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「エルリーゼ王女は当時15歳程度か……、その時、何か精神的外傷を残すような何かを見たのかも知れないな」
「ええ。両親が事故死した、ところでも見てしまったのかもしれませんわね」
「事故、ね。まぁ、事故には変わりねぇか」
 皮肉っぽく、オルトが口の端を曲げた。
「つまり、王の子として生まれたらしき『黒』が、どういうわけかそんまま成長して、三十何年か前についに暴走したってことだろ? そんときに町と王宮が破壊されて、人も沢山死んで、エルリーゼ姫の両親も亡くなったって、彼女は破壊現場を見て、心を崩した、ってことで。そんで、今、セルリアは『黒』に対して最悪な感情持ってるし、王宮の奴らに関しては、全く無関係の奴を差し出してでも国から追い出したい、ってまで考えてるってことで」
 口調の上では、軽く茶化したように言ってはいるが、表情は強ばっている。飛鳥もまた、眉間に深く皺を寄せた。文字にすれば四百字にも満たない事実の羅列はしかし、破壊されたばかりの街、そして暗い顔で非難する人々を思い出せば、本当にそれだけでまとめてしまっても良いものかと考えさせるほどの重みを内包している。
 それぞれの心中を思いやってか、クローナは淡々とした声で言葉を続けた。
「『失黒』は当時31歳、丁度『黒』と同年代ですけど、それまで特に何かで噂に上る、といったこともなかった、という他は判りませんわ。軍に所属していたか、そのあたりはさすがに調べようがありませんでしたの。今は、セルリアの第四師団の団長を務めて、主に辺境勤務していますわ。お会いすることはできませんでしたけど、今は、王女の要望で王宮内に留まっているようですわね」
「と、すれば、まだセルリアは本腰を入れて我々を捜索していないと?」
「そうでもありませんわ。第一師団が精鋭の部隊を組んで、ここを含む、王都までの一帯を探索しています。もっとも、精鋭と言えど、やはり『黒』を恐れて及び腰な部分もあるようですけど。特に工作などしておりませんのに、わたくしの後を付けてくる者がいなかったのは、その顕れですわね」
「第一師団、か。『黒』でなければ、かなりの脅威だろうな」
 言い換えれば、相手が悪い、ということだろう。『黒』は特別な存在にしか倒せないのだ。
「と、なると、一番危ないのは、アスカか」
「そうなりますわね。お兄様たち三色を引き離すのは、急場を思えばリスクが高くなりますもの。アスカを人質に、手を引けと脅しをかけてくるだろうと、陛下も仰ってましたわ」
 目を見開き、飛鳥は服の裾を握りしめた。そうして、慌てて声を上げる。
「――私、そんな大した存在じゃありません。エルリーゼ姫じゃないって知ってる人たちにとっては、人質にする価値、ないと思うんですけど」
 ジルギールたちにとっては、どちらかと言えば荷物なのだ。卑屈な部分を抜きにするとしても、せいぜい協同関係。セルリアの金を求めるジルギールにしてみれば、ついで要素が高いだろう。相手にとって捨てては置けない存在を人質と呼ぶのなら、飛鳥はその点で既に落第している。
 何事か口を開きかけたユアンを制し、ラギは、緩く首を横に振った。
「アスカは我々に同行している。その時点で、セルリア側には、仲間としての価値が出来ているのです」
「こっちの事情には頓着しないってことですか」
「ええ。どだい、『白』も『失黒』もなしに『黒』を止めようとすること自体が無茶ですから。国王の命令とは言え、誰も、『黒』と直接対決などはしたくない。そこで、兵、或いは軍にとっては、駄目もとでやってみて、自分たちは怠けていたわけではなかった、というパフォーマンスをとる必要があるのでしょう」
 なるほど、と飛鳥は頷いた。同時に、現場はいつでも上の無茶に振り回されるな、と苦笑する。
 その曖昧な笑みをどうとったか、クローナは飛鳥の手を握り、一度上下に軽く振った。
「大丈夫ですわ。わたくしがお守りいたします」
「あ、はい。ありがとうございます」
「大丈夫かなぁ」
「あら、何かご不満でも?」
「お前、空回りすること多いだろ。まぁ別に、力自体怪しんでるわけじゃないんだけどなぁ」
「……なんですって?」
 目に不穏な色が宿る。肩を竦め、ラギはオルトに噛みつきかけたクローナを手で制した。
「空回りはともかく、少しは自制心というものを覚えなさい」
「お兄様には敵いませんが、オルトよりはマシでしてよ」
「お前、なぁ!」
 がなるオルトを軽く睨み、ラギは妹へと目線を戻した。
「お目付役のヒューバック様は本国へ戻られたのか?」
「ええ。会議の報告も兼ねて」
「そうか。挨拶申し上げたかったのだが……」
「見た目よりもお年ですから。この国の気候はいささか堪えるのでしょう」
 飛鳥以外の、ヒューバックという人間を知る全員が、同意するように顎を引いた。僅かな疎外感に、飛鳥は誤魔化すように苦笑する。そうして、どんな人物なのかと想像し、ふと、年、という言葉に引っかかりを覚え、彼女は首を傾げた。
 情報の把握のために聞き流していた細かい数字に、事実との食い違いがあったような気がする。
「あの、すみません。ちょっと、いいですか」
 真面目な話から逸脱する質問だと思いつつ、飛鳥はおそるおそる手を上げた。
「どうしました?」
「年の話でちょっと……。疑問に思ったんですけど、エルリーゼ姫、その、50歳過ぎ、なんですか?」
「? ええ。そのようですが」
 むしろ、不思議そうなユアンの顔を、飛鳥は穴の空くほど凝視した。
「ああ。そうですね。まだ結婚なさっていないのは確かに遅い方ですが、唯一の直系となれば、相応の相手が必要でしょう。他に兄妹もいないとのことですから」
「いえ、そうじゃなく、……、私には、せいぜい30前に見えたんですが」
「……エルリーゼ王女が?」
 何故かこちらも驚いたように、否、疑わしげな目を向けてきたのは、直接王女と会う機会をもったクローナである。王女のことを噂にしか聞いたことのない男達は、首を傾げて話の行く末を見守ることにしたようだった。
 額を押さえ、クローナは声を絞り出す。
「それは、少しは若く見えそうな美しい方でしたけど、さすがに30歳は無理ですわ」
「え!? あれで50だったら、私だって、40くらいですよ!」
「あら、そのくらいではなくて?」
「へ?」
「わたくし、若く見られがちなんですけど、これでも44ですの。アスカも同じくらいだと思っていましたけど」
「えええ!?」
「……幾つだと思っていましたの?」
 よほど気にしているのか、僅かに声が低くなる。一歩後退り、先だっての科白を考慮に入れ、飛鳥は恐る恐る、推測を口にした。
「20歳くらいかな、って……」
「20!?」
 悲鳴に近い声を上げたのは、オルトである。クローナはこれでもかというくらいに目を見開き、口を開けて絶句していた。思った年齢よりも多少上に言ったつもりであった飛鳥は、その反応に更に一歩後退る。


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