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 一体、この世界の者たちは自分をどうしたいのか。煮え切らない苛立ちも混じり、飛鳥は思わず、ジルギールの袖を引いた。
「そりゃ、あんたにはそうかも知れないけど! 私はあんたたちへの生贄にって、こっちの事情おかまいなしに呼び出されたんだから! 好き勝手言わないでよ!」
 驚いて、ジルギールは他のふたりと顔を見合わせる。小さく頷いて、切れ長の目が飛鳥に、次いでジルギールに向けられた。
「セルリアは術に長けた国です。条件を設定して探し出し、辺境から、さして事情を知らない娘を連れてくるくらいはお手の物でしょう。そういう条件で呼び出したのかも知れません」
「離れた小さな島国なら、大陸の事情が伝わっていないこともあり得るが……、けど、恐れない、気付かないってのは、それでもおかしすぎる」
「違うって! そうじゃなくて、」
「まぁ、なんにせよ」
 疲れたようにジルギールは大きく息を吐き、改めたように飛鳥に向き直った。
「俺たちとは、違う道を行った方が良い。あんたの為だ」
 真摯な目に、飛鳥は思わず言葉を失った。
「巻き込んだことはすまなく思う。けど、これ以上被害が及ばないうちに、あんたは俺から遠ざかった方が良い」
「なに、それ……」
「帰る場所がないなら、作ればいい。だが、それは俺たちといる限り、不可能だ」
「わけ、わかんないよ……」
「いずれ、判る。いいか、絶対に、あんたが家を出てからのことや、俺たちに関わったことだけは口外するんじゃない」
 言い切り、自嘲気味に嗤う。
 突然何を言うのかと、飛鳥は茫然とジルギールを見つめた。訊くべき事はあるはずなのに、全てが頭の中で空回りをしている。
 短い沈黙に、ジルギールはふと目を細めた。何か言いたげに口を開きかけ、しかし結局、言葉にはせずに飛鳥に背を向ける。そうして立ちつくす飛鳥を後ろに、仲間らしき3人の方を促し、歩き始めた。
「――もう、いいんですかね?」
 大男が肩を竦め、ジルギールの肩越しに、ちらりと飛鳥を伺いやる。ジルギールは、少しだけ嗤ったようだった。
「ああ」
「ちょっと!」
 飛鳥は我に返り、声を上げた。そうして、慌ててジルギールの後を追う。頭の中では依然、さっぱり理解することの出来ない、それでいて意味深な言葉が走り回っている。
 せめて、彼らの事情くらいは説明して欲しい。せめて、世界のことを少しだけでも教えて欲しい。
「ねぇ、ってば!」
 短い草に足を取られ、よろめき、その場に膝を突く。短い悲鳴は、風にかき消された。ジルギールは、その仲間は、振り向きもせずに背を向けたまま遠ざかっていく。
 独り。
 彼らは、飛鳥を必要としなかった。その事実が、飛鳥を空白にする。一方的な理不尽な命令に従わざるを得ない状況でも、それでも飛鳥の存在には意味があった。生贄になるという目的が、確かに与えられていたのだ。
 だが彼らは、ただそれだけのために、否応なく連れてこられた飛鳥を否定した。
 ――何のために、私は。
 打ち付けた膝は、それでも命ある証として、痛みを訴えた。顔を歪め、飛鳥は遠ざかる背中を見つめやる。
 厄介な荷物を放るつもりだろうか、面倒なことは捨て置くつもりだろうか。
 否、と頭の隅で冷静な声がする。どこかでは理解しているのだ。人に恐れられる存在、だからこそ、彼らは飛鳥を遠ざける。それが、飛鳥の為だとして。或いはそれは、飛鳥以外の全ての者にとって、絶対的に正しいことなのかも知れない。
 だが今の飛鳥にとって、ただ捨てられることとそれが同義だと、彼らは知っているだろうか。
 飛鳥は顔を上げ、膝を立てる。立ち上がるためには、全身の力を使わなければならなかった。未だ不安定な体は、走ることすら拒絶する。飛鳥は、情けなさに悔しさに、ギリ、と奥歯を噛み締めた。
 遠ざかる背中。
 そうして飛鳥は、それが出来る唯一のことだとばかりに、腹の底から声を張り上げた。
「待って! っ、待てよ! ……ジルギール!」
 掠れた、悲鳴にも似た叫びが、荒野に響き渡る。目眩に霞む視界の中、ひとつの人影が驚いたように振り返った。遅れて他の影も立ち止まり、体ごと向き直る。
 荒い息を整えて、飛鳥は叩きつけるように言葉を吐いた。
「ふざけるな、……人を、なんだと思ってやがる!」
 震える手。拳に、爪が食い込んだ。
「勝手に殺して、勝手に連れてきて、用済みとなったらポイ捨てか!? タチが悪いにも程がある!」
「……俺たちが呼び出したわけじゃない」
「同じだろ、あんたたちが無茶な要求しなきゃ、あいつらも何もしなかったんだ。違うか!?」
 飛鳥は、無意識のうちに胸を押さえた。心臓の上、激しい鼓動が指先を叩く。叫ぶことはこんなに力を使うものなのだと、初めて知ったことのように飛鳥は苦い笑みを浮かべた。
 ――何かに必死になるということが、こんなに辛いものだとは。
 膝に空いたほうの手を付きながら、飛鳥は恨み言を口にする。
「あいつらが悪いに決まってる。だけど、あいつらには一方的だけど、目的を持ってた。あんたたちは、解放した気になって自己満足して、実はただ放り投げただけだって事に全然気付いてない」
「……」
「帰せよ……! 責任くらい、とれ! 私を、元の世界に帰せ!」
 苦しい。脆弱になった体は、飛鳥の激情に悲鳴を上げている。
 一種のヒステリー。だが、そうと判りつつ、飛鳥には自分でも自分を止める方法を見いだせなかった。
「要らないなら、……なんで」
 しゃくりあげる。涙が出たのは、けして同情を引くためではない。純粋に、ただ、悔しかったのだ。
 両手をついて、項垂れる。その耳が小さな音を拾ったのは、それから随分と後のことだった。
 いつの間に近づいていたのか。使い古された靴が、俯いた目に滲んで映る。
「……あんたは判らないっていうが」
 頭の上からの声。近い。戻ってきてくれた。この声が、ちゃんと人の耳に届いた。自分の側に、話を聞いてくれる人が居る。思う。――底知れぬ深い安堵が、胸を満たす。
 再び、否、今度は別の意味で熱くなった瞼を隠すべく、飛鳥は大きく息を吐いた。そんな彼女の感情の動きには気付いた様子もなく、低い声は淡々とした調子を崩さぬままに落とされる。
「どんな状況でも、俺たちと一緒にいるよりはいい。それは確かだ」
「知るか」
 そうだ、何も知らないのだ。
「あんたたちも、違う世界に飛ばされてみたらいい。息は出来る、言葉は判る、でも、それだけだ。生活は全然判らない。どうやって金を稼ぐのか、何が普通で何が非常識なのか、何が当たり前で、何がおかしいのか、全然判らないところに行ってみろ! 帰る所がないなら作ればいい、確かにそうだよ、だけど、どうやって作るんだ!? 道具ひとつ、食べ物ひとつ見ても、それがなんなのか判らない私でも、努力さえすれば死なずにできることなのか!? 言ってみろよ!」


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