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「……」
「その方が、失敗を有効利用とか言うよりも、手っとり早いと思うんですが」
 苦笑気味に、テラが肩を竦める。おそらくそれは、彼女なりの冗談だったのだろう。そんなものがあったら誰も苦労しない、そう、軽く返されると踏んでいたに違いない。
 だが、スエインは沈黙した。
「……隊長?」
 立ち止まったスエインを、数歩、勢いのままに進んだ先からテラが振りかえる。
「どう、したんです?」
 困惑に眉根を寄せたテラを見つめ、スエインは何度か口を開こうと努力を繰り返す。だがそれは、正しく報われることもなく、ただ喘ぐように彼の呼吸を荒くしただけだった。
 複雑な感情が縒り合わさった紗が、ふたりの間に幕を掛ける。
「……隊長、まさか」
 テラの声が震える。
「『黒』の無力化って、三色合同の術の事じゃないですよ。誰にも出来るって意味で……」
「……」
「夢みたいな、……そういう術が、もう開発されているんですか?」
「……された、だ」
 事実に基づいた正確な言葉を、スエインはため息とともに吐き出した。言葉が固形化するのであれば、今の一言は、含まれた重さに引きずられて地中深くにめり込んでいっただろう。
 テラが一瞬、全てを真っ白にしたような表情で喉を鳴らした。そうして、悲鳴のような言葉を絞り出す。
「じゃぁ、じゃあ、なんで、使わないんですか!? こんな回りくどいことしなくても、『失黒』がいなくても、やっつけられるじゃないですか!」
「できねぇんだよ」
「どういうことですか」
「過去形だ」
 目を逸らし、スエインは奥歯を噛み締める。
「開発された。上手くいっていた。全部過去形。そういうことだ」
「!」
「……これ以上は、聞くな」
 言い捨てて、背を向ける。自然、早足になったのは、拒絶の意思表示でもあった。
「先輩!」
 テラの声が追う。
「私は、父を殺した『黒』が憎くて……、セルリアの王宮に突然現れた『黒』が憎くて、少しでも強くなりたくて、軍人になりました。先輩はご存じじゃないですか? ネーベル・エイデンと言うんです」
 その名に、スエインは足を止める。そうして僅かにぎこちなくテラを振り返った。
 知っている名だ、と思い、しかしそれはおくびにも出さず、当然と言えば当然の問いを口にする。
「……お前と、名前が違うじゃねぇか」
「父と母は事情があって別れていたんです。マルロウは母方の姓で……、いえ、そんなことはどうでも良いんです」
 一拍置いて、テラは喉を鳴らす。
「父の仇というんじゃありません。ただ、死があまりにも突然で理不尽で、だから『黒』が憎いんです。それが私の理由です。でも先輩は、何でこんなにも真剣に、『黒』を追うんですか」
「……言ったろ。軍人やって飯食ってんだ。最大限手は抜くが、税金泥棒にはなりたかねーんだよ」
「命がかかっているというのに、そんな理由ですか」
「セルリアは貧乏国なんだぜ? 何十年間の血税がそんなって括りにされちゃ、国民が泣くぜ」
「……」
「無駄話はそれだけか? なら、とっとと来い。術者ってのは、待たすのは得意だが待つのには慣れてねーんだ」
 言い、スエインは再びテラに背を向けた。何か言いたげな視線を感じながら、通路に足音を響かせる。
 静寂、陰の涼風、人の気配のしない、異質な空間。頭の中に散らばった記憶を探すというのは、今居る場所の扉を開けるようなものなのだろう。どこに何が入っているのか判らず、おそるおそる、扉を探る。だからこそ、思い出したくもないことまで、一緒に見つけてしまうのだ。
 スエインは目を細めて、まだ遠い、出口を見つめた。 
 ――本当は、もう誰にもあんな思いをさせたくない。ただ、それだけだった。

 *

 ……まどろみは、願望を夢にする。


「飛鳥?」
 そっと置かれた手に、飛鳥は慌てて顔を上げた。
「ちょっと、爆睡しすぎー。いくらつまんない研修っつーっても、いびきは駄目っしょ」
 からかい半分の同僚の言葉に、飛鳥はまだどこか冴えない頭で周囲を見遣る。
 職場の管理棟にある会議室。無愛想な白い壁と、個性のない長机、座り心地の悪い折りたたみ椅子。無駄に明るい蛍光灯のもと、講師の抑揚のない声が室内をのろのろと漂っている。
 腕時計に目を落とせば17時30分、今日の研修は時間外だったとため息を吐く。時間外手当を請求しても良いと言われているが、実際に記入して渡すと、上司はかならず顔をしかめるのだ。そうして、決まったように小言を口にする。自己研鑽でしょう、本当ならお金を払って学ぶものですよ、そもそも私が就職した頃は――
「まだ記録が残ってるのにねぇ」
 同僚のぼやきに同意を示し、飛鳥はやり残してきた仕事に思いを向けた。
 受け持ちの女性は五人、そのうちひとりは化学療法、ひとりは終末期、やることは多いが、ひとりひとりに割ける時間は限られている。その中でどう関わっていくか、いや、そもそも自分には何が出来るだろうか。
 堂々巡り。人の人生が多様である以上、万人に通用する手段というのはないに等しい。
「そういや今日も、観察室のとこ、ご家族さん、来てたの?」
「うん。今日は花束持ってきてた。好きだったんだって」
「そっか。だいぶ……だけど、痛みのコントロールもそこそこうまく行ってるし、いい感じだよね」
「家の人も協力的だし、やっぱ、痛みがましになったら、誰かが側にいてくれるのがすごく安心できるみたい」
「ま、私らがいくら頑張っても、長年連れ添った人に勝るものはないしねー」
 苦笑。似たような笑みを返し、飛鳥は受け持ちである女性を思い描いた。家族や知人に囲まれ、惜しまれながら人生を閉じようとしているその最期を、羨ましいと言えば失礼に当たるかも知れない。それは未だ、病に侵されていない者の傲慢な感想だろう。だが、自分が死ぬのであればあのように、と心のどこかでそう思う。
 自分には、悲しんでくれる人が居るだろうか。惜しんでもらえるだろうか。――ひとりだったとしたら、誰でもいい、最期の瞬間だけ、手を握っていて欲しい。その温もりが、冷えていく体と心を安らかにしてくれるから。
 ぐるぐると、思考が回る。少し暑い、室内のせいかもしれない。低い音の唸りにしか聞こえない講師の声のせいかもしれない。


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