果たして、飛鳥の予想は違えようもなく的中した。
「アスカ、――無事でよかった。怪我、大丈夫か?」
陰のある、しかし優しい微笑が、当たり前のように張り付いている。これが演技や計算によるものならまだ救いがあるのだが、彼の場合は真正面からの本気の感情であるだけにタチが悪い。
同じく向かってきたユアンやオルトは、ジルギールに場を譲ったようだった。アスカには軽く手をあげて挨拶を示し、ラギを少し離れた場所に呼びつける。
正面に立ったジルギールを見上げ、飛鳥は力を入れて、無理矢理口の端を曲げてみせた。
「ジルこそ、体調が悪かったりとかは、大丈夫?」
そう、問い返されるとは思っていなかったのだろう。何度か瞬いたジルギールは、今度は少し嬉しそうに目を細めた。
「俺は、怪我なんてしないし、してもすぐ治るし、それに、休んだから、何ともない」
「そっか」
「うん。――ごめんな」
目を伏せ、ジルギールは飛鳥の前にしゃがみ込む。何をする気であるのかは、すぐに判った。ラギが、毒を抜く術をかけたときと同じ体勢だったからである。
「すぐ、治すから」
「え?」
言うや、ジルギールは飛鳥の大腿に手をかざす。直接触れる必要はないのか、服越しにじわりと熱が加わった。それに驚く間もあらば、急速に、持続していた痛みが消失する。
続いて側腹部にも同じように術をかけ、ジルギールは問うように飛鳥を見上げた。
「他は?」
「……大丈夫」
ラギとは比べものにならない効力に、飛鳥は舌を巻いた。だが、その力は、街をひとつ滅ぼしたものと根元を同じくするのだ。その事実を知った今では、手放しには喜べない。
そして、そういった、飛鳥の中の迷いに気づいたのだろう。ジルギールは立ち上がり、少し離れた場所に腰を下ろした。
数十秒、考えるための間を空けた後、彼はおもむろに口を開く。
「ラギから、聞いた?」
何を、とは問い返さぬまま、飛鳥はただ頷いた。
「そう」
ジルギールもまた、気のなさそうな返事を返す。だが実際には、短いはずのその一言は、万の言葉を紡ぐよりも重かった。
続ける言葉もなく、飛鳥はやり場を失った目を、他の三人の方に向ける。出会ってからひと月と経っていないにも関わらず、こんなにジルギールを遠く感じるのは初めてだと、ぼんやりとそう思った。
飛鳥の視線の先を追い、ジルギールは口を開く。
「ラギとはどこで会えたんだ?」
「向こうの方かな。はっきりは判らないけど、もともと、商店の密集してたあたりだと思う」
「案外近くだね。もっと遠くにいると思ったけど、戻ってきてたんだ?」
「うん。――って、なんで、戻ってきたって判るの?」
疑問に、ジルギールを見やる。気づき、彼は少し口の端を曲げた。
「服が変わってる。セルリアの街の女の子が着る服だ。それに、汚れた? 泥水被っただろ。街の中心部には川はないから、そっちの方まで飛ばされたってことじゃないのか?」
指摘を受け、飛鳥はわずかに顔を赤らめた。言われてみれば確かに、この近辺で倒れていたとするには不自然なことばかりである。
「逃げてく人から、服、もらったの?」
「うん。避難所まで連れていってもらって、そこで分かれた」
「避難所? どっちの方にあったか覚えてる?」
腕を組み、飛鳥は歩いてきた方向を思い辿る。だが、人の流れに逆らって戻ってきたというだけで、方向が正確に掴めていたわけではない。崩壊を免れた道筋は蛇行しており、どの方、と言うには不正確に過ぎた。
「判らないけど、これから行く町かな? そんな地名っぽい言葉が、やたら飛び交ってたみたいな……」
避難してきた人々が、多く口にしていた地名をいくつか挙げると、ジルギールは考え込むように顎に手を当てた。
「うろ覚えだし、間違ってるかもしれないけど」
「いや、多分、合ってる」
「え?」
「アスカが、城主相手に啖呵切ったのが、広まってたんだろうな。俺たちの目標地点が王宮、まぁ、王都方面だってことで、皆、反対方面に行くつもりらしい」
つまりは、『黒』の一行が進む方向と逆を、ということなのだろう。
「まぁ、好都合かな。……避難民が集まる方は、避けたいところだしね。折角逃げ延びた人くらいは、無事にそのまま逃げてほしい」
親切だったふたりを思い、飛鳥は深く頷いた。と、同時に、忘れかけていた感情が蘇る。
善良な人々の、憎悪と恐怖の顔。非難し、否定する言葉。そして飛鳥は、彼らに反論することができなかった。思い出した今、恐れよりも強い後悔が、染みのように広がっていく。
(――最低だ)
ジルギールに謝っておきたいと思う反面、今、謝罪を口にしても、どうにもならないとも判っていた。むしろその言葉は自己弁護に偏り、それ故にジルギールを傷つけることになるだろう。
逡巡は、思いの外短かった。少なくとも今は、日和見を悔いている場合ではない。後回しにしている感もあるが、いずれ、似たようなケースに遭遇したときに、同じことを繰り返さない方が重要であると結論を出した。
気分を入れ替えるように頭降り、飛鳥は一度大きく体を伸ばす。
「ねぇ、ちょっと疑問」
「ん?」
「私、このあたりから飛ばされたんだよね? なんで、――その前に受けたっていう傷だけで、他はなんともないのかな?」
「それだけど」
神妙な、しかしどこか戸惑った表情で、ジルギールは頬を掻く。
「悪いけど、俺は覚えてない」
「はい?」
「アスカが倒れてるのを見つけたところまでは覚えてるんだけど、何て言うか、暴走始めると、そこらへんの記憶、ぶっ飛ぶんだよ。どうも、正気に返るときの衝撃のせいだって話だけど」
「はぁ……」
「まあ、多分、ユアンかオルトかが、防御の術をかけたんじゃないかな? ラギが戻ってきたときには、アスカはもう……」
「違いますよ」
割り込んできた声に、飛鳥は慌てて顔を上げた。いつものことではあるが、彼らは一様にして、気配を感じさせない歩き方をする。
ジルギールは気づいていたのだろう。全く驚いた様子もなく、ユアンに続きを促した。
「私たちにも、そんな余裕はありませんでしたし、あの状況で術をかけられたのは、殿下以外には考えられません」
「そーそー、アスカの自己防衛って考えるのは、矢傷負ってる時点で却下だからなぁ」
オルトもまた、ユアンの言葉を援護する。ジルギールはひとり、浮かない顔で首を傾げた。
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