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 中に入るように促した、そのごく自然なエスコートに、しかし飛鳥はいつまでたっても慣れずにいる。突然、不自然になった動きに目を留め、ジルギールは可笑しそうに口の端を曲げた。
「王女なんだろ。扉の開け閉めは、先導する人間にさせるもんだ」
 慇懃無礼を絵に描いたような仕草に、飛鳥は口を尖らせた。そうしてジルギールを睨み、胸を反らし顎をあげ、高飛車に見える仕草で髪を後ろに払う。
「では、昼食を用意なさい。わたくしは先に汗を流します」
「御意」
 ふたりの言葉遊びに、ユアンとオルトは苦笑をかみ殺している。ひとり真面目な顔で、ラギは兵を引き連れた男へ振り返った。
「――案内はもう結構です。お引き取りを。我々はなんら、街や街の者に危害を加える気などありませんが、気にするようでしたら、好きなだけ兵を配置していただいて構いません」
「は……、いや、その」
「まだ、用があるというなら話を聞くが」
 家の奥から上がったジルギールの声に体を震わせ、そのまま男は後退る。にらみ合いとも言えぬ、凝り固まった沈黙の後に、彼はぎこちなく背を向けた。
「城主様!?」
 驚いたような、責める響きを持った声が、ざわめきの中に混じって流れ着く。背後に控えていた兵からの遠回しな非難に、城主と呼ばれた男は何事か怒鳴り返したようだった。
「見苦しい」
 外の雑音を遮断すべく勢いよく扉を閉めたラギが、ひとことの元に切り捨てる。
「おおかた、周りにおだてられ、エルリーゼ姫を取り戻すと気概を吐いていたのでしょう」
「まぁ、そういうのは、成功した例がありませんけどね。それに、『王女』の様子にも、度肝を抜かれたみたいですね」
 からかうようなユアンの言葉に、飛鳥は顔を赤らめた。
「だって、仕方ないじゃない。その場のノリだってあったし、――だいたい、変なこと言ってないかなって、結構びくびくしてたんだよ?」
「――の、割に、堂々としてたじゃないか」
「脅されて言わされてるとか取られたら、口出した意味ないから、頑張ってたの! もう、『あのような体験』とか言われたときは、そこ突っ込まれたらどうしようって、焦ってたんだから」
 飛鳥の文句に、ジルギールはふと真面目な目をラギに向けた。
「思い出した。その事だが、何か心当たりはあるか?」
「いえ。もともとセルリアは離れた国ですので。しかし、『失黒』と関係あるかもしれません」
 神妙に答えるラギに向けて、飛鳥は見えるように挙手をした。
「『シッコク』って何ですか? 漆に黒、の漆黒じゃないですよね?」
 赤青緑の三人は一度顔を見合わせ、そうして、図ったように同じタイミングで視線をジルギールへと移した。どうやら未だに、この手の質問への回答は、ジルギールに一任しているようである。
 四対の指命を受け、ジルギールは言葉を選びつつ口を開く。
「前に説明したけど、力を付けた『黒』を殺せるのは、『白』の女だけだったのは、覚えてる?」
「力を無効化できるから、だよね?」
「そう」
 一度言葉を切り、ジルギールは手近にあった小振りのナイフを、飛鳥の手に握らせた。飛鳥が、何を、と思うより先に、彼の腕がナイフの刃に向って振りおろされる。
 突然の行動に避ける暇もない。むしろ飛鳥の体、腕や指は瞬時の緊張に強ばり、思考を含む、ありとあらゆる動きを止めた。
「――!」
 日に焼けた腕が、その皮膚が、鋭い切っ先に従いぱっくりと口を開け、そこから鮮血が流れ落ち、――そんな映像が頭を縦断する。
 だが、飛鳥の手に掛かった衝撃は、肉を裂くものではなかった。鈍的に弾かれ、むしろ飛鳥の方が手を痺れさせている。
 見開いた目に映った光景もまた、体の得た感覚に誤りがないことを伝えていた。鋭いはずの刃は、たやすく裂けるはずの人の腕に赤味すら残すことなく、根本のあたりから折れてしまっていた。
「まぁ、こういうわけ」
 呆然とする飛鳥からナイフを取り上げ、ジルギールは硬い木でできた机の上に突き立てる。切り立ったナイフの断面は、あっさりと机の表面を割り、刃を根本までめり込ませた。
「今のは俺の方がナイフに向かっていったわけだけど、アスカが振りかざした場合も同じだ。さすがに、力一杯斬りつけてきたのをまともに受けたら、ちょっとした傷くらいはつくけど、普通の攻撃じゃ、まず『黒』は殺せない。だけど、何故か、そんなことをおかまいなしに、殺す、つまり、傷つけることのできる人間がいる。見分け方は判らない。まぁ、そんな稀少な者を、失う黒と書いて『失黒』、正確には失黒の英雄と呼ばれる」
 この世界に流通している言語は、象形文字から派生したものである。文字そのものの形は異なるが、文法そのものは日本語に近い。ただこれは、奇跡以上の偶然で同じ言語だったというよりも、「この世界に馴染むように組み替えられた」飛鳥が、その課程で習得したものを、感覚で日本語のように感じているだけという可能性の方が高いだろう。
 どちらにせよ、「漆黒」と「失黒」をかけた、名付け親のセンスは、いささか趣味が悪いと言わざるを得ない。出来がよい、という意味ではあるが。
 とりとめのない、ある意味意味のない考えを頭の奥に押しやり、飛鳥は、机に直立するナイフの柄を、引き攣った笑みを持って眺めやった。鋭利な刃物をたやすく弾く肉体、その、元来より備わった能力。確かにこれでは、『黒』の持つ力自体を封じない限り、どうしようもない。
 だからこそ、普通と同じように攻撃を通らせることのできる存在は、特別なのだろう。
「……髪の色で区別できるわけじゃないんだ?」
「歴史上、そう何人もいるわけじゃないってのあるけど、共通した特徴はないんだ。普段特別強いわけじゃない、下手したら平均よりも弱い、そんな『失黒』もいたって資料が残ってる。だから、その時になってみないと判らない。一説によると、かつての『失黒』は、二度目に『黒』に遭遇したときは失敗したらしいから、単に『黒』には弱点があって、それを偶然攻撃しただけだ、とも言われてる」
「それが、今、セルリアにいるってわけ?」
「そう、らしい。なにせ、国を出るときには知らなかったことだから、詳しいことは判らないけど、この国で『黒』を殺した男がいる。名前は、……なんだっけ?」
「ラゼル・リオルド、です」
「そう、それ。今はかなり高い地位に就いてるらしいが、詳しい情報はないな。まぁ、彼が出てきたら、いよいよセルリアは本腰入れて俺を追い出しにかかった、と考える目安になるわけだけど……」
 途切れた言葉を次いで、ラギはまだ明るい窓の外に目を向け、戻す。
「そのあたりを含め、過去に何があったかを調べて参りましょうか」
「ああ、そうだな。じゃあ、頼む」
 肯き、ラギは一旦脱いだ砂避けの外套を再び身に纏った。こう言った情報収集は、彼の役目なのだ。人から話を聞くという面ではユアンに軍配が上がるが、過去の資料集めを含む総合的な能力はラギに一日の長がある。
 今では彼の一枚壁を持った対応にも慣れた飛鳥、私もと上着に手をかけたところでジルギールの腕に妨害されて口を尖らせた。
「今日は待機」
「まだ、街見てないし……」


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