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(6)

 避難民の群を避けつつ、王都を目指し北上すること5日。破壊の爪痕はすでに遙か後方へと過ぎ、砂を含み色を落としたなだらかな丘陵が、自然の雄大さを表すように目の前に開かれている。時折、村や町の外れに建つ一軒家、あるいは心持ち補整された小道だけが、そこに人が住んでいることを示しているようだった。
 閉ざされた門扉の前、人通りの絶えた道を、五人の人影は言葉少なに進んでいる。相変わらず、集団のようでいて、しかし、そうと呼ぶには、お互いの距離はいささか遠い。
 川のせせらぎ、短い草を薙いで走る乾いた風の声、細い枝のざわめき。豊かな自然は音に溢れていたが、人の声はあまりに疎らだった。沈黙とは、音が聞こえないことではなく、人の声が聞こえないことであるらしい――と、飛鳥は思う。
 街の崩壊後、男たちの口数は、極端に少なくなっていた。元々寡黙なラギはともかくとして、特に、ジルギールの口が重くなっている。以前のように歩きがてら、飛鳥に世界のことを教えることもなくなり、遠くを見つめながら、何か考えているようだった。自然、飛鳥の横に立つこともなく、ひとり離れた位置を歩くことが多くなっている。
「アスカ、疲れていませんか?」
「――はい」
 ユアンの、閉ざされた質問に対し、聞き返すこともせずに話を終わらせる。
 飛鳥もまた、他に合わせるように無口になっていた。歩き詰め、そして寒さや寝心地の悪さ故に満足に休めないことによる疲労の蓄積故に――というのは、嘘ではないにしても、誤魔化しであることもまた否めないだろう。
 彼らの沈黙の前に、何と言えばいいのかわからない。だが同時に、素知らぬふりを装うには、気詰まりの原因があまりにも明らかに過ぎた。加えて、飛鳥の中にあるジルギールへの引け目、それがまた、彼との距離を遠ざける。
 隣を歩くユアンやオルトを相手に、面白くもない話を振り、長続きしないままに断続的に会話を繰り返す。そんな、一種痛々しい旅路に変化が訪れたのは、それから更に二日、崩壊した街を出て、丁度一週間後の事であった。

 *

「お兄さま!」
 馬蹄の響き、その後に続いた言葉は、飛鳥にはあまりにも衝撃的だった。
「良かった。見失ってしまうところでしたわ。少し、進む速度が速いのではなくて?」
 鮮やかな緑に染まる前の、黄味を帯びた若葉色、そんな春を思わせる髪を残像に、少女はまだ遠い位置で危なげなく馬を下りた。すんなりした体が機敏に動き、軽やかに一行の元に走り来る。
 誰だ、というには、呼びかけの言葉があまりに具体的に過ぎただろう。飛鳥はぽかんと口を開けたまま、少女の視線の先にいる人物をぎこちなく眺めやった。
「妹さん、ですか?」
「一応、そのようです」
 返答は、いささか複雑骨折していた。どことなく不機嫌な表情と、青い髪を神経質に掻き上げる仕草の方が、よほど雄弁だったと言えよう。
 他の三人の行動は、見事にバラバラだった。
 ユアンは微笑を浮かべて迎えるように進み出、オルトは数歩退き、ジルギールは集団から離れる方へ歩いていく。ジルギールの行動は気遣いからだと判るが、自主的にそうする彼を見るのは、飛鳥には、少しばかり胸に痛い。
 そんな男たちの反応には頓着した様子もなく、駆けつけてきた少女は、大きな目を細めて飛鳥を眺めやった。
「はじめまして、クローナ・バルワーズですわ。お見知り置きを」
 物腰は至って丁寧で、人との付き合いにおける礼儀を充分に心得ていることが判る。十代に見える外見だが、実年齢はもう少し上か、でなくば、相応の教育を施されているのだろう。基本、接遇態度のなっていない年下に返す礼儀なし、と思っている飛鳥だが、彼女には堅実な対応が必要だと判断した。
 それにしても、と兄妹の顔を見比べる。
 髪と目の色はもちろん、顔立ちもラギとは似ても似つかないが、正真正銘の兄妹であるらしい。怜悧な美男子と、見た目お嬢様風の美少女という組み合わせだけを見れば、少女漫画にありがちなロマンスを想像させる。
 出来うる限り丁寧に名乗り返した後、飛鳥は、ふと、首を傾げてクローナを見つめやった。
「驚かないんですね」
 国を出たときには四人であったはずの一行に、出自不明の女が加わっていることに対して、疑問は感じないのだろうか。
「それとも、報告が行ってます?」
「来てましたわ。あなたのことは存じ上げてましてよ」
 にこりと笑う顔に、嫌みや当てつけはない。どうやら、グライセラ本国に伝わっている内容は、そう悪いものではない様子である。
 当たり障りのない挨拶が一段落した後、クローナは本題とばかりに兄へと向き直った。
「本国の決定を伝えますわ」
「帰ってこい、というわけではないだろう」
「勿論。このまま進んでくださいな。ただし、わたくしも参りますわ」
 身構える隙もない速攻の攻撃に、飛鳥はおろか、ユアンやオルト、そして兄であるラギまでもが目を見開いた。
「何を驚いてますの?」
「いや、――お前、殿下のことは、あれほど毛嫌いしていただろうに」
「現在進行形で嫌いですわよ。お兄さまがほとんど家に帰らないのは、彼の旅のせいですもの」
「じゃあ何で、お前が付いてくるんだ?」
 代表するように食いついたのは、オルトである。以下同文、と言いたげな皆の顔を眺め回し、クローナは不敵な笑みを閃かせた。
「勿論、アスカの貞操を守る為ですわ」
「て……、っておい!」
「冗談ですわ」
 あっさりと言い放たれた言葉に、男達は喉を詰まらせたような、なんとも奇妙な表情でクローナを見返した。満足げに口の端を曲げ、クローナは飛鳥に向けて片目を瞑る。
「何かと、不自由が多いのではなくて?」
「や、まぁ、そんなことはないと思いますけど……」
「庇わなくても構いませんわよ。どこぞの体力莫迦はともかくとして、こんな強行軍がどだい無茶な話ですもの」
「強行軍、なんですか?」
「わたくしが、待つべき場所を間違えたくらいですもの。……急ぐ気持ちも判らなくはありませんけど。なにせ、あなたが、」
「クローナ!」
 突然割り込んだ鋭い声に、思わず飛鳥の方が飛び上がる。クローナは、どちらかと言えば不快な色を乗せて、発言主を眺めやった。
 いつになく厳しい表情で、オルトが言葉を継ぐ。
「急いでるって判ってるなら、とっとと、本題に移れよ」
「相変わらず、配慮も何もない男ですわね」
「相変わらずってんならいい加減、待たされるのが嫌いだって事も覚えてくれ」
「せっかちな男はご免被りますわ」
「俺だって、てめぇみたいな煩い女、願い下げだ」


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