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「国にも因りますが、大きな都市は大概外壁がありますね。小さな村でも、一応区切りのような柵くらいは建てられていますよ。と言っても、町や村の外には畑も広がっていますし、どこから何々村、というのはあまり明確ではありませんね」
「この町の外は荒野だから、はっきりしてるってことですか?」
「というよりも、この町がセルリアの一番東の端にあるからですね。小さな村なら、アスカのいた場所の近くにもありましたが、人が集うという意味ではここが東端になります。国境には拠点もありますが、あくまで監視塔のようなものですし、実質、隣国に攻め入られたときの第一防衛地点になります。なので、セルリアの軍もこの町に拠点を持っていますよ」
「……それって、私がいるの、バレちゃまずいんじゃないですか?」
「いいえ? あなたは、セルリアから殿下に渡された方ですよ? 私たちと居るなら、なんらおかしいことはありません。まぁでも、髪は一応隠して置いて下さい」
 にこりと笑いながら、ユアンは飛鳥を露店の並ぶ市場へと誘導した。
 所狭しと並ぶ品、雑多な雰囲気、行き交う多くの人々。その殆どはセルリア人であるらしく、飛鳥の感覚で言う目鼻立ちのはっきりした欧米系の顔をしていた。おそらくは地元の者なのだろう。
 全体的な印象として、地球と大きくかけ離れた雰囲気はなかったが、やはり、髪が色とりどりというのは、飛鳥の目には異様だった。ユアンやオルトほどはっきりした鮮やかな色はなかったが、低彩色ながら、紫や藍、黄緑といった色も多い。
 それでもやはり金髪、もしくはそれに近い鮮やかな髪の者はいなかった。
「こちらにどうぞ」
 慣れた様子で、ユアンは雑踏の中を進む。
 土壁の建物に沿うようにして店は展開されているため、迷うように入り組んだ狭い道はなかったが、それでも人の多さも相まって視界はかなり悪い。はぐれないようにと気遣ってか、ユアンは飛鳥の手を握って歩いている。あまり方向感覚に自信のない飛鳥は、わずかに気恥ずかしさを覚えつつ、素直に厚意に甘えることにした。
「定価、ちゃんとあるんですねぇ」
 市場と聞いて中近東のバザール、もしくはスークを想像していた飛鳥は、店先の品に値札が付いていることが意外に感じられた。品名は判らないものの、数字程度はジルギールの教えもあり読むことができるようになっている。
「こういうの、交渉して決めるんだと思ってました」
「そういうところもありますよ。ただ、ここセルリアや我がグライセラは国が品の値段をきちんと管理していますので、一応基本価格が存在します。でも、あくまで基本ですから、値段交渉は普通に行いますよ。たまに喧嘩になりますね」
「ユアンさんが?」
「まさか。私はそんなヘマはしません。やるのはオルトですね」
「はは、なんか想像つく……」
「ところで、私のことはユアンで構いませんよ、アスカ。それに、丁寧語で話す必要もありませんよ」
 気さくな調子で笑い、ユアンは細めた目を飛鳥に向けた。人懐っこい、柔らかな笑顔である。ジルギールもそうだったが、彼ら一行の顔立ちはセルリアの人々に比べてアジア系に近い。そこに飛鳥は、見慣れたものに対する安堵を覚えるのだった。
「やー……、年上の人にタメ口はちょっと」
 ジルギールへの言葉だけが崩れているのは、はじめに口悪く罵ってしまったのが原因だった。同年代という印象もあり、今更丁寧に話す気がおきないというのが正直なところである。
「ユアンってのは名前ですよね」
「そうですよ」
「こっちの人は、基本、名前で呼ぶんですか? 私のいたところじゃ、基本は苗字だったんだけど」
「個人的に呼ぶときは名前の方、ですね。でもはっきりとした上下関係があったり、階級を付けて呼ぶ方が正しいときは、苗字ですね。私もグライセラで軍事に就くときには、上司からは名前呼び、部下からはオルステラ隊長、とか言われますよ。なので、ただのヒラ兵士から初めて隊長格に上がったとき、部下から苗字呼びされて、ものすごくくすぐったかったですね」
「へぇ、私のとこは逆ですねー。仲良くなって名前で呼ばれるようになると、はじめはすっごい照れくさいです」
 くすくす笑い、飛鳥は数人の友人を思い出す。不思議と懐かしさと寂しさを覚えないのは、まだそこまでの余裕がないためだろう。当座の生活のために覚えることは多く、そういった意味で今の飛鳥に落ち着ける時間はなかった。
 そういえば、と今更ながらに疑問が浮かぶ。
「私、ジル、……ジルギールのこと名前で呼び捨ててますけど、私も殿下って言った方がいいんですか?」
 何気ない――ある意味聞くのが遅いほどの質問だったが、ユアンの反応は多分な動揺を含んであまりにも過敏だった。あからさまにぎよっとしたように、笑みを凍らせて飛鳥を見遣る。
 雑多な人混みの中、思わずといった様子で立ち止まったユアンは、流れのままにぶつかってきた人の衝撃で、はっとしたように顔を強ばらせた。
「――すみません」
 気まずげに謝罪を口にして、ユアンは飛鳥に再び歩くように促した。何かまずいことでも言ったのだろうかと、飛鳥は不安げに彼を見上げる。それを認めて、ユアンは幾分ぎこちない笑みを浮かべた。
「そういうこと、訊かれるとは思っていませんでしたから。……でも、何も知らないんですから、当然ですね」
「あなたたちが、教えてくれないから訊いてるんです」
「そうですね。私たち、この大陸の人間なら、まず考えないことですから」
 一拍、言葉を詰まらせてからユアンは躊躇いを含んだまま口を開いた。
「我が国のエルダ陛下ともうひとかた以外、殿下のことを名前で呼ぶ人間はいませんよ」
「……それは、王族ってのはそういうものだから、じゃないですよね。今、王様の名前呼びましたし」
「ええ。普通王族は名前に敬称をつけて呼びます。ただ、殿下に本来、名前はありません。呼ぶことはありませんから」
「名前がないって、不便以前の問題ですよね?」
 名前がないということは、一個人として認められていないことと同義。人権に関わってくる問題だろう。
 飛鳥の不快感を含んだ訝しげな目に気付いてか、ユアンは気まずげに遠くに視線を彷徨わせた。
「アスカには実感ないと思いますが、彼はそういう存在なのです。私たちは慣れた方ですが、それでも彼が怖い。名前を口にすることで彼を呼ぶような気がして、口に出来ないのです」
「ユアンたちは、ジルギールの部下なんでしょ?」
「正確には、彼の見張りですね。――付き合いは長い、そのぶん彼と親しくもありますが、根本のところで、馴れることができないのです。これは、この世界の人間の持つ本能に近いのでしょう。いくら普段彼が普通の人と変わりないと判っていても、駄目なのです」
「……私、この世界に来たときに、世界に馴染むように体を作り替えられたって聞きましたけど、それでも何も感じませんが」
「体の組成が変わっても、精神的には前と同じなんだと思います。強いて言うなら、魂に刻まれている、という感じなのでしょう。私たちは、本能で彼を畏れます」
「そういうの、なんか可哀想ですね。その、哀れむとかじゃなくて、自分じゃどうしようもないところで、人から避けられるのって」
 不潔にしている、意地が悪い、だらしない、などと言った、どうとでも根性次第で直せるところが嫌われるのは仕方がないと飛鳥は思う。だが、生まれつきあって変えることの出来ないところで、人から一方的に忌避されるというのはどうにも、傍目から見ていても辛い。


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