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 冷たい視線に惨敗を悟り、スエインは苦笑しつつ机に向き直る。顔を上げた先では、丁度、大きく開かれていた扉が静かに閉じられるところだった。
 議長が、しゃちほこばった口調で開会を宣言し、会議の要旨を簡潔に述べる。そうなると、人々もようやく、話し合うべき内容の深刻さを思い出したのか、グライセラの外交官に対する奇異の目に、怒りを忍ばせるようになった。
 経験も浅い小娘を送ってくるなど、大国の驕りも甚だしい。
 セルリアの高官の抱いた一時の驚愕は、時を置いて余裕へと変化していた。小国と侮り、ろくな人物を送ってこなかったことを後悔させてやろうという、一種卑屈な感情が場に満ちる。
 だが、頭の中で展開されたその嘲りが、嘲笑として実体化することはなかった。
「まずはじめに、国家に共通する取り決めを確認させていただいてもよろしいかしら?」
 クローナ・バルワーズと名乗ったその少女、否、グライセラ代表は、いっそ無邪気とも言える口調で司会の言葉を止めた。
「なにぶん、国と国の間も離れておりますし、わたくしどもの認識が独自のものではないかと危惧いたしておりますの」
 問いかけの言葉にはしかし、反論を許さない微粒子が混在していた。気づき、スエインは末席で眉根を寄せる。だがその、いっそ卑屈とも言える文字面に騙された者の方が多かったのか、子供のような外見に対応までが引きずられたのか、いささか常識はずれな提案が却下されることはなかった。
 そして、グライセラの猛攻は、セルリアの承認するところで開始されたのである。
 

「国際法にも明記されている通り、『黒』の処遇は彼の生まれ落ちた国に託されております。基本は国外に出ることを禁じ、早急に処分することとなっておりますが、例外があることは、みなさまもご存じの通り、――三色の従者を揃えて旅に出た『黒』は三色と共にある限り、行動の自由を約束される、それで間違いございませんか」
 かつて存在した『黒』の偉業の成果と引き替えに定められた法である。『黒』はその存在の凶悪さにおいて比肩しうる存在を持たないが、逆に言えば、生物としての強さの頂点を極め、他の追随を許さない頑健さも備えているのだ。その力の制御さえ操作できれば、他の人間にはけして為し得ないことも可能とする力を持っているのである。
 同意の肯首を確認し、グライセラ代表は言葉を続けた。
「三色の従者をもった『黒』には、あらゆる場所の入場を拒んではいけないともされておりますわね」
「何を仰りたいのですかな?」
「いえ、何を、などと……。ただわたくしは、我が国の採った『黒』への対応が間違っていなかったかを振り返っているだけですのよ。たぶん、失礼はなかったと存じておりますが……。そうですわね。例えば、――この度の『黒』のセルリア入国に先立って、我が陛下から協力をご依頼したこととか」
 セルリア高官の顔に、さっと怒気めいた色が走る。
「ええ、そうでしたわ。金の髪を持つ王女と『黒』を会わせて欲しいなど、随分無茶をなことを頼むと、陛下は心を痛められて。けれど、セルリアから快諾の言葉を頂いたと伺い、なんと度量の広い国であるのだと、わたくし、感動いたしましたの」
「それは、それは……」
「陛下もそれは恐縮なさって。日時や場所は全てお任せしてしまいましたが、返って負担になりはしなかったかと、後々苦悩なさっておいででした。『黒』が日時を違えたりはいたしませんでしたか?」
「は、はぁ、それは勿論」
「それはようございました。では、我が国には何の落ち度もないと言うことでよろしゅうございますか?」
 ――沈黙。
 一瞬、周りの景色が真っ白になる感覚を覚え、スエインは瞬きを繰り返した。グライセラ代表が入室してきたときとは質の異なる驚きが、またしても皆の口を開けさせている。
 以上、終わり、ではさようなら。そんな幻聴に、スエインはぎこちなく頭振る。
 数秒後、ようやくのように、精神の失調から回復した議長が、呆然と少女のような外交官を眺めやった。
「――それは、いかなる意味で?」
「いかなるも何も、全て、ですわ。我が国は国際法に定められた規定を全て遵守し、その上、セルリアの了解を得てから『黒』をこちらへ旅立たせました。何か異論でも?」
「それは、そうですが……」
 言い淀む議長に反駁するように、会議室の丁度中央から悲鳴のような声が上がった。
「街一つ滅ぼした件については、なんと弁明なさるのか!?」
 その言葉に乗じ、室内にざわめきと非難が充満する。きっかけを得て、息を吹き返したのか。セルリアの面々は、おそらくは今日のために用意していただろう言葉を次々に吐き出した。公正な裁量の為に招致されていた近隣諸国の外交官は、突然白熱しはじめた会議を興味深げに眺めやる。
 そんな中、軍部の代表の中の一人の、さらにその代理であるスエインは、セルリア人でありながら、騒然とした室内を皮肉っぽく評価した。
「小心者は群れたがる」
「声が大きいですよ」
「なに、奴らにゃ聞こえねぇさ」
 この場合は、スエインの言い分の方が正しかった。ただし、本当に聞こえなかったかは定かではなく、それよりも重要な者の言葉を耳にするために、多くの者が、取るに足らない小物の声を意識の外に投げ出していただろうことは否めない。
 やがて、罵声とも非難とも糾弾ともつかぬ大声の嵐が一段落した頃、グライセラ外交官は、一度大きく息を吐き出した。
「何か、ご返答は?」
 いささか悪意に満ちた声に、くすんだ黄緑色の髪が揺れる。
「言葉もない、ですかな?」
「滅相もございませんわ。ただ、どう言えばよいのか……」
 多くの者の期待、あるいは好奇心に反し、グライセラ外交官の顔に、困惑はなかった。彼女の表情をあえて表現するとすれば、幼児を窘める時の親の顔、というのが一番近かっただろう。
 若干の間をおいて、彼女はゆっくりと口を開いた。
「そうですわね。大量の火薬が、許可を受けて所定の場所にきちんと納められたことを想定していただけますか?」
「は?」
「周囲に火の気もなく、火薬自体におかしなところはなく、その上で、突然、暴発して周囲を巻き込んだと思って下さいな。あなた方は、その責任を火薬に求めるのですか?」
 なるほどね、とスエインは顔を歪めた。
「街の消滅は痛ましい事件だということに、異存ございません。しかし、あなた方は、火薬、つまりは『黒』とひいてはグライセラに責任をお求めになっている様子。わたくしが思いますに、火薬は単なる力でしかなく、責任を追及するとすれば、火を仕掛けた人間にあるのではないでしょうか」
「それは、絶対に暴発しない火薬ということが大前提に必要でしょう! 『黒』は精神に異常を来たし、暴走するものと決まっております。いわば、不良品の火薬は、製造元に責任が生じるのではありませんかな?」
「ええ、そうですわね。『黒』は常にその危険をはらんでおりますわ」
 認め、しかし、グライセラ代表は、昂然と顔を上げる。
「面白い証言が、幾つかございますの」
「と、申されますと?」
「ひとつに、滅んだ街の責任者が、国際法で定められているはずの『黒』の一行の自由を妨げたこと。多くの者が城門前に兵を配置していたことを証言しておりますわ」


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