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 だが、黙っていたもう一人の感想は辛辣だった。
「女性の趣味すら考えられないのか。たまには、周囲の情報を集める努力ぐらいした方が良い」
 ラギの言葉に、さすがにオルトも口を尖らせた。
「んなこと言ったってなー。アスカの趣味とか判るわけねーだろ。だったら、ユアンに買わせりゃ良かったんだ」
「アスカを連れていた私が、ですか? 断言しても構いませんが、自分の服を大量に買うとなれば、アスカはまず、遠慮して欲しいものを選ぶことなんてできないと思いますよ」
「なんでだよ。こっちが買ってやるってんだから、いーじゃねぇか」
 何とも言い難い表情で口を尖らせたユアンに代わり、ラギが低い声で反論を述べる。
「お前のように、平気で人の金を使える人間ばかりでは、ない」
「じゃぁ、お前が買えば良かったんじゃねーの?」
「ごめん被る」
 心底嫌そうに、眉間に皺を寄せるラギ。そこまで嫌がらなくてもいいじゃないかと、飛鳥は口をへの字に引き結んだ。けして、飛鳥は、好きで現状に陥ったわけではない。
 その様子に気付き、ユアンがラギの袖を引く。
「ラギ、あなたは少し、言い方を考えた方が良いかと思います」
「言葉を飾り立てたところで、言っている意味に変わりはない」
「それは、そうですが」
「私たちは、いつも通りに任務を遂行する義務があるはず。ひとり余計前が加わったことくらいで、役割を乱すわけにはいかない。物資調達の役はオルトの役目であって、想定外の荷物が増えたからと、私に振られるいわれはない」
 きっぱりと言い切った様子は、エリートコースまっしぐらの社会人を彷彿させる。眼鏡を掛けていたとしたら、言葉の最後に中指でブリッジの部分を上げる姿が様になっただろう。
 だが、その冷たく非好意的な視線を向けられる飛鳥の心境は複雑である。
「……荷物、ねぇ」
「気にすんな」
「わっ」
 突然割り込んできた声に、飛鳥はぎよっとして振り向いた。つられたように、横にいたユアンも柱の影をのぞき込む。
 いつの間現れたのか。門の外側に凭れて立っていたのは、外套のフードを深く被ったジルギールであった。
「ごめん。待たせた」
「ううん。私たちも今来たばっかり。……いきなり声がしたから吃驚した」
 ひとつ息を吐き、顔を半ばまで隠したフードの下から見上げると、ジルギールは少し笑ったようだった。もともと、驚かせるつもりで秘密裏に近づいたのかも知れない。
 意外に子供っぽいところがある、と飛鳥は軽く肩を竦めた。そうして何気なくジルギールの全身を見回し、呆れたように口を開ける。
「なんか、すごい汚れてない?」
「え? ――ああ、うん。ちょっと、はりきって狩りに精を出しすぎたかな」
「狩り?」
「人を襲う類の野生の獣が、結構街の外にうろうろしてるんだ。毛皮も採れるし、内臓や骨格は薬にもなるし、治安維持にもなるし。凶悪な奴ほど高く売れる。ただ、人の多い所にはやっぱり少ないから、これからの資金集めをやっとこうと思って」
 思わず、飛鳥は手にした袋に目を落とした。その動きを見咎めて、ジルギールは困ったように眉根を下げる。
「それは、気にしなくていい。少なくとも町まであんたを連れて行くって決めたのは俺たちだし、決めた以上は最後まで面倒見る、それが筋だろ?」
「……まぁ、そうだけど」
「それに、あんたは好きでこの世界に来たわけじゃない。俺たちには俺たちの理由があるから、大っぴらに同行に賛成するわけにはいかないけど、アスカの言い分が間違ってないのも確かだ。無理矢理呼び出したのがこの世界の住人である以上、あんたはきちんと見返りをもらわなきゃいけない」
 笑って、ジルギールは手にしていた大きな麻袋をオルトの前に置く。彼が離れて飛鳥の横に戻ったのを見届けてから、オルトはそれに手を伸ばした。中を確かめて、再び雑踏の中に戻る。
 ジルギールが獲り、オルトが売りに行く。他の二人になんの合図もなかったところをみると、それはいつものことなのだろう。今から売れるのかと飛鳥は首を傾げたが、夕闇迫る中、市は売り残しを捌く呼びかけが、声高に飛び交っている。野獣を引き取る店も、ひとつぐらいは開いているだろう。
「まぁ、アスカは本当に、気にしなくて良いですよ」
 飛鳥の目線を追いつつ、ユアンが口を開く。
「正直、金銭には全く困っていませんので。殿下の狩る獣は、大概高値で売れるんですよ。それよりも、殿下のおっしゃった通り、私たちの勝手な都合にアスカを一方的に巻き込んでしまったことを、ちゃんと謝らせて下さいね」
「でも、私を呼んだの、ユアンたちじゃないでしょう? ……その、罵っておいてなんだけど」
「間接的には私たちの責任ですしね」
「それに、アスカは呼び出した奴らをぶっ飛ばしに行くんだろ? そしたら俺は、後でそいつらから旅費を倍返ししてもらうさ」
 軽い口調で挟まれたジルギールの言葉に、飛鳥は口元を緩めた。――確かに、それが妥当だろう。現実味はないが、取れるものなら慰謝料も取ってしまいたい。
 改めてジルギールに目を向けた飛鳥は、ふと、あることに気付き首を傾げた。
「お金、余裕があるなら、ジルギールも外套を買い換えた方がいいんじゃない? だいぶ、くたびれてるみたいだけど」
 何気ない、ある意味誰もが思うに違いない疑問に、しかし、何故かユアンが体を強ばらせた。ジルギールの方は、皮肉と寂寥を混ぜたような複雑な表情で飛鳥を見つめ返す。
「これには、結界術が掛かってる。ただの外套じゃないんだ」
「あ、そうなんだ。身を守る魔法……じゃない、術がかかってるってこと?」
「むしろ、逆かな」
「……逆?」
 身を守らない魔法、つまり、纏った本人を傷つける魔法が掛かっているということになる。呪いの防具ではあるまいに、と飛鳥は眉根を寄せた。
 ジルギールは苦笑する。そうして、何事か言いかけ、
「殿下」
 それまで黙っていたラギの呼びかけに、彼は結局口を閉ざした。
「オルトが戻ってきました。準備をなさってください」
「――ああ。判ってる」
 堅苦しい物言いに、しかつめらしい表情、それに合わせたように、ジルギールの声も硬質を帯びる。眇められた目は、雑踏の中でも目立つ、鮮やかな朱い髪をもつ大男に向けられた。
 狩りの戦利品はすぐに売れたのか、オルトの手に麻袋はない。代わりに、その後ろに中年太りの目立つ、禿頭の男が付いて歩いていた。オルトや周囲の町民、旅人に比べれば、随分と豪奢な衣装を身に纏っている。彼の更に後ろには、甲冑姿の兵の姿も見受けられた。
 ものものしい雰囲気に、何事かと雑踏が揺れる。
「アスカ、少し離れてろ」
 ジルギールの低い声に、飛鳥は頷いて距離を空けた。足早に近づいたオルトに合わせるように、ユアンとラギがジルギールの側に寄る。禿頭の男はジルギールの前、一定の距離を置いて立ち止まった。
 それを認め、周囲を一瞥し、ジルギールが外套を脱ぐ。
 途端、図ったように訪れる静寂。有り得ないほどに、周囲の全ての音が、一瞬にして消え失せた。息を呑んだという、生半可なレベルではない。恐怖に引き攣って声が出ない、そういった、畏れと緊張を孕んだ鋭い沈黙である。


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