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「はん、民衆にはいい迷惑だな」
 嗤い、ジルギールは皮肉っぽい目で飛鳥を一瞥する。
「お前を迎えに来たかな?」
「え……」
 およそ初めて見るとも言えるジルギールの冷ややかな目、そして口調に、飛鳥は胃の腑が締まるのを感じた。
 硬い声で、ユアンが割って入る。
「王女には預かり知らぬ出迎えでしょう。殿下、まずは彼らの言い訳をお聞きになっては?」
「そうだな」
 頷き、ジルギールは萎縮して震えている男に向き直る。
「さて。ではお前たちの目的を聞かせてもらおうか」
 応える声はない。見えない何かに押されるように、男も兵も一歩二歩と後退さる。ジルギールの視線から逃れ ようとしているのか、――直接言葉を交わすことを避けているのかもしれない。
 埒があかないと判断したのか、オルトが面倒くさそうにジルギールの言葉を復唱した。その配慮に男が、あからさまに表情を緩めて咳を払う。
「く、――『黒』の一行に申し上げます」
 兵が、遠巻きに街人が固唾をのんで見守る中、震える声が響きわたる。
「不当に拘束なさっている姫君の解放をお願いいたしたく、ナルーシェ、いや、セルリアの民を代表して参りました。姫君を解放いただけるのでしたら、この街をあげてご歓待申し上げます!」
「――だ、そうだが、どうだ?」
「え?」
 突然、話をふられた飛鳥は、戸惑いの視線を返す。意味ありげに笑い、ジルギールは挑発するようにはっきりと顎をしゃくった。その指定を受けて、ラギが再び口を開く。
「さて、不思議なことを要求するものだ。ご覧の通り、こちらは王女を縄で繋いでいるわけでも、檻で囲んでいるわけでもない。今も逃げようと思えば逃げられるはずだが、ぼんやり突っ立っているのみ。これがどういうわけか、教えていただけますか?」 
「な、何らか、術をかけている可能性があると愚考しました」
「まったく、愚かしい。そんな必要は、我々にないとも判らないとは。では、お聞きしよう。私たちが王女と共にいる理由を知っているとでも?」
「それは……」
「もちろん、私たちを王都、そして王宮へ案内するためです。王女自ら提案なさいました」
「ま、まさか……!」
「本当です!」
 思わず割って入った飛鳥に、視線が集中する。ここで飛鳥が声を出すとは思っていなかったのか、問答を仕掛けていたラギまでもが目を丸くしていた。
「これから、一緒に王都に行くと約束しました!」
「姫、正気ですか! あのようなご経験をなさっているというのに、いったい……!?」
 ぎくっとして、飛鳥は一瞬言葉を詰まらせた。代名詞故に、男の示唆する内容が判らない。
 迷い、しかしジルギールたちの言葉では、セルリアの者は納得しないだろうと腹をくくる。
「だ、だからこそ、です! 言っておきますけど、けして、脅されてるわけではありませんから!」
「しかし、姫……!」
「うる……、黙りなさい! この件に関し、全てを託された私が言うのです、素直に通しなさい!」
 静まり返った場に、飛鳥の声が高く通る。青ざめる面々の中で、ジルギールがぼそりと呟いた。
「度胸、あるな」
「嘘は言ってないし」
 確かに飛鳥はひとことも、自分が本物のエルリーゼだなどとは認めていない。姫の身代わり、代理人としてジルギールの元へ遣わされた以上、その後のことに関しては任されたも同義である。
 言葉をなくしたセルリア勢を楽しそうに見回し、オルトが行儀悪く口笛を鳴らす。
「やるなぁ、いいねぇ、それ」
「見直しました?」
「した、した。気も強いし、気に入ったぜ」
 オルトの指摘通り、もともと、気の弱い方ではない。しかしここまで大胆な性格ではなかったと思い、飛鳥は喉の奥で苦笑した。原因は判っている。――飛鳥にとって現実とは、やはり地球の、日本での生活が全てであり、今この異世界にいるという状況は、仮想現実という認識があるのだ。つまり、日常生活ならば、先のことを考えて我慢していること、恥を忍んで控えていることも、「現実」に響かないと判っているので思うままに振る舞える。日本に還ったあかつきには、この世界の出来事など、何の関係もなくなるのだ。
 一瞬通り過ぎた、ジルギールたちの存在そのものを否定する考えを振り払い、飛鳥は整然と並ぶ騎馬の中央に向けて声を張り上げた。
「判ったのなら、通しなさい! 慣例に従うなら、彼らは何もしません。それとも、力尽くで道をあける方を望んでいるとでも?」
「め、滅相もございません! ――お、おい、すぐに、道から人を払え!」
 裏返った声に引き攣った応答が城門を叩く。周辺にいた人々は、言われるまでもなく逃げるように去っていった。人が避け、奇妙に空いた空間を、ジルギールは足早に進む。
 城門をくぐり抜けたところで、ユアンは先導する男に声をかけた。
「あなた方が何もしなければ、『黒』は街を出歩いたりなど致しません。その為にも宿の確保は行っていただきます。もちろん、相応の金額は用意しています」
「は……はい。しかし、姫は……」
「もちろん、私も一緒のところに泊まります」
 間髪を入れず駄目押した飛鳥に、男ははっきりと肩を落とす。代表として「エルリーゼ姫」を保護したいだろう気持ちは判るが、飛鳥の方もここで引くわけにはいかない。最終的に、本人を引き出してこなければならないのだ。
 兵に遠巻きに囲まれ、たどり着いた先は、予想通り、町外れの一軒家だった。居住目的と言うよりも、某かの資料館という趣がある。古いが瀟洒な建物を見回し、飛鳥はふと首を傾げた。
「ねぇ、なんでいつも、五人しかいないのに一軒家なの?」
 それも、古びてはいるが、手入れさえすれば十分に使える程度の傷みである。住宅や商店の並ぶ通りから離れているのは判るが、五人が一泊するのには広すぎると言わざるを得ない。
 飛鳥の疑問に振り向いたのはジルギールだった。これまでの街では、人前で会話しないよう意識していたようだったが、この街に入る際のやり取りにより、それを解禁することにしたのだろう。
「後で燃やすためだよ。俺が泊まった家は、不浄として燃やし消すことになってる」
「一泊しただけで!?」
「まぁ、全く意味ないことだけど、まじないみたいなもんだよ。昔は、『黒』を産んだ両親も焼かれたらしいから、それに比べたら、今はずいぶんましになった」
 冗談であればタチが悪いで済むが、本当だとすれば救いようがない。
 おそらくは後者だと思い、飛鳥は身を竦ませた。僅かに微笑み、ジルギールは扉を開ける。
「昔の話だよ。――どうぞ」


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