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「髪を隠しても無駄。あれだけ啖呵切ったんだ。顔は割れてる。たまにはじっとしてろ」
 じとりとした目を向けられ、飛鳥は言葉を詰まらせる。少し離れたところからの笑い声は、両方とも、ジルギールの意見への賛意だった。
 三対一、いや、おそらくは背を向けているラギも同意見だろう。名目はともかく、実際には旅に「連れてもらっている」飛鳥には、強行に踏み切る術もない。
 遠く、見知らぬ街の風景に思いを馳せながら、飛鳥は勢いをつけて椅子に座り込んだ。 
「いつも野宿だから、たまには休んだらいいよ」
「って言ってもさ、野宿の準備とかも何もかも、ジル達がぱっぱとやってるじゃない。正直、歩く以外に私が疲れる事ってないんだけど」
「でもアスカ、アスカはもともと、そんなに歩き慣れてるわけじゃないだろ?」
「え?」
「手も足も綺麗だし、細くて体力がない。この世界に来た時点で馴染むように変わったっていっても、そんなところが変わるとは思えない。だから、俺たちの速度についていくの、結構大変だろ」
「ぐ……」
「いいから、たまのことなんだ。休んでおいた方が良いよ」
「……過保護だ」
 拗ねれば、ジルギールは楽しそうに笑った。
「そりゃ、そうだ。アスカは、『王女様』なんだからな」
 揚げ足を取るというよりは、言葉遊びをしているふうである。上手い反論が思いつかず、飛鳥は再び口を尖らせた。次はどう言い負かせてやろうかと、待ち受けるジルギールが小憎たらしい。
 やがて、ユアンが苦笑しつつ助け船を差し伸べた。
「アスカは好奇心の方が強いようですね」
「行っていい?」
「それはいけません」
 そこだけははっきりと言い切り、制止するように手を前に突き出す。
「とりあえず、まだ休む気分ではないというなら、昼食はそこにあるもので食べておいて、夕食を私と一緒に作りますか?」
 ユアンの提案に、飛鳥は弾かれたように身を起こした。料理は得意ではないが、この際、やることがあるなら何でも良いという心境である。
 正直、寝そべったまま「メシ」と要求していた父親が懐かしくなるほど、こちらの男、特にジルギールとユアンは、何でも自分でやってしまうのだ。あれこれこき使われるのは論外だが、上げ膳据え膳に甘んじるのはさすがに居心地が悪い。
 飛鳥が食いついたのを見て、オルトがおもしろそうに手を打った。
「そか、暇なんだな」
「ぐ……」
「そいじゃ、ユアンの手伝いが終わったら、荷物の修繕も手伝ってくれや」
「修繕って、何を直すんですか?」
「鍋とかの歪みを叩いて補正したり、武器以外の刃物を研いだりとかだ。後は、靴ひもを変えたり、組み紐を作ったりだな」
「そりゃ、いい。アスカ、オルトが直した鍋は、反対側が歪んでることが多い。あんたが監視してくれたら安心だ」
 肩を竦めたジルギールの言葉に、ユアンが堪えかねたように吹き出した。荷物の中にある鍋、その、妙に凸凹した形を思い出して、飛鳥もまた口に手を当てる。
 そりゃねーよ、とオルトが抗議の声を上げた。
 
 *

 ――そうして、穏やかに更けたはずの深夜。
「姫はどうかなされたのだ……。でなければ、『黒』に尽き従うなど、ありえん……」
 譫言のように呟き、城主は松明の炎越しに、油に濡れる地面を見下ろした。
「不吉なものに染まった者は、浄化せねば……」

 一線を越えた声が、夜の冷気を震わせる。

 *

 それにいち早く気づいたのは、風下の部屋に陣取っていたオルトだった。飛び起きると同時に、扉を蹴破り、廊下に出て大声を上げる。
「起きろ、火だ! 奴ら、火をかけやがった!」
 既に炎は、階下に続く階段を燃やし落としている。
「くそ、ご丁寧に油を撒いてやがる」
「オルト!」
「下はもう駄目だ。乾燥地帯に火か。効果的っちゃー、効果的だ。雨を呼ぶにも分が悪すぎるな」
 ぼやくとも悪態を付くともとれぬ口調で、オルトは忌々しげに吐き捨てる。ユアンは例に水を呼んでみたが、やはり芳しい成果は得られなかったようだった。
「殿下は?」
 ユアンがジルギールの陣取った部屋に目を向ける。それが聞こえたわけもあるまいが、立て付けの悪い扉を蹴破る勢いで、ふたりの前にジルギールが部屋から飛び出してきた。
「くそ」
「殿下、お怪我は」
「誰に聞いている」
 愚問と認め、ユアンは緩く頭振る。
「風上からの放火、質の悪い油の臭いがする。あとは、術の補助があるな」
「下はもう、駄目ですね」
「莫迦が……」
 目の奥に怒りを宿し、ジルギールが唸る。同時に、周囲に突風が走った。
「これしきのことで、俺がくたばるとでも思っているのか。だとすれば、相当に愚かだ」
「しかし、殿下や私たちは大丈夫ですが……、もしや、アスカを……!?」
 ユアンの言葉は実のところ的を射ており、しかし、この場ではもっとも不適切なものだった。
 飛鳥の休む、さらに階上を見上げ、ジルギールが奥歯を強く噛み鳴らす。
「まさか……、どこに、自国の王女を殺す馬鹿がいる? 内紛中ならともかく、今のセルリアには、王家内部の争いもなかったはずだ」
「その通りです。理由は判りません。しかし、我々を狙うには、余りにお粗末な方法かと」
「ふざけるな!」
 ジルギールの怒気に引きずられてか、炎が一層猛り狂う。その勢いの凄まじさに、オルトは悲鳴に近い声を上げた。
「駄目だ、殿下! 落ち着いてくださいよ!」
「そうです、今は、ここから出る方が先です!」
 ふたりの制止に、ジルギールの顔が歪む。彼自身、判っているのだ。これは、彼らが企み、飛鳥がそれに乗った時点で予想してしかるべき事柄だったのだ。すなわち、一刻も早く『黒』の一行を追い出すには、セルリアに『黒』を留めている存在を切るという手段の方が、手堅く為しやすい、ということである。
 ジルギールがどういう思いで「セルリアの金」を求めて来たか、ということを考えさえしなければ、確かにそれは、極めて効果的だっただろう。だが実際には、火に油を注ぐ挑発以上のなにものでもなかった。


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