです?」
「俺を見ても逃げない。百歩ほど譲って、近づくのに耐えることは出来たとしても、怯えすらしていないのはおかしすぎる。おまけに、俺が俺だと判っていない」
 大男と鋭い目の男は、顔を見合わせて頷き、図ったように同時に飛鳥に目を向けた。
「……なるほど」
 眉間を開かぬまま、温度の籠もらない声が同意を示す。
「我々ならともかく、あなたと初めて対峙するにしては、奇異な反応と言えます」
「まず、ありえねぇ、ですね。確かに、状況の判っていないこの顔」
 値踏みするような強い視線を向けたまま、一歩、男は飛鳥に近づいた。僅かに仰け反り、飛鳥は彼を睨み返す。会話を黙って聞いている内、なんとなしに話の主旨は掴めてきていた。
 未だ黙っている男を含め、四人が――否、或いは明らかに丁寧な扱いを受けているジルギールが、彼こそが、飛鳥が生贄として捧げられる相手なのだろう。それは、この世界の者にとってはひとめ見て判るものであり、しばらく気付かなかった飛鳥は少なくとも、一国の王女ではあり得ないと判断された。
 彼らにとっての生贄の基準は、金髪。実際の所は、この国にいる金髪の者なら誰でも良かったというのが、真相なのだろう。
 ではなぜ、あくまで王女の代理ということに城の者は拘ったのか。単純な話、この世界では髪染めは出来ないのか、珍しい色であり、王女エルリーゼはその為だけにもともと生贄の対象となった。国の金髪の女性イコール、エルリーゼという図式しか成り立たず、その他の者であれば国民ではなくなり、つまり、条件が満たせなくなるのだ。偽物とばれる可能性があったというよりも、この国の者たちにしてみれば、ばれるのは承知の上、だったのだろう。
 しかし、それだけならば何も異世界から人を呼び出さずとも、他国の者を言い含めて身代わりにしても良かったはずだ。だが、実際にはそれは不可能だった。飛鳥がごく普通の対応をしただけで生贄を求めた当の本人が困惑するほど、この世界の普通の者なら怯えるべきことだったからだ。彼に捧げられるくらいなら死を選ぶ――ほどの、ことなのかもしれない。
 そこまで考えて、飛鳥はジルギールに目を移した。不思議そうに見返してはくるが、別段おかしなところはない。見た目、ただの好青年である。やはり、飛鳥には彼が恐れられる理由が分からない。そして、それこそがもっとも重要なことだったのだろう。
「――それで」
 口を開いた飛鳥に、再び視線が集中した。
「偽物の私は、結局どうなるんです?」
「どうも、なにも」
「やっぱり、ばっさり切り捨てられるとか」
 首の塩漬けは嫌だな、と思いながら、ジルギールを真っ直ぐに見据える。
「できれば、せめて苦しくないようにお願いします」
「――何を勘違いしているのか知りませんが、無関係の者をどうこうしようという気はありません」
 冷たい響きをもって、否定の言葉が割って入る。僅かに険呑な色を含んだ視線が、飛鳥に容赦なく突き刺さった。意外さより、むしろ苛立ちを感じながら、飛鳥は拳を握る。
「じゃぁ、どうするんです?」
 ジルギールが、ため息を吐いた。
「どうも、しない。俺の目的はあくまで、セルリアの金の者、だ。どうやって仕立てたのかは知らんが、偽物では意味がない。だから、あんたは自由だ。家にでも帰ればいい」
「家?」
「少なくとも、セルリア人じゃないんだろ。自分の国に帰るといい。言い訳なら、なんとでも立つはずだ。『黒』に遭ったなんて言わなければ判らない。なんなら、清めたらしい水をやってもいい」
「何を、わけ、わかんないこと……それに、自分の国って……、そんなとこ、ない。ここ、どこかすら判らないんだから」
「ここは、セルリアと他二国を隔てる国境だ。西に行けば、どちらかには着く。途中、遠くないところに街があるから、そこで帰り方を考えればいい」
「……」
「まぁ、身ひとつでは、さすがに無理か」
 言いながら、ジルギールは赤い髪の巨漢に目を向けた。男は心得たように懐から小さな袋を取りだし、飛鳥の手に握らせる。僅かな重み。状況と言葉から察するに、おそらくはこの世界での貨幣なのだろう。それが多いのか少ないのか、中身を見たところで飛鳥には判りはしない。
 どう言ったものか、言葉を詰まらせた飛鳥をよそに、鋭い目の男がジルギールに耳打ちした。
「よいのですか? この娘が何故何も知らないのか、何者なのか、はっきりさせずとも?」
「――知ったところで、何にもなりはしない」
 皮肉っぽく、ジルギールは薄い笑みを口元に浮かべた。飛鳥を莫迦にしたわけではないとは、判る。だが言い捨てられた言葉は、飛鳥の疳に抵触した。


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