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「くそ……、『黒』なんて、生まれた時に殺しゃいいんだ。化け物なんだからよ。あんたもそう思うだろ?」
 男の声に、怒りと悲しみと、切れそうなほどの悔しさが滲んでいる。今も、そして以前も、彼は多くのものを無くし、大勢のものを亡くしたのだろう。
 ――『黒』は、ジルギールは化け物じゃない。
 少なくとも、飛鳥は彼が、ほかの人間と同じ心を持っていると知っている。だが目の前の惨状に、否定の言葉が浮かび出ない。
 いつの間にか戻ってきていた女が、呆然と見やる飛鳥の肩を優しく叩いた。
「ほら、服を分けてもらったから、もう少し逃げたら着替えようね」
「あ……」
「しっかりおしよ。災厄に遭って、生きてるだけめっけもんだよ。――あんた、そのままおぶっててやりな」
「わかってる」
 苦笑した男が、気遣わし気に飛鳥を見つめやる。
「しっかり、しがみついてなよ」
 礼を言わなければ。そう思うが、声にならない。
 もどかしげな様子を見て取り、女は宥めるように飛鳥の背中をさすり撫でた。男もまた、飛鳥を背負い直しながら、あやすように軽く揺する。
「困ったときはお互い様だよ。あんたは何も悪いことをしてない。全部、『黒』が悪いんだよ」
 言葉に、飛鳥はただ固く目を閉じた。男の服を握りしめ、堪えるように額を肩に乗せる。否定も肯定もしないことで精一杯だった。
 ジルギールは、好きで『黒』に生まれたわけじゃない。
 彼は好きで、狂うわけじゃない。
 彼から話を聞いてからも、旅をしている間、飛鳥はずっとそう思っていた。今もそれは変わってはいない。だが飛鳥には彼を庇う言葉を発することが出来なかった。
 突然の状況に、頭が混乱していたということもあるだろう。この惨状は、日本という平和な地域で暮らしていた飛鳥には、如何にも刺激が強すぎた。
 だがそれ以上に、――『黒』は、ジルギールはけして嬉々としてこんな真似をしているわけではない、そう訴えることで、この場から放り出されることが怖かったのである。
(ごめんなさい)
 ひたすらに、心の中で繰り返す。
(私は、卑怯だ)
 所詮、自分がかわいいのだと声がする。
 じくじくと痛む脇腹は、大腿は、内面の闇を責めるように、延々と飛鳥を苛んだ。


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