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 (2)

「ジルギールって、王子様だったの?」
 驚いて、飛鳥は引きつった声を上げた。冗談かとジルギールを眺め回し、真面目な顔に行き当たってあんぐりと口を開ける。信じられないという意味の驚きではない。まさか本当にトリップ系異世界ファンタジーのお約束を踏襲するとは、と呆れたのだ。
「正確に言うと、そんな大層なもんじゃない」
「でも、育ててくれた人が王様なんでしょ?」
「伯母が女王というだけだ。俺の国じゃ、王は血統では決まらない。ただ、国を守る力を持っているかどうかで決まる。伯母が俺にいろいろ融通を利かせてくれるだけで、俺自身は別に、そういう意味で重要な位置にいるわけじゃない。だから、王子だとかに見えなくても当たり前だ」
「あ、そうなんだ。じゃなくて、ごめん。別に悪い意味で言ったんじゃないから」
「どうでもいいけど。……あんたが異世界人だってことの方が、よっぽど意外だと思うけどな」
「ん? 異世界人って、信じてくれたんだ? ときどき凄い変な顔するから、まだ疑われてるんだと思ってた」
「実際、召喚術はあるからな。禁術だけど。それより、なんだ、変な顔って」
 どことなく拗ねたように口を尖らせたまま、ジルギールは半眼で飛鳥を睨みやる。乾いた笑みを貼り付けつつ、飛鳥は肩を竦めて誤魔化した。
 今は荒野から最も近い街に移る途中の道。これまでの経緯をジルギール達に全て話した飛鳥は、当分、基礎知識を身につけるまでと言う条件付きで行動を共にすることとなった。歩きにくいドレスから貫頭衣に似た簡素な服に着替え、比較的軽い荷を背負いながら、飛鳥はジルギールの横を歩く。他の三人はジルギールの護衛のような形で時々場を離れるため、自然この位置に定着しつつあった。
「王族って他の国をうろうろしていいの? 狙われたりしないわけ?」
「好き勝手に動くのは褒められる事じゃないな。だけど、一応、セルリアに行くと告げてはあるし、第一、俺を狙ってくるような奇特な奴はいない。それに、護衛もちゃんと付いてるしな」
 言い、ジルギールは少し離れて歩く三人に目を走らせた。
 今、比較的近くで周囲に目を光らせているのは青い髪のラギである。他のふたり、オルトやユアンは飛鳥と目が合うと、ぎこちなくではあるが笑い返してくれるものだが、彼だけはいっかな、異質なものを見る目を変える様子がなかった。
 自分の存在の異常さを理解している飛鳥ではあったが、そうなった原因は飛鳥にはない。彼らの荷物になっているという事実には気が滅入るものの、さすがに、あからさまに厄介者扱いされるのは神経に障る。
 ラギから目を逸らした飛鳥を見て、ジルギールは話題を変えるべく、少し声を大きく上げた。
「で、通貨は覚えた?」
 道すがら、飛鳥はジルギールに様々な教えを請う。さして嫌な顔もせず、――むしろいい暇つぶしだと言わんばかりに丁寧に説明してくれる彼の存在は、飛鳥にとって非常にありがたいものだった。
「うーん、まぁ、だいたい……」
「まぁ実際、町で見てみるのが早いとおもうから、焦らなくて良いよ」
 単位が十進法だったこともあり、数値に関してはそう苦労することなく頭に入っていく。物の価値については、地球とさして変わりないようだった。飛鳥の感覚では食物は比較的安いが、日用品を含む物価は高めという印象である。
「特産物は安い。季節によって値段は大きく変わる。当然、凶作が続けば、国力のない国では穀物の価格がかなり高騰するな。グライセラは海にも面しているし、内陸方面でも河とでかい湖があるから、雨や水にあまり困ったことはない。けど、ここセルリアは完全内陸国だから、天候にまともに左右される」
「砂漠もあるんだっけ?」
「大陸の真ん中から西方面に大きいのがな。この荒野もいずれそこに続く。こういうところじゃ、水はかなりの貴重品だな」
「私が飲んでるぶん、減ったりして大丈夫?」
「気にしなくて良い。基本的に、俺がいればそのあたりは問題ないから」
「どういうこと?」
「ま、いろんな意味で」
 苦笑しつつ、ジルギールは頭を掻く。誤魔化されていると思いつつ、飛鳥には追及する術がない。
 共に行動を始めてから3日経過した今でも、実は飛鳥は、ジルギールが皆に恐れられる理由を知らずにいる。勿体ぶっているわけではなく、なんとなく説明しづらいようだった。他の三人は、ジルギールに全て委ねている様子である。
 ただ、ジルギールが化け物だと一目で認識される理由については、飛鳥も推測ではあるが把握していた。彼らが飛鳥の、或いはエルリーゼの金髪について言及していたように、この世界の何らかの重要な基準が髪の色にあるのだろう。『黒』の化け物、そしてジルギールの髪は夜を切り取ったように黒い。――もっとも、それに勘付いたところでそれが何を意味するのか、飛鳥には判りようもないのだが。
 僅かに落ちた沈黙の合間に、飛鳥は再び、少し離れて周りを歩く、3人の青年に目を遣った。
 紅い髪の大男、オルト・フィエダ。翠の髪の穏やかな青年、ユアン・オルステラ。近寄りがたい怜悧な雰囲気を纏う、蒼い髪のラギ・バルワーズ。全員20代から30代に見える男たちだが、共通点はジルギールの供をしているということだけで、別段仲良くしている様子もない。ジルギールとの関係も双方つかず離れず、強いて言えば、淡々と任務をこなしているという印象だった。彼らのことも、飛鳥はよく知らないままでいる。
「殿下」
 癖のある長い翠の髪を揺らせながら、小走りに駆け寄ってきたのはユアンである。
「あと小一時間ほどで町に着きます。少し早い時間ですが、どうなさいますか?」
「あまり長く滞在するわけにはいかないだろう」
 空を見上げて、ジルギールは短く息を吐き出した。
「俺は町の外で狩りでもしてるから、お前達はアスカを連れて先に宿を取っておいてくれ」
「わかりました」
「時間があるようなら、町がどんな感じなのか、見せてやってくれ」
「ジル……ギールは? ジルギールも休めばいいんじゃないの?」
「俺は、行けない。ギリギリまでな」
「?」
「宿に落ち着いたら、全部話してやるよ」
 まだ見えもしない町を睨むように、ジルギールは遠く、目を眇めた。

 *

 堅牢な高い外壁を見上げて、飛鳥は感嘆の声を上げた。町が壁によりはっきりと区切られている光景は、日本ではまずお目にかかれない。重々しい門の横に立つ番兵らしき男を見て、ゲームの世界に紛れ込んだようだと飛鳥は呑気に考えていた。
「どこの町もこんな感じで、境があるんですか?」
 お上りさんよろしく、キョロキョロと周りを忙しなく見回しながら、飛鳥は隣を歩くユアンに声を掛けた。町に入ってすぐ、オルトは買い出しに、ラギは宿を探しに散っており、今はふたりきりである。元々人見知りするタチではないが、柔和な印象のユアンが残ってくれたことは飛鳥にとってありがたいことだった。


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