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「つまり、『黒の守護者』とかに関する資料とかを探してるってこと?」
「まぁ、簡単に言えば、ね」
「神話級のことを頼りにって、なんかもう、当てがないのと同じだと思うんだけど」
 他人の事に難癖をつけてるようだ、と気付いたのは発言を口にしてからのことである。気を悪くしたのではないかと飛鳥はジルギールの顔を窺ったが、彼はただ苦笑しただけのようだった。
「正直、本当なら俺も、そんな当てもないものを求める気はないんだけど、……今、国にもうひとつの伝説が実在してるから、ちょっと、信じてみる気になった」
「伝説?」
「『白の占者』。陛下の双子で、グライセラの王宮占術師をやってる白髪の男。今まで現れたことのなかった存在だったから、伝説ですらなかったけどな。だけど、今、現実に存在する。だから俺も、雲を掴むような話をちょっと信じることにしたんだ」
 白は吉兆、故に、生まれるはずのない男でも、人は受け入れることが出来たのだろう。
「普通の色持ちの能力は勿論ないし、『白』の女の持つ特殊な結界能力もない。代わりに、予知能力に優れている。明確な予言は無理だけど、言ったことは絶対に当たる」
「もしかして、セルリアの姫を寄越せって言ったのも、その人が予言したから?」
「うん、王女とは限定しなかったけど、セルリアの黄金が手がかりになるってレオット――その、『白』の男の人に言われたんだ。で、陛下を通してセルリアに、黄金の者を貸してくれと申し込んだら、拒否されなかった代わりに、アスカが迷惑被ることになったってわけだ」
 黒の守護者を捜す手がかり、それがセルリア唯一の金髪の持ち主であるエルリーゼ姫にある。飛鳥もまた今は金髪を持つが、確かに、予言の条件には当て嵌まらない。ジルギールと出会ったときに察し、把握した背景に間違いはなかった、と一応喜んでおくべきだろうか。
 黒、と呟き、飛鳥は短くため息を吐いた。
「黒って、私、好きな色なんだけどな」
「……そいつは、どうも」
 少し、返事までに間が空いたのは、おそらく照れが入ったためだろう。驚いたような困ったような、しかし少し紅くなった目元が如実にそれを示す。飛鳥にとっては故郷でなじみ深い色。別段愛想で言ったわけでもなく、極めて率直な感想だったのだが、彼にとっては聞いたこともない科白だったのだろう。
 なんとなく流れてしまった、こそばゆい空気に耐えきれず、飛鳥は目を泳がせた。昨今この手の、芯の通った真面目な、落ち着いた雰囲気の青年というのは、同年代には珍しい。
 微妙な沈黙の後、飛鳥は無理矢理のように口を開いた。
「ねぇ、ちょっと話は戻るけど、いい?」
「え? ああ、何?」
 僅かに動揺を残しながらも、ジルギールは顔を上げてはっきりと頷いた。飛鳥もまた、気を取り直して、ひとつ、咳払いをする。
「今までも『黒の守護者』とかその手がかりを捜してたわけだよね」
「うん」
「じゃあ、今までの予言は当たらなかったの? 絶対に当たる、はずだよね?」
「いや、占って貰ったのは、今回が初めてなんだ。本当は、国の動く方針を補助するためのもので、個人的なことに使ってはいけないんだ。レオットの予知能力は、一度使えばしばらく、――長くて半年、使えなくなるから」
 的中の能力であるからこそ、制限も大きいということか。確かにそれでは、気軽に力を使うことは禁じられても仕方ないだろう。
「それじゃ、今回は、なんで特別にやってもらえたの?」
 何気なしに発した疑問に、しかし飛鳥は、すぐに後悔を覚えることとなった。
 ジルギールが、自嘲とも苦笑ともつかぬ笑みを口元に浮かべ、飛鳥を見遣る。続いた言葉は、微かに掠れていた。
「……最後の情け、ってやつかな」
 飛鳥は、はっと息を呑む。
「レオットも『白』だから、基本的に俺のことは恐れない。だから、同情して占ってくれたんだと思う。これが、最後の旅になるから」
「……なんで? オルトさんやユアンさんを、これ以上連れ出すのを反対されてるから?」
 違うと判りつつ、飛鳥は慰めにも似た考えを口にする。
 ――彼は、知っているのだ。
「力が急激に増してる。俺が狂うのも近い。だから、最後。この旅自体が無茶だし、我が儘で、皆に迷惑をかけるのも判ってる。だけど、レオットが周囲の反対を押し切ってやってくれた占いだ。無駄にはしたくないし、俺も、少しは足掻いてみたい」
 最大限の厚意、人生最後の賭け、だからこそ、中途半端に済ますわけにはいかないのだろう。
「今回の旅が終わったら、陛下が情けを下さることになってる」
「情けって、……」
「狂気に走る前に、人としての死をもらえるんだ。最後に、特別な旅にも出してくれた。陛下には、これだけのものを借りていて、何一つ返せていない。それだけが辛い」
 どこか寂しそうにジルギールは目を伏せる。言葉に、嘘はないだろう。
 だが、全くの本音でもないと、飛鳥は思った。心から、一部の動揺もなくそう思っているなら、何故、彼は自嘲するのか。何故、辛そうに顔を歪めるのか。問いかけたい気持ちとは裏腹に、言うべきではないとする自戒が飛鳥を止める。
 故に彼女はただ、口を引き結んだまま、項垂れることしかできなかった。

 *

 翌朝、飛鳥が台所兼食堂へ降りたときには、既に四人が顔を揃えていた。勿論、仲良く並んで座っていたわけではない。オルトは欠伸をしながら戸口で腕を組み、ジルギールは黙々と食べ物を口に運んでいる。ユアンとラギは、彼らとは離れたテーブルで地図を広げていた。
「おはよう、アスカ」
「おはよー……。皆、早いんだね」
 そう、遅い時間ではない。正確には判らないが、大気の冷たさからすると、七時過ぎといったところだろう。この時間に、そうそう年の変わらない男が数人、全て身なりを整え食事を終え、更には後片付けまで済ませている状況は、飛鳥には相当に新鮮なものだった。仕事でさえも堂々と遅刻し、あまつさえ目覚ましのせいにする、だらけきった同僚に突きつけてやりたい光景である。
 「供物」の中から適当に軽いものを皿に乗せ、飛鳥はジルギールの正面に腰を下ろした。
「アスカも充分、早いよ」
 笑い、飛鳥の皿からパンを取り上げ、ジルギールは近くにあった鉄網の上に乗せる。
「あんまり、眠れなかった?」
「ううん、逆。吃驚するほどよく寝た。ところで、それ、何するの?」
「温めるだけだよ」
 更に椀を逆さにした形の蓋を被せ、ジルギールはそこに指を当てた。途端、周囲の空気が滲むように歪む。熱が加わったらしい。昨日、ユアンが見せたような「術」の一種だろう。オーブントースターにかけているのと同じ状態なのだろうが、電気も使わなければ、装置が必要というわけでもない、便利なものだと飛鳥は何度も頷いた。
 感心して見つめる彼女を余所に、ジルギールは果物の盛った籠を引き寄せ、中の幾つかを選び取る。側にあったナイフを手に取ると、彼はそれを半分に切り、スクイーザーに似た道具で慣れたように果実を搾り取った。
「はい」
 硝子のコップになみなみと注がれた果汁が、甘酸っぱい匂いを漂わせる。目の前に置かれたそれをまじまじと見つめ、次いで飛鳥はおそるおそる、ジルギールの方に顔を向けた。
「……くれるの?」


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