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「アスカは飲まないのか?」
「うーん? 飲めるはずだけど、まだちょっと、時々体が言うこと利かないことがあるみたい。負担になりそうだから、やめとく」
「そうだな。無理はしない方が良い」
 頷き、ジルギールの方は一気に杯を呷る。躊躇の欠片もないところを見ると、彼にとっては水と同じようなものなのだろう。この世界の人間が全てそうなのか、ジルギールが特別なのかは判らない。他の三人は、今は扉と壁を隔てた廊下か別室にいる。それぞれ、久々の宿にくつろいでいるようであった。
 壁の一方が大きく開かれたバルコニーから、砂を含んだ風が緩やかに吹き込んでくる。丁度、地球で言う中央アジアに古くからあった、アイヴァンという家屋の構造に近い。
 昼に暖められた地上に、完全に夜の冷気が落ちる直前の、何とも心地よい時間帯である。
「ジルギール」
 杯を置いたタイミングを見計らって、飛鳥はジルギールに声を掛けた。このまま休んでしまいたいほどに、気持ちが良い。しかし、これ以上、疑問に対する回答を先送りにされるのは、それ以上に我慢ならないことであった。
「それで、話してくれるんでしょ?」
 はっきりと告げた飛鳥に、ジルギールは複雑な表情を返し、迷うように指を組み変えた。
「正直、だいたいのところは判ってると思う。だから、何を言われてもそんなに驚かない自信があるから、全部教えて頂戴」
「……うん、まぁ、そうだな」
 僅かに躊躇いを残しつつ、ジルギールは真面目な色を宿した目で飛鳥を見返した。
「なら、最初に。俺が忌避されてるのは、判ってくれたか?」
「うん、まぁ、さすがに今日のあれはね」
「そう。じゃぁ、今日まで待った甲斐があった。俺がどんだけ化け物で、危険な存在で、皆が近くに寄るのも、触るのも、勿論目を合わせることも喋ることも避けてるって、言葉だけじゃ説明し辛いからな」
「それ、ちょっと自虐に過ぎない?」
「単なる客観的な意見だよ。俺もまたこの世界の住人だから、そうされることも当然だって判ってる」
「――なんで? 同じ人間なのに、おかしいとは思わないの?」
 焦れったい憤りを感じつつ、飛鳥は口を尖らせた。ジルギールは少し考えるように頭を傾け、しばらく間をおいて口を開く。
「じゃぁ聞くけど。例えば、如何にも粗野な風貌をしていて、血まみれの剣を抜き身で提げて、それでいて狂ったようなおかしな言動をしながら、泡吹いて歩いてる奴を見かけたら、アスカは声を掛けるか? 目も合わせずに逃げるんじゃないか?」
「それは……」
「だから、俺という存在は、この世界の者から見たら、そういう人間なんだ」
 極端な、しかし分かり易い例えに、飛鳥は口を噤む。ジルギールはそのように見えない、そう主張するのはこの際無意味だろう。彼の出した例えに飛鳥を加えるならば、五感を全て失った人間として登場しなくてはならない。つまり、何も感じることの出来ない者だから、危険性が判らなくて当然、という具合である。
 その、自分には判らない、人々が怯える理由を聞くために居るのだと、飛鳥は改めて姿勢を正した。
「エルリーゼ姫は、ジルギールの事を『狂気の黒』って言ってた」
「うん」
「それはつまり、今はまともに見えるジルギールが、突然暴れ出すか何かしてもの凄い被害を出すって事?」
「なかなか、察しが良い」
 目を細め、ジルギールは口の端を曲げる。
「でも、それを話す前に、この世界の力の仕組みを説明した方が良いかな」
「力の仕組み?」
「うん。ユアンが言ってたけど、多分、アスカのいた場所には全くなかった仕組みだと思う」
 そうして、ジルギールの語ったことは、飛鳥にとってはまさしく突拍子もないことだった。
 この世界、星という概念はなく、巨大な大陸に名前があり、それが世界の全てと認識されている。大陸には幾つもの国があり、その中でも小国としてなんとか成り立っているのが、飛鳥たちの今居るセルリア。対して、ジルギールたちの故郷グライセラはかなりの大国として栄えている。地図の上でもそれは判りすぎるほどに明らかだった。セルリアが、王家の姫を差し出すように強要され、はね除けることが出来なかった理由は、そこにあるのだろう。
「各国には民族性があるし、顔立ちや身体的な特徴、生活習慣も微妙に違うけども、ひとつだけ共通点がある」
「……髪の毛?」
「そう。具体的に言えば、髪の色に力が示されるってこと。言ってみれば、生まれたときに、将来その子がどういう力をどこまで持つことが出来るのか、全部決まってしまうっていう不文律。それは一生、変わることがないんだ」
 赤、緑、青の三つの色を基本とし、それぞれの色に応じた才能を人は持つ。どれだけ濃い色を持つ者でも上限があり、三つの力の合計が100パーセントを超えることはないとのことだ。つまり、赤の才能を50、緑の才能を50持つ者は、青の才能を全く持たないという具合である。逆に下限はないに等しく、白ではないが極めて薄い色持ち、というのは珍しくはない。むしろ、濃い色を持つ方が稀なのだという。
「基本的に、色は能力を表す。赤は攻撃特化、青は補助特化、緑は治癒特化。混ざった色、つまりちょっと濁った紫とかは攻撃も補助もいけるけど、どちらの最高峰にも至れない、ってところかな。これは、身体能力にも術にもこの才能は反映されるんだ。判りやすいところで言うと、オルトかな。あいつは攻撃力、腕力とか、攻撃系の術の威力は半端じゃないが、反面、治癒術なんかは使えないし、案外持久力もない。傷の治りも遅ければ、病気にも罹りやすい」
「……なんか、すごく意外なんだけど、それ」
 胡乱気に飛鳥が目を細めると、ジルギールも同意を示すように頷いた。巨漢であるオルトが、実は体が弱いなど、本気だとしても笑うしかない。
「頭の良さとかは、結構環境に左右されるから、そんなに能力差としては出ないかな。けど、勉強は所詮、性格が大きく反映するから、例えば、気短で大雑把なのが多い赤には、あまり頭脳労働に就いてる奴がいない」
「判った、頭いい人が多いのは、青でしょ」
「まぁ、見たまんま、だ」
 否定せず、ジルギールは笑う。その流れで行けば、慈善活動に参加しているのは、緑色の者が一番多いに違いない。
 そこまで思い、飛鳥はふと、これは加法混色だな、と思った。絵の具の色を表す――印刷上の三原色は、今のところシアン、マゼンタ、イエローでそれに黒が混ざって様々な色を出せるとされている。だが、彼らの髪の色についてはこれが当て嵌まらない。何より、CYMK場合は黒が同列となっている。ジルギールの現状を思えば、それは有り得ない。
 光の三原色を考えれば、三つの色が合わさった場所は白くなり、全くない場所は黒となる。つまり、黒は三原色の色の外。
 さすがに、真正面からそれを指摘するのは憚られ、飛鳥は別の疑問を口にした。
「でもさ、そしたら別に黄色――私の髪も珍しくないはずじゃない?」
「くすんだ黄色、ならね。鮮やかな黄、黄金はやっぱり特別扱いされる」
「特徴は?」
「能力から言えば、特化したところはないな。ただ、今の飛鳥にはもっとも当て嵌まるかもしれない」
「どういうこと?」


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