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(3)
 
 街道を外れた道を進み、要所要所の町や村に姿を見せる。その姿は人々の口に上り、真相が隠されれば隠されるほどに伝播していく。
 その後は果たして、ジルギールたちの目論見の通りとなった。飛鳥は束ねていた金髪を背に流し、反対に顔はよく見えないように頭巾で隠し、しずしずと一行に付き従う。
「アスカ」
「何?」
「顔が笑ってる」
 表情だけはしかつめらしく指摘したジルギールだが、口端が上方に微妙に曲げられているのを隠しきれてはいない。そんな彼を見ている間、飛鳥は、この世界に飛ばされた経緯を忘れて穏やかな気持ちになれるのだった。
 だが、むろん、目的を忘れるなど出来るわけもなく、飛鳥は夢に故郷を見つつ、現実味のない世界を歩く。
 噂の的になりながらも、平穏な旅路。そんな緊張感のない道のりに終止符が打たれたのは、おおよそ十日後、三つ目の町にたどり着いたときだった。

 *

 セルリアと南の国を結ぶ主幹街道に沿うようにして存在する街、ナルーシェ。交易の中継地点として賑わう地方都市である。セルリア南部一帯の管理を行う機関が存在することもあり、近隣の町や村から訪れる人も多い。
 普段人の通らないわき道から、街道を進む商人の流れへと加わり、飛鳥はもの珍しそうに左右を見回した。
「街の外なのに、ずいぶん人も馬車も多いんですね」
 少なくとも、今まで通ってきた町にはなかった光景である。飛鳥がそう、首を傾げながら呟くと、隣を歩くユアンが笑いながら大仰な門を指し示した。
「ええ。広い街といっても、全員の馬車や荷が入るわけではありません。また、こういう所は、場所代や宿代も高い。門の近くなら衛兵もいますし、そういった金を払えない人は、一カ所に集まって過ごすんです。彼らが雇った傭兵や、今から仕事を探そうとする傭兵もうろうろしていますから、安全といえば安全ですね」
「そう? そういう人たちって、荒っぽいイメージあるんですけど」
「セルリアは傭兵の管理も厳しく行ってますからね。こういった人目に付きやすい場所でいざこざを起こすと、傭兵の登録から外されることになるんです。そうなると、信用がないということになり、まともな支払い能力のある商人に雇ってもらえないことになります」
「へぇ。案外この国って、ちゃんと治められてるんですね」
 飛鳥に対する仕打ちだけを見ると、民のことなどどうでもよい、と考えているような印象を受ける。しかし、国のあり方としては、意外にも真っ当な統制を敷いているようだった。確かに、穀物等の値に関しても、国が管理しているためか、常に適正な価格が提示されている。闇取引はあるとしても、庶民の生活レベルを脅かすものではないだろう。
 セルリアという国に対する悪印象を少しだけ下方修正しながら、飛鳥はなんとなしにそびえ立つ門に目を投じた。
「……おや?」
 飛鳥の目が訝し気に細められると殆ど同時に、ユアンもまた、強く眉根を寄せたようだった。
「ずいぶん、物々しいお出迎えだな」
「これは、これは……」
 他のふたりもまた、それぞれの表現で剣呑な感情を言葉に乗せる。
「オルト。殿下に声を」
「はいはい、と」
 気乗りしない様子で頷き、オルトは来た道を引き返す。ジルギールは今は、人の通らない疎らな林の中で夜を待ち狩りをしているのだ。これまでは城門近くまで同行していたが、街の外にも簡易の天幕が張られている以上、不用意に近づくのは得策ではないと彼自身が判断した為である。
 別れてそう間がなかったことも幸いしたか、さほど待つこともなく、オルトと共にジルギールが合流した。薄汚れた外套のフードを、目線が隠れるほどに目深に被っている。
 やってくる途中で、オルトからおおまかに状況は聞いていたのだろう。城門に目を向けたジルギールは、不穏な笑みを口元に浮かべた。
「なるほどね。ようやく、セルリアが動いたってことかな」
 フードの縁から、鋭い目が城門の下を伺う。気負った様子もなく、どこか愉しげなのは、セルリアのこの反応を、誰よりも彼が待ち望んでいたことを如実に示す。
 彼の、否、五人の視線の先には、平原を切り取る城門と、甲冑をまとった騎馬の列、そしてセルリアの軍旗が勇ましく翻っていた。目を凝らし、指揮官を確認してジルギールはふと息を吐く。
「とりあえず、『失黒』は来てないようだな」
「そのようです。まだこれは、ナルーシェ独自の判断による行動かと思われます」
「ふん。何を言ってくるのやら。どんなに警備したって、俺が暴れたら、どうしようもないくせに」
「暴れるって……、なんか、駄々こねるみたいだね、その言い方」
 あきれて呟いた飛鳥の一言に、ユアンとオルトは小さく吹き出したようだった。ラギは堪えるように口を引き結んでいる。
「それ、いいな。奴らの前で地面に寝転がって、『エルリーゼ王女をくれなきゃ街を破壊するぞー』って手足じたばたさせてみようか?」
 面白そうな、どこか本気の微粒子の混ざった言葉に、飛鳥は口元を引き攣らせた。実行された暁には、「黒の狂気」の歴史を大きく変えてしまうだろうこと、想像に難くない。
 ジルギールの提案を即座に却下して、飛鳥は深々とため息を吐いた。
「とりあえず、あの物騒な軍隊の相手は、ジルたちに任せていいんだよね?」
「向こうも、事を構える気なんかないさ。あくまで、街のお偉いさんを守るために並んでいるだけだ。単なる威嚇だよ」
 言い切り、ジルギールはフードに手をかける。
「それじゃ、ご期待に応えるとするか」
 明らかに身構えた三人を余所に、ジルギールはあっさりと留め具を外し、勢いよく上着の前を払った。折りしも、正面から吹き抜けた風が、黒髪を宙に流す。
 途端、その場を支配する、驚愕と恐怖。――何度立ち会っても、この瞬間の空気には慣れることができない。
 凍り付く人々に気づきながらも、ジルギールは何事もないように歩を進める。飛鳥はただ、口を引き結んでその背を追った。これから起こるであろう問答のことは頭になく、ひたすらにこの雰囲気が厭わしい。
 やがてたどり着いた城門の前。セルリア正規軍に囲まれるようにして、恰幅のよい中年の男が、青ざめたまま立ちすくんでいた。
「――なにゆえ、軍を以て門を阻む?」
 男が口上を述べる前に、ジルギールが低い声で、当然とばかりに問いただす。
「軍が守るのは民とその財産であるはずだが、おかしなことに門の外にも民は溢れている。この状況で、お前たちは、何から何を守ろうとしているんだ?」
 物々しい出迎えを非難するでもなく、あからさまに怒るわけでもなく、予想外の切り口に、男はかなりの混乱を来しているようだった。これまで積極的に喋ることのなかった、ジルギールの声そのものに怯えている様子もある。
 さらに口を開きかけたジルギールを制するように、ラギが一歩前に進み出た。
「殿下。そのあたりで。古来より、権力者が民よりも先に守ろうとするものと言えば、限られておりましょう」


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