[]  [目次]  [



 毒、という言葉に、飛鳥はぎよっとしたように目を見開いた。その隙にラギは、肩に手を置いて強引に座らせる。抵抗する意志はあるようだが、やはり、それに見合うだけの体力に欠けているようだった。
 さすがに、女性の服を同意もなしに剥ぐわけには行かず、ラギは飛鳥に、矢傷を見せるようにと指示を出す。不承不承といった呈で、飛鳥はズボンと上着の裾を捲り上げた。
「毒って、何でです?」
 わずかに変色した皮膚に手を当て、術を使い始めたラギに、飛鳥が問う。
「寝る前までしか、状況判ってないんで」
「気になるのはそこですか?」
「他にもありますけど、とりあえずは」
 意図とは違った返事に、ラギは短く苦笑を返す。
「おかしなこと、言いました?」
「いえ。――いや、アスカはもっと、警戒心を持った方が良い」
「警戒?」
「年頃の女性が、素肌を簡単に、男に触らせるのはどうかと。私が今、襲いかかりでもしたら、どうするつもりですか」
 術の加減を調整するため、ラギは患部から目を離さぬまま、気配だけで飛鳥の様子をうかがった。普通ならその具体的な発言に、慌てふためくところである。
 だが、飛鳥の反応は苦笑いに近いものだった。意外さに、ラギは一旦術を止めて、彼女の顔を覗き見る。
「私がやってた仕事、治療するときにそんな私情いちいち挟まないんです。人の裸だとか、毎日見るものでしたし」
 言う、飛鳥の目はどこか遠い。
「それに、一度粉々に分解された体だって思えば、ちょっと、どうだっていいって思ってしまうんですよね。そんなこと」
「だが、それはあくまであなたの体だ」
「判ってます。元の世界に元の体があって、これは仮の肉体ですってわけじゃないってことくらい。時期が来たら何もかもリセットされて、元の生活に戻れるなんても思ってません」
「……」
「でも、変わってしまった体に、そうそう簡単には慣れないんですよ。多少投げやりなのは勘弁して下さい」
「……申し訳ない」
 違いない。そうしてラギは、目を伏せた。基本的に元気で明るい女性ではあるが、現状を苦もなく前向きに捉えるほど、楽観的というわけではないのだろう。自棄にならないよう振る舞ってはいるが、それはあくまで自制の産物に過ぎないのだ。
 この世界は、別の世界で平穏に暮らしていた人間の生を狂わせた。――これ以上、狂わせるべきではないのかもしれない。
 術を終え、ラギは緩く頭振る。
「アスカ」
「はい?」
「この惨状を見ても、まだ私たちに付いてきますか?」
 引き攣った顔。これでは、付いてくるなと拒絶しているようにしか取れないではないか、とラギは慌てて口元を押さえた。
 だが、どう伝えれば良いのか、重ねる言葉が思い浮かばない。
 ラギの困惑に気づいた様子もなく、飛鳥は、自嘲的な笑みを浮かべた。
「やっぱり、迷惑ですか」
「……」
「良かった。ラギさんに聞きたかったんです。一番、はっきり答えてくれると思うから」
 違う、とラギは思う。人を傷つけないように選ぶ言葉を持たないだけだ。
「昨日、寝て、起きたら火事になってました。それって、私が原因だったんでしょう? 私がいたから、昨日だって門の前で待ち構えられていて、それで、一旦は引き下がったけど、また攻撃してきたってことですよね? 『エルリーゼ姫』を取り返しに」
「それは……」
「私、すぐに気絶したから、その後のことは判りません。宿ごと焼き消されようとして気づいたジルが、逃げようとしたのか、反撃しようとしたのか、――それで、間違って暴走したってことですよね。その結果が今の状況で、」
「アスカ」
 語尾をさらうように、ラギは強く名を呼んだ。
「攻撃されたのは、殿下ではありません。あなたです」
「――え?」
「火を放った人間が誰なのかは判りません。おそらくは城主であろうと推測されますが、いずれにしても、あの周辺に居た者は跡形もなく死んでいます。ですから、これもまた憶測の域をでませんが、狙いは、あなたであったようです」
「私? ――なんで、ですか!?」
 悲鳴に近い言葉が、家屋の残骸を叩く。呼応するように、近くで崩落の音が地面を揺るがした。
 術を中断したまま、ラギは飛鳥の前に座り直す。
「先ほどの疑問に答えましょう。あなたは気を失う前、何者かに矢を射かけられた。そこに、毒が仕込んであったという具合です」
「なんで……」
「『黒』を恐れないというのは、それほどまでに奇異だということです」
「ラギさんたちだって、ジルと一緒にいるじゃないですか……」
「私たちは、陛下の命令に従っているまでです。それに、多少なりとも、術に長け、こうして、殿下の暴走の渦中にあっても、自分くらいなら守ることができます。しかし、あなたも知っているでしょう。平気というわけではありません。自制力を総動員しています」
 ジルギールの方も承知の上、必要以上に近くに寄ることもなければ、離れていても咎めたりはしない。
「調べてみたところ、以前、セルリア王宮は、黒の災厄により、ダメージを受けています。他の国よりも『黒』を呪い『黒』を恐れ、『黒』を拒む心は強いでしょう。その国の王女が、自らの意志で『黒』を王宮に迎入れる。どう考えても、異常を来しているとしか思えません」
「『黒』を拒まない王女は、狂ってるっていうこと?」
「そう。忌避すべき不浄の存在に同調した王女、そんな者はもう要らぬと、そう考えたのだと思います」
 それだけで、とはもう飛鳥も言わなかった。さすがに彼女も、『黒』の及ぼす影響を把握するようになったのだろう。
「これ以降も、我々と同じ道を行く限り、あなたにも危険は付きまといます。正直あなたにはもう、ひとりで暮らしていけるだけの基本知識を与えました。初期の、右も左もわからない状況からは脱却していると考えます」
 それでも、まだ一緒に旅を続けますかと、ラギは問いかける目で飛鳥を見つめた。
 揺れ動く感情を示すように、飛鳥の口は何度も開閉を繰り返す。だが、言葉となることはなく、しばしのち、ラギは彼女に考える時間を与えるために、解毒の術を再開した。
 今となっては、ラギたちの行動が、彼女の意向により左右されることはない。荒野の町で決めた行程から、彼女に関わることだけが抜き取られるだけである。王女を刺激するという意味で、彼女の存在を失うのはいささか手痛いが、必須というわけではない。ラギが今は消滅したこの街で調べた内容をまとめてみる限り、『黒』の存在だけでも十分だという結論に至った。
 故に、飛鳥に無理強いをする気はない。
 やがて飛鳥は、ぽつりと言葉を吐きこぼした。
「……私、元の世界に帰りたいです」
「そう、でしょう」
「前にラギさんは、私が帰る為には、自分たちに付いていくしかない、と言っていました。私も、そう思います。ラギさんたちと別れて、王宮に掛け合いに行ったところで、門前払いが関の山だと思います。だから、付いていきます」


[]  [目次]  [