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 その指摘から、コンマ何秒の差も無かっただろう。言葉の意味を理解するよりも速く、耳が、轟、と凄まじい大気の唸りを認識した。近づいてきたのではない。今まさに、この場で発生したのだ。
 天へと砂を噴き上げながらうねり、渦を巻き、迫る円柱。巨大な塵旋風、否、空から落ちるような漏斗状の雲がないことを除けば、それはまさに、竜巻そのものだった。
 喉を、声にならない悲鳴が駆け上がる。既に、逃げようという思考回路は失われていた。回避、不可能。目の端、悪くなる一方の視界の隅に、黒い渦に向かって走り行く女の姿が飛び込んだ。莫迦な、とその方を向けば、脅威が迫る中、彼女と同じように『黒』へと向かう三色の男達が映る。
「無茶、だ……!」
 ひび割れた声に振り向いたのは、スエインと同じ、青い髪の男だった。
「これが、お前たちの望んだ結果だろう?」
「こんなことは……!」
「『黒』を追い詰めればどうなるか、少しは過去に学ぶべきだ」
「!」
 スエインは、強く拳を作る。彼から視線を外し、青い髪の男はただただ黒い、光を根こそぎ奪ったかのような空間に向き直った。そうして、仲間へと呼び声を上げ、不可思議な術を展開する。
(三点式捕縛術――)
 迫り来る砂塵、立ち上る黒い渦、吹き荒れる強風。
 最初に光ったのは、誰か。鮮やかな色彩が、靄に、砂に曇る視界を貫いた。瞬く間に交わり、混ざり、網膜を焼くような白へと変わる。光芒、放電、弾け飛ぶ、黒の礫。被弾する度に、絶望の波が襲う。
 耐えきれない。
 幾つもの悲鳴。尾を引いて、空へと上がる。鼓膜を破りそうな程の重低音。砂礫に押され、風に巻かれ、四肢が体幹に、螺旋状に絡みつく。
「隊長……!」
 神経を引きちぎるような激痛の中、呼びかける声を耳に、スエインの意識は深く落ちていった。


 ――そうして次に目を覚ましたとき、スエインは見知らぬ場所にいた。
「……どこだ、ここは……」
 白っぽい空を背景に、遠く、城壁が見える。襲撃した場所とは異なるが、景色として一変したというほどではない。少し飛ばされた、という程度だろう。
 辺りに誰もいないことだけを確認し、スエインは重い腰を上げ、町の方へと歩き始めた。

 *

 城門前。走り辿り着いた飛鳥は、そこにごった返す人の群れを右に左に眺め回した。どの顔も疲労の色が濃く、着ている物はすり切れ、くたびれた様子を滲ませている。家財道具を持っている方が少ないのか、僅かな食事の煮炊きも協同で行ってるようだった。
 目と鼻の先にある町に、何故入らないのか。金銭的な問題で宿屋に泊まることは出来ずとも、少なくとも、人を襲う獣から身を守ることは出来る。常に『黒』であるジルギールが近くに居たため、飛鳥自身が直接猛獣を見た事はないが、遺棄された村の様子から、それらの被害が皆無でないことは容易に見て取れた。難民さながらの人々の中にも、咬傷や獣の爪で裂かれた怪我を負っている者が居ることは確かなようである。
 生気のない目でぼんやりと見上げくる人々の間を歩き抜け、飛鳥は知った顔が居ないかを探した。飛鳥の他にも、同じようにジルギールの術で飛ばされた者がいてもおかしくはない。それがクローナたちであれば申し分ないが、襲撃に加わった誰かであるとすれば、隠れる必要性も生じてくるだろう。特徴ある黄金の髪は砂にまみれて輝きを失い、今や飛鳥を生贄の女性だと判別させる材料ではなくなっているが、それでも万が一ということもある。
 難民の中を一巡した飛鳥は、まだ比較的活力を残している男に声を掛けた。
「ついさっき、来た者?」
 人選は正解だったと言って良いだろう。男の目は若干訝しげに細められたが、旅の途中に連れとはぐれたと飛鳥が説明すると、特に嫌な顔をするでもなく、周囲の知人に声を掛けてくれた。殆どの者は無関心に首を横に振るだけだったが、ひとり、咳を繰り返す女性が、警備兵の出入り口のところに人が集まっていたことを告げた。
「人が降ってきたとか言ってたよ」
「! そ、その人はどんな人でした?」
「さぁ。怖いから、近寄れなかったけど」
 なるほど、固く閉ざされた城門の左右に立つ、セルリア兵の表情は硬い。
「まだ、その場に居るんじゃないかねぇ。医者を呼んでこいとかいってたから」
「そうですか。行ってみます。ありがとうございます」
 あの場に居たセルリア兵である可能性の方が高いだろう。だが、ジルギールならばともかく、他の四人であれば、ひとりで居たところで『黒』の伴だとは気付かれないはずである。この先、再び彼らに合流できるかどうかも判らないのであれば、確認できることはしておいた方がいいと、飛鳥は指し示された方へ足を向けた。
 と、数歩歩いたところで腕を引き、戻される。掴む手は痩せて細く、乾いていた。
「およし」
「え?」
「行ったって、追い払われるのがクチさ。下手したら、暴力受けるよ」
「? 追い払われるのは判りますけど、暴力、ですか?」
「そうだ。悪いことは言わない。様子を見た方がいい」
 飛鳥がはじめに話しかけた男も、深く頷きながら忠告を口にする。ふと周囲に目を遣れば、飛鳥たちの会話を何気なしに聞いていた面々もまた、頷いていた。それを見て、飛鳥は眉根を寄せる。よくよく観察すれば、彼らの表情に、皮肉や自嘲、諦めが多く含まれていることに気付いたのだ。
 何故、と思い、飛鳥は根本的なことを知らないことに気付く。そもそも、彼らは何者なのだろう。難民のような、と見れば無論、飛鳥にはナルーシェの街から逃げ出した人々しか思いつかない。だがそれならば、天災のようなものに遭っただけの同国民、セルリアの町が受け入れを拒否している意味が通らない。しかし、他国の集団が、このような内陸部にやってくるだろうかとの疑問に首を傾げる。
 内情を聞いていいものかと考えあぐね、結局飛鳥は率直に訊ねることにした。
「あの、ひとつお伺いしたいのですが」
 改まった声に、男が飛鳥を見つめた。
「あなた方は……」
「何を集まっている!!」
 突如割り込んだ声に、飛鳥は文字通り飛び上がった。ざわめく人々の視線に沿ってそちらを向けば、険しい顔をした兵が近づいてくるのが目に入った。彼が手にしている槍の穂先が、鈍く陽光を弾く。
 物騒だな、と、飛鳥は眉を顰める。そうして、どこかで見た目つきだと思い、すぐにその答えに行き当たった。ほんの数十分前、気絶していた飛鳥を起こした男が、去り際に見せた表情を同じだったのである。
 嫌悪と蔑み、まるで汚いものを見るかのような視線。
 うずくまる人々を強引に退け、兵は飛鳥たちの前で足を止めた。胡散臭げに飛鳥を一瞥し、鼻の頭に皺を寄せる。だが、ただの小汚い女だと判断したのか、目線はすぐに、飛鳥と話していた男の方へと移動した。
「集まって、町を襲う算段でもしていたか」
「め、滅相もございません!」


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