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 故にクローナからは、飛鳥の存在も明らかとなった今、新たな標的として狙われることを覚悟するようにと忠告を受けていた。もっとも、端からの狙いではないというだけで、戦闘の最中、動きの鈍さに目を付けられ、的とされることも稀ではない現状を見れば、どちらも大差ないと言ったほうが早いだろう。
(――まぁ、付いていくって言ったのは……自業自得か)
 憂鬱な感情を呼気と共に吐き出し、飛鳥は気を取り直すように顔を上げた。
「今日はどこまで進めそうですか?」
「そう、ですね……」
 眉根を寄せ、ユアンはしばし黙す。
「随分迂回していますので、少し街道の方へ戻りたいところですね。王都までだいぶ近づきましたから、あと少しなんですが」
「ウルバの町の西あたりには着きたいところですわね」
「そうですね。少し距離はありますが、あの辺りまで出られれば……」
 頷きかけ、ユアンははた、と動きを止める。一瞬遅れて、クローナもまた、目を眇めた。ふたりの足下で乾いた土が音を立てる。集中、そして体に行き渡る緊張。何も感じ取れない飛鳥はただ、きょろきょろと周囲を見回した。
「……居ますわね」
 クローナの声に、不穏の微粒子が混じる。ユアンの首肯。飛鳥は大きく喉を鳴らした。
「どうします?」
「勿論」
 元々曲がってもいない背筋を更に伸ばし、クローナは両足で大地を踏みしめる。
「逃げるのは性に合いませんわ」
「同感です」
 言うや、抜き放たれる白刃。
 手足を強ばらせる飛鳥とは真逆に、不敵な笑みを浮かべつつ、クローナが気合いと共に腕を振う。瞬時に生まれた風に、飛来した火矢は勢いをなくして地に落ち、周囲の木々は、折れそうなほどに強く枝をしならせた。一拍おいて、何か重いものが落ちる音と、悲鳴にしか聞こえない馬の嘶きが、無軌道な雑音の束を撒き散らす。砂や小石が舞い上がり、視界は瞬く間に黄色く不透明な紗に覆われた。
 その中で飛鳥は、煽られ、吹き飛ばされないように両足を踏ん張りながら、薄目を開けて状況の把握に努めている。地球人の理解の範疇を超える「人間技ではない」戦闘に加わるなど、勇気とやる気と無謀を取り違えるような真似をするつもりはない。と、言うよりも、出来るだけ足手まといにならないように、その場での比較的安全な場所を探す努力することが精一杯というところだろうか。取り乱すまいと自制をかけるものの、目の前で戦闘が行われる度に、飛鳥の心臓は痛いほどに強く速く脈を打つ。
 暴風が荒れ狂う混乱の中を、ユアンは縦横無尽に駆け巡った。不良にすぎる視界の中、的確に敵の位置を把握し、短く剣を打ち鳴らしては、相手を地に伏せさせていく。彼のものではない低い呻きが、時折紗を越えて飛鳥の耳に届き来る。クローナの術をものともせず動き回ることが出来るのは、それだけの実力があるという証明だろう。
 だが敵も職業軍人の中の精鋭、戦闘開始より数分、痩せた枝の妨害と砂礫に遮られながらも、確かな歩調でクローナの術の圏内を抜け出る者が出始めた。ユアンが着実に成果を上げているとしても、もともとの人数に差がありすぎるのだ。いくら優秀な剣士とは言え、たった一人では手に余るのだろう。
 得物を手に、迫り来る仮面の集団――
「っ!」
 身構えた飛鳥を庇うように、眼前にクローナが立ちはだかる。
「心配は、無用ですわ!」
 宣言と共に、高らかに吹き鳴らされる指笛。立ちこめる砂塵を切り裂いて空を貫く。
 瞬間、否、体感できるほどの時間差は無かっただろう。身を切られるような音が消え去る前に、飛鳥とクローナ、そして仮面の襲撃者との間に灼熱の炎が噴き上がった。
「ひっ……!」
 怯んだその隙を突くように、クローナが剣を振るう。呼応するように、敵の背後に飛び掛かる人影。
「遅くてよ!」
「あのなぁ!」
 荒い息に不平を乗せて、若干騒々しく現れたのは、オルトである。見回せば、涼しい顔で細剣を走らせるラギの姿もあった。軍の精鋭相手に楽勝とまではいかずとも、あくまで優勢に事を運んでいる。積極的にセルリアの兵を傷つける意志のない彼らは、心理的に不利な状況であるにも関わらず、十二分に成果を上げていた。
「莫迦な……!? そんなはずは……」
 悲鳴に近い声が上がる。思わぬ援軍を前に乱れが生じたのは、襲撃者側の方だった。驚き、焦り、迷いにたたらを踏む。勿論、その隙を見逃すクローナではない。
「はっ!」
 発気。振るった腕の軌跡に延長するように、一際強い風が生み出される。クローナの意図をギリギリで察したオルトたちが防御に入ること僅か、重い空気の塊がセルリア兵を鈍い衝撃をもって叩きのめした。耐えきれず、何人もの仮面兵がその場に昏倒する。
 比較的遠方にいた兵はどうにか踏みとどまったようだったが、それは十数秒、気絶するまでの時間を延ばしたに過ぎなかった。退路を断つべく回り込んだユアンが正確に急所を打ち、仲間と同じようにあっけなく崩れ落ちる。
 そうして、セルリア兵の襲撃は未遂のままに終結した。戦闘中に負った怪我以上を与えることなく、昏倒した彼らを縛り上げるに留めるのは、温情と言うよりは、セルリアに対する牽制なのだろう。いくら積極的に襲い来るのがセルリア側だとしても、まともに迎え討ち殺戮を繰り返せば、世論は『黒』を更に非難する。引いてはそれがグライセラに影響を及ぼすとなれば、危険を承知で手加減するより他はない。
「……ふぅ」
 さすがに肩で息を繰り返しつつ、ユアンが飛鳥の元に歩み寄る。
「怪我はありませんか?」
「私は大丈夫ですけど……」
「ご心配なく。我々も怪我らしい怪我はしていません。クローナの援護のおかげですね」
「あら。持ち上げても何も出ませんわよ」
「とんでもない。私も多少は範囲攻撃の術を覚えていますが、貴方ほど鮮やかには使えませんよ」
 事実か謙遜かは判らないが、確かにユアンは積極的に術を使おうとはしない。これには、生まれ持った素質、髪の色に現れる才能の限界という問題が一枚噛んでいるのだろう。
 そう言った意味で、攻撃の術を一番よく使うのは、やはりオルトだった。彼に向けてクローナは、若干複雑な表情で文句を口にする。
「オルト、さすがに火は危なくてよ。コントロールはしているのでしょうけど、アスカに万が一があっては大変ですわ」
「……それ、俺じゃねぇよ」
「え?」
「私もないが」
 向けられた視線、問いかけに先んずるように、ラギも短く否定を口にする。ユアンもまた、緩く首を横に振った。
「え? どういうことですの?」
「決まってんだろ」
 聞くな、と言いたげにオルトが髪を掻きむしる。
 ジルギール、と飛鳥は思った。クローナの合流後数日、彼の姿は見ていない。だが、彼以外には有り得ない。
 飛鳥の心中を正確に読み取ってか、ラギが極力感情を抑えた声で答えを口にした。
「姿は見えませんが、近くにいます」


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