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(5)

 澄み切った青空の広がる空の下、乾いた風が涼を運んで吹き抜ける。およそ心地よい朝の王都、卓越した技術を持って水路を敷き、水をふんだんに使った循環式の噴水が美しく虹を作る大通りを、馬蹄の響きも鋭く、早馬が駆け抜けた。
 何事かと人々が振り返る中、悲鳴に近い声が区画を分ける城壁を叩く。
「開門、――開門! 団長に至急、お目通りを!」
 髪を振り乱し、泥と汗と血にまみれたその兵を確認し、門番は慌てて閂を取り除いた。義務であるはずの誰何は、しかし、この状態の人間には不必要であること、明らかだった。
 馬を下り、倒れ込むように膝を突いた兵を助け起こし、門番は緊張を含んだ声をかける。
「何事だ!?」
「『黒』だ……」
 喘ぐような呼吸の、その合間の掠れた声に、集まった人々が息をのむ。
「『黒』がやりやがった! ――畜生!」
「何が、起こったんだ?」
「ナルーシェが吹き飛んだ。例えなんかじゃない、本当に、街ひとつが全滅した! 一瞬だ、一瞬で何もかもなくなっちまった!」
 悲痛な響き、そこに含まれる紛れもない真実に、周囲を戦慄が駆け抜ける。
 数十年ぶりの、『黒』による破壊行動。その報告に、類を見ない威力の凄まじさに、王都はたちまちのうちに混乱の坩堝と化した。

 *
 
 数日後、同王宮会議室――
 国王の代理人たる宰相を筆頭に、セルリアの重要な政務を担う面子が、一様に苦く重い表情で口を引き結んでいる。いずれも椅子深く腰をかけた背中に、陰気を背負っているようだった。
 長い会議室の机、等間隔に設えられた椅子、その末席から室内を眺め回し、スエイン・レガーは皮肉っぽく口の端を曲げた。
「如何なさいました?」
 目敏くも、背後から注意を促す声が囁かれる。肩を竦め、スエインは目線だけを後ろに向けた。
「テラは真面目だなぁ」
「先輩が不誠実なだけです。今日は、団長の代理であることをお忘れなく」
「代理、ねぇ。単に、厄介ごと押しつけられたってだけだろ。俺にとっちゃいい迷惑だね」
「何言ってるんですか。兄嫁が妊娠して、実家に帰り辛いって言って、休みなのにブラブラ訓練所に来るから悪いんですよ」
「こんな、堅苦しい場に来るくらいなら、親の小言聞いてる方がましだったなぁ。あー、ダリぃ、辛気くせぇ」
「声が高いですよ」
 眉を顰めながらの指摘に、スエインはちらりと左隣を一瞥した。右側は単に、誰もいなかったからである。
 顔を向けるや否や、さっと視線を逸らした相手に、スエインは獰猛な笑みを浮かべながら口先だけで謝罪を述べた。
「うるさくして、済みませんねぇ。静かにするよう、厳重に注意しますんで」
「……人のせいにしないで下さい」
「最初に話しかけてきたのは、お前だぜ?」
「……」
 むっとした雰囲気が、背後から流れ来る。行儀悪く会議の机に肘を置き、右手に顎を乗せながら、スエインは短く口笛を鳴らした。周囲から飛ぶ、物言いたげな視線をきれいに受け流し、彼は大きく欠伸を繰り返す。
 茶番だな、と内心で、まだ始まってもいない会議を評価する。――日にちを空けた時点で、セルリアの負けだ。
 『黒』の破壊行動、そして彼をこの地へ旅立たせたグライセラへの糾弾、そして救援、もしくは慰謝料の要請。調停役の隣国外交官も臨席し、問題が奈辺にあるのかを話し合うことが目的だ。故にこの会議には、当然、グライセラからの使者が招致されている。
 セルリアの外交責任者は、被害が如何に深刻であるか、調べあげたデータをもとに『黒』の非道を訴えるつもりだろう。あわよくば、彼を国外へ追い出し、その上でグライセラから極限まで搾り取ろうと目論んでいるに違いない。
 だが、とスエインは否定的に自国の策を分析する。
 『黒』とその行為を非難するのであれば、被害を受けた直後に、隣国を巻き込んで大声をあげるべきだった。避難民の訴えを前面に押し出し、どの国にも同じ被害が及ぶ可能性があることを示唆し、勢いのままに周辺国にも同意の主張をさせることが重要であったと思う。
 時間は、確かにセルリアにも詳細な情報を与えた。しかし同時に、グライセラにも猶予を設けることとなったのだ。歴史ある大国グライセラは、けして甘い国ではない。更には、頭の切れる『白』の女が王として統治している。
 時間は、極めて有効に使われただろう。
(俺なら、『黒』の一行に連絡を取り、今回の経緯を周辺国に送り、避難民の間に、グライセラに有利な噂を蒔くダミーを放ち――)
 何度も欠伸をかみ殺しながら、とりとめもなく考える。無論、それが有効であると自信がもてるのは、セルリア側の方針を知っているからこそ、という大前提があるからだ。
(まぁ、大国のお手並み拝見、か)
 やがて、考えることにも飽きたスエインは、腕を組み、椅子に深く座りなおした。よく言えば鷹揚、一般的には斜に構えたと評される不遜な態度で、彼は次々に入場してくる高官を眺めやる。
 やがて、定時とされる時間の数分前、ようやく、グライセラからの外交官は姿を現した。少なくとも、弁明に訪れる者の姿勢ではない。
 それとも、セルリア側を苛立たせる手なのか、と思案しつつ、スエインは、興味半分、値踏み半分といった様子で入り口に目をやった。――そして次の瞬間、馬鹿のように口をぽかんと空けることとなる。
「嘘、だろぉ……?」
 その呟きはおそらく、その場に集った面々の心情を代弁したものだっただろう。いくつもの視線を受け、しかし臆することなく堂々と入室したグライセラの外交官は、驚愕も色濃い室内を見回して、殊更艶然と微笑んだ。
「お待たせしてしまいましたようですわね。なにぶん、遠くから馬を走らせて来ましたもので、――ご容赦くださいな」
 貴族令嬢が茶会に遅れて参じた時の言い訳のような言葉に、唖然とした空気が渦を巻く。
 驚き、呆れ、夢かと疑い、そうして思わず凝視する。予想外という意味で皆の視線を一身に集めたグライセラの外交官は、くすんだ黄緑色の年若い女性だった。彼女につき従う副官の方がよほど威厳ある容貌を備えている。少女期を脱しえない一種の瑞々しさはけしてマイナス要素ではないにしても、この陰鬱な会議室では、明らかに浮いていると言わざるを得ないだろう。
「なんと、ねぇ……」
 スエインは、グライセラの人選について、ため息をこぼす。そうしておもむろに背後を振り返った。
「テラ、お前と同じくらいの、しかも同じ女の子だぜ? お前もいっちょ、やったろか、とか思わんか?」
「先輩を殺りたくなることは多々ありますが」
「……言うねぇ」


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