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「……」
 沈黙による同意に、ルエロは緩く頭振った。
「――話を戻そう。一個体ずつという定義は、複数の個体のもつ情報が混ざりあい、異常を来すためとされてきた」
「鉱物の実験でなら、見ましたよ。貴金属を送るはずが、たまたま剥がれ落ちた壁の塗料と一緒に転送されて、泥や小石や、妙なものになってしまって大慌てしてましたがね」
「失敗例だな」
 笑い、ルエロは台座を叩く。
「これが行うのも、同じことだ。ふたつのものを一緒に転移させることで、混ざりあわせて違うものを作る。『合成』は配合を逐一考えながら、同種のものをゆっくりと組み合わせて進化させる代物。当然、植物と鉱物を混ぜることなど出来はしないが、転移を応用するとそれが可能になる」
「それは、――しかし、もともとのものが持つ、情報が滅茶苦茶になるでしょう。単純につぎはぎすりゃいいってもんじゃないでしょう」
 簡単に言えば、人間の両腕に巨大な翼を取り付けたところで、飛べはしないということだ。翼を動かす筋力や体の重心、バランス等、そういった他の部分の調整が必要となる。そしてそこまでを、再構築の段階で綿密に組み立てるのは、不可能とされていた。
 自然に発生したのではない、別の生物を作り上げることは、すでに神の域と言えるだろう。むしろそれは、可能不可能というよりも、禁忌的な意味合いが強い。
 スエインは、知らず、胸元を手で押さえた。
「まさか、生物を合成したってんじゃないでしょうね」
「その、まさかだよ」
 テラが、息をのむ。
「――だが、合成と言えど、基本となる生物の身体構造を違うものにしたというわけではないがね。強いて言うなら、体の構造の一部を別の物質に変えたりする程度のレベルだ」
 あからさまに息を吐き、スエインは額に滑り落ちた汗を拭った。むろん、落胆ではなく安堵である。
 短い間に一喜一憂を繰り返すふたりを後目に、ルエロは台座の一角へと手を伸ばした。
「まぁいい。実際に、見てもらった方が早いだろう」
 顔を上げたスエインの目に、空中でせわしなく動くルエロの指が映る。指揮者にも似ているが、それほどに優雅な動きではない。むしろ無軌道に、時折台座を叩きながら、見えない何かを操作するようにルエロは休みなく手をさまよわせた。第三者として客観的に見るなら、他人には理解し得ない自己満足のパントマイムに近いものがある。
 一見滑稽にも見える術の行使はしかし、一秒ごとにスエインたちの顔を強張らせていった。強烈な力場が、台座の中央に出現していくのが判ったからだ。
 何かが収束し、何かが凝っていく。見えないが、それだけは判る。そう思った矢先には、そこに色が付き、靄にも似た核が現れ、みるみる間に膨れ上がっていく。
「――転移」
 かすれた声で、スエインは呟いた。滅多に使われる術ではない。実際に見たのは初めてである。それは、なかなかに衝撃的なものだった。
 すでにそれは「何か」ではなく、何もなかった空間に、巨大なものが出現しようとしている。
「馬……?」
 姿形だけを捉えるなら、そうとしか言いようがないだろう。だが、馬と言うには大きさが違いすぎる。通常の1.5倍、そして表面は毛ではなく鋼に似た光沢の鱗に覆われていた。細く長い尾と併せて見れば、爬虫類というようにもとれるだろう。
「どうだね?」
 声は、さほど得意げでもない。
「馬を基本に、体表面の強度を上げてみたのだが、なかなか美しいだろう」
「……生きているんですよね?」
 かすれた声でスエインが確認をとったのは、出現したその生物が、その場に形作って以降、微動だにしなかったためである。まるで彫刻か剥製のように固まった姿勢を保ち続けていた。
 ルエロは、にやりと笑う。
「いい着眼点だ。質問に答えるなら、むろん、今は生きている」
「今は、ですか」
「そうだ。或いはそれは、副作用というのだろうな。合成の段階で、精神は、言ってみれば昏睡状態と同じようになってしまっている」
「つまり、息をして体が生きているだけで、意志は全くないということですか」
「立っているのも、そう術をかけて命令しているからだ。つまり、外部から、術を介して他人の命令を加えることで、その通りに動くというわけだ。逆を言えば、そう命令、或いは刺激されない限り、食事も摂らなければ、歩きもしない」
 それは、生物を合成するという点に関しては、明らかな失敗と言えるだろう。生物の生き死にの境が奈辺にあるのか、それこそ有史以前から議論されてきたことだろうが、これはそれ以前の問題である。
 倫理的に明らかに問題のある実験、そして結果。――だがしかし、それこそが、今のスエインにはもっとも必要なものだった。
 自らの意志のない騎乗生物。つまり、『黒』にどれほど近づこうと、怯えて勝手に逃げる心配がないと言える。『黒』に迫る乗り手として、これほど得難いものはない。
「この馬を、お借りしてもよいと?」
「データの収集に協力してくれるならな」
 即答に、スエインは苦笑した。
「むろん、途中でどんなトラブルがあるかは判らない。何の安全保障もしない。だが逆に、何が起きても、私がその責任を問うことはないだろう」
「なるほど。あなたにとっては、ぶっつけ本番の実験ってとこですか」
「滅多にない機会なのでね。なに、別段、記録だのなんだのを求めはしない。ただ後で、術の操作の欠点などを教えてくれればいい」
「生還できたら、ですがね」
「そういう意味では、君が無事に戻ってくることを祈っている」
 利害一致という名の種から咲いた激励は、下手な社交辞令よりも真剣さがこもっていた。降参するように軽く手を上げ、スエインは合成の獣とルエロを交互に見やる。
 それに、何か気づくところがあったのだろう。口を開きかけたスエインを制し、ルエロは入ってきた扉を指さした。
「質問はあとで受け付ける。どうせ、術の説明もある。これの調整も少しは必要だ。建物の裏手、厩舎のある方で待っていなさい」
 ようするに、調整の為の厄介払いだろう。新しい術の開発とその手法を極秘とすること、大概は神経質なまでに注意を払う。使い方の善し悪しはともかく、知識は確かに人類の貴重な財産なのだ。
 特に逆らう意志も必要もなく、スエインはテラと共に実験室を後にした。帰りの案内がないあたり、その部屋が突き当たりであったことに改めて安堵する思いである。
 いかにも重厚な音を立てて扉が閉まるや、幾分興奮した様子でテラはスエインの前に回り込んだ。
「凄いですね」
「どちらかと言えば、失敗や欠点を利用する着眼点に、だがな」
 やや皮肉っぽく評したスエインに、テラは口を尖らせる。だが、気の利いた反論は思いつかなかったらしい。
 代わりに、数秒の間をおいて、テラは考え込むように首傾げた。
「確かに術の進歩を見てると、何でもありって感じですが……」
「『が』、何だ?」
「どうせなら、『黒』を殺すことの出来る術とか、誰にでも捕縛できる術を開発して欲しいと思うのは、贅沢ですか」


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