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「……身代わりだったから、駄目だと言うの?」
「そうは申してはおりません。セルリアに来た金の髪の者を渡したことは確かです。『セルリアの金』であることは間違いありません。ただ、それを彼らがどう受け取るかは、今後様子を見ないことには何とも申せません」
 嘘だった。『黒』が今後取る行動など、敢えて想像するまでもない。詭弁を弄したところで、偽物を送りつけたことは事実なのだ。彼らは、怒り狂うだろう。
 その可能性すら誰も口にせず、子供騙しのような方法で身代わり、或いは生贄を仕立て上げたのは、誰もが現実から目を逸らした結果だろうとラゼルは思う。先送りにした問題のツケは、いずれ必ず襲い来る――文字通りに。
 一歩引いたところから王宮に降って湧いた騒動を見つめつつ、ラゼルはいずれ来る対峙の瞬間を瞼に浮かべていた。結局、この王宮は『黒』の脅威から逃れられないのだと自嘲する。
「ラゼル」
 掠れた声に、ラゼルは何度か目を瞬いた。そうして、過去に落ちかけた意識を現実に戻す。
 高価なドレスに皺がつくほどきつく握りしめ、エルリーゼは揺れる目をラゼルに向けた。
「何故お父様は、あのような一方的な要求を、呑んだのかしら。いくら、相手が狂気の黒だとは言え」
「彼らの要求の書面をご覧になりましたか?」
 蒼褪めた顔で、エルリーゼは首を横に振った。
「正式な依頼文書でした。グライセラからの」
「グライ……セラ!?」
「はい」
 頷きつつ、ラゼルは大陸の地図を脳裏に描く。大小10以上もの国が領土の安寧と拡大を求めて睨み合う、戦乱の大陸。セルリアはほぼ中央に位置する小国、比べてグライセラは南西を支配する大陸一の大国、比べる対象にもなり得ない国力差が領土の距離以上に両者を隔てている。
「協力要請です。もっとも、我々にしてみれば、断ることなどできはしない、強制と同じですがね」
「……何者、なの」
 美しい顔が引きつり、艶やかはずの金の髪が、色を失う。彼女は気付いた、そう思いながら、ラゼルは重い口を開いた。
「グライセラ王の甥、つまり王族であると、そう、聞いております」
 紅唇から発せられたのは、薄い硝子の砕ける、儚い音にも似ていた。



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