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(7)

 セルリアの学術都市、リーテ・ドール。世界でも優れた「術」の技術を持つセルリアが誇る、研究施設を有した街である。
 術は奥が深い。大きく分けるとすれば、ほぼ無意識に使える簡単なものと、意識して操作しなければならないものとがある。その境は人によって変化するのだ。
 何かを持ち上げるという動作を術に例えるとすれば、――軽い小石なら何も考えずに手を伸ばして持つことが出来る、だが、重量が増せば足を踏ん張り気合いを入れる動作が必要になり、熱いもの、冷たいもの、滑るものならば手袋が、更には人の手に余るものならば機械が要る、といった具合に方法や手順が変化する。筋力が違えば「簡単にできる」基準が異なるのと同様、持って生まれた術の素質、そして後天的な努力が術の得意不得意を左右すると言えるが、特に必要としない限り、無意識に使える以上の術を習得する者は少なかった。
 その、最も行使しがたく、複雑な手順と方法をもってようやく発動する、そういった特殊な術が日々ここで開発されている。痩せた国土しかもたない弱小国が、国という立場を維持するために必要な力そのものであるとも言えよう。
 セルリア第一師団第四大隊長、スエイン・レガーは、王都からわずか数名の部下を伴い、リーテ・ドールの城門をくぐった。街道から外れた位置にあり、交易都市ではないためか、通常の町に比べ活気は乏しい。だが整然と並んだ建物は、ここが意図して作られた街であること証明している。目的とする研究施設は、大通りの遙か先で、巨大な体躯を寝そべらせていた。
「とりあえず、ここで休憩。解散。集合は日の入りにこの場所で」
 簡潔に指示を出し、スエインは意見を求めるように部下の顔を目で一巡した。ある意味、威圧的に感じる間であるが、スエインのとぼけたような表情は、雑談めいた雰囲気を作るのに一役買っている。一方的に命令を下すのは、彼の好みではなかった。
「あのう、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」
 部隊に組み込まれたばかりの、年若い兵である。
「その、我々は、『黒』を追うために派遣されたと聞きました。……他の部隊と離れてしまったようですが、大丈夫なんでしょうか」
 生真面目な表情と言葉、そして仕事に対する直線的な姿勢に、スエインは嫌味ではなく苦笑した。若い兵ならではの真っ直ぐな思いが些か捻くれた彼にはほろ苦い。
 確かに彼、否、彼らは、『黒』の討伐、或いは捕獲の任務を拝命した。馬鹿馬鹿しく愚かしく、そしてこれ以上はなく危険な任務もまた類を見ないだろう。少数精鋭と言えば聞こえは良いが、ようするに決死隊という名の捨て駒なのだ。高齢のセルリア軍最高司令官が彼らに命令を下したときの装飾過多な演説に唯一の救いがあったとすれば、それは、一片の期待も込められていなかったことに他ならない。
 王都を守ることを前提とした、対『黒』の主部隊は、既に別の作戦を持って動いている。――そうした裏の事実を知れば、若い部下たちは何を思うだろうか。意地悪く考えるに留め、スエインは緩く頭振った後、ぐるりと部下を見回した。
「まともにやりあったって、返り討ちに遭うのが関の山だろ」
「それは……そうですが」
「だから、対抗策探しに来たんだよ。三色揃ってりゃ、『黒』の動きを止める術もある。もしかしたら、他に、有効な手があるかもしれんだろ」
「あ……」
「ってことだ。俺は、術者に会いに行ってくる。お前等は適当に、体休めとけ。『黒』に自ら近づこうって方がおかしいんだ。すり減った気力じゃ、敵前逃亡ってオチになるのは目に見えてる」
 今の『黒』は、『黒』の禍々しい気配を抑える外套を纏っていると情報が入っている。それでも、半径十数メートルほどに近づけば、生理的な恐怖に身が竦んでしまうだろう。下手に刺激して殺意を全開にされた日には、手を下されるまでもなく、ショックで心臓が止まってしまうかも知れない。だからこそ、少しでも『黒』に耐性を付けるすべを手に入れておくべきなのだ。
 納得顔の部下の中には、自分も研究施設へ行くと、同行を申し出る者も居たが、スエインは丁重に却下した。数度関わったことのある術の研究者は、一様にして気難しく、且つ悪い意味での孤高の存在だった。術の構造について説く、その情熱に押されて頷いてはいたが、言葉は同じ言語だとも思えなかったと記憶している。致命的なのは、彼らの体内時計が、常人のそれとは違う針の進み方をしているということだろう。
 案の定と言うべきか、――部下と別れ、副隊長であるテラ・マルロウだけを伴に施設を訪れたスエインは、自分の判断に思わず拍手を送る羽目になった。
「……誰も来ませんねぇ」
 喋ると言うよりも半ばため息と言った方が早い科白に、スエインは大きく首肯した。
 待合室で待たされること一時間。すぐに係の者が、と言い残して去っていった事務員の無表情だけが、残像として瞼に張り付いている。
「炎天下で訓練してる方がマシだなんて、思う日が来るとは……」
「お前、団長の前でそんなこと言ってるから、睨まれるんだよ。そんなことじゃ、閑職に回されるぜ?」
「隊長直属の部下というだけで、既に人生灰色です」
「……可愛くなくなったねぇ。軍人育成の施設に居たときには、つぶらな瞳が小動物みたいだったのに」
「褒め言葉として受け取っておきます。私、猛獣になりたくて施設に入ったんですから、本望です」
 くすんだ青の髪を振り、スエインは降参を示した。テラがどんな目的で軍人を志したのかは知らないが、女性という少数派でありながら、訓練に耐え抜いたのだ。生中な覚悟ではないだろう。
 ひとつ間を置き、テラが話題を変えるようにスエインを覗き込んだ。
「ところで隊長。ここまで来たはいいですけど、何かあてでもあるんですか?」
「乗り物を借りる為さ」
「乗り物? 馬があるじゃないですか」
「馬は駄目だ。『黒』に怯えてすぐに混乱しちまう。もっと、鈍感な生物が必要なんだよ」
「……って、先輩、じゃない、レガー隊長、本当に、『黒』を追い詰める気なんですか?」
「じゃなかったら、何だと思ってたんだ?」
「だって、散々、『黒』とやり合うなど、命を捨てるようなもんだって、吐き捨ててたじゃないですか」
「しゃーねぇだろ。俺等は軍人なんだ。それでメシ食ってる。国民の収めたもん腹の中に入れといて、今更怖いからって食い逃げは出来ねぇだろうが」
 これは、些か素直な回答ではなかった。下手な偽悪趣味だとスエイン自身にも判っている。
 探るようなテラの視線に、スエインは短く舌打ちを返した。
「何か、不満か?」
「いえ」
 意味ありげに顎を引くテラを睨む。崇高な理由を期待していたわけではないだろう。むしろその逆という可能性が高い。どこまで適当に見られているんだと腑に落ちないものを感じつつ、そう見せているのは自分かとスエインは内心で嗤った。
 ただ、上官としては多少の認識修正を求める必要がある。そう思い、口を開く。
「そういうお前は――」
「失礼」
 言いかけた言葉をわざと遮るように、開かずの扉が音を立てた。
「随分と待たせたようだ」


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