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「集会は禁止だと言っておいたはずだが」
「私が!」
 挙手する勢いで、飛鳥は声を張り上げた。
「私が、連れとはぐれたので見ていないかと聞いていたんです。そしたら皆さん、色々聞き回ってくれただけで」
「どうだか」
 本当です、と言いかけ、飛鳥はむなしさに口を噤んだ。どれだけ言葉を重ねても、この手合いには通じることはないだろう。
 唇を噛み締めた飛鳥には興味を無くしたように、兵は改めて男の方を向く。
「まぁ、いい。それよりも、城主の言葉を伝えに来た」
 ざわり、と空気が揺れ、周囲の人々が一斉に顔を上げる。
「ここから立ち去れ。一両日猶予を与える」
「……そんな!」
 男が、悲痛な声を上げる。
「もう、歩けない者もいます、せめて、病人だけでも入れてやってくれませんか」
「ならん。決定事項だ」
「我々に死ねと!?」
「町に、『黒』の穢れを持ち込むわけにはいかん」
「!」
 言い切った男の言葉に、飛鳥は息を呑んだ。そして、瞬時に理解する。ここにいる人々は、ナルーシェの崩壊からどうにか逃げ延びてきた難民なのだ。避難場所までの道で出会った夫婦とは異なり、行くあても、それを探す力もない者が集まってこれだけの人数になったのだろう。『黒』が向かう方と同じとしりつつ、人の集まる王都へ向かうより他にどうしようもなかった集団と言える。
 ――災厄に遭ったってのは、伏せておいた方がいい。
 別れ際の男の言葉が耳の奥で反響する。あれは、こういうことだったのか。
 飛鳥は無意識のうちに、汗の滲んだ手を握りしめた。
「浄めの済んだ後ならともかく、お前達は、町に穢れを撒いて苦しめるつもりか?」
 兵が、いっそ憎々しげに吐き捨てる。
「情けを乞うなら、グライセラへ行けばよかろう」
「莫迦な……」
「莫迦なとは何だ。もともと『黒』などというものを強引に我が国に送ったのはグライセラだ。それも、狂う寸前のをな。悪いのは全て、『黒』だろう。だが元を正せば、あんなおぞましいものを生かしておいたグライセラの王が悪い。そう言えば、お情けを恵んでもらえるだろうさ」
「その前に死んでしまう! 同胞を見捨てるつもりか? たまたまナルーシェで暴走しただけで、もしかしたら、この町が崩壊していたのかも知れんのだぞ!?」
「俺なら、災厄に遭った時点で、潔く自決するね」
 出来もしないことを。飛鳥は掌に爪を立てる。
「さぁ、ここから去れ。俺たちを憎むのはお門違いだ。せいぜい、お前等を不遇に落とした『黒』が悲惨な最期を遂げることを祈っててやるよ」
 飛鳥の目の前に、火花が散る。頭が、真っ白になった。――今この兵は、何と言った。
 踵を返そうとした兵を掴まえて、男が食い下がって訴えを続けている。だが、その内容は、飛鳥の耳には殆ど入っては来なかった。喧噪の強まる中、飛鳥はひとり立ちつくす。周囲とは隔絶した頭の中、驚愕と怒りに薙ぎ払われた場所に、過去の後悔が一挙に押し寄せていた。
 助けてくれた夫婦の顔が浮かぶ。
 ”『黒』なんて、生まれた時に殺しゃいいんだ。化け物なんだからよ。あんたもそう思うだろ?”
 ジルギールは『黒』だ。だがそれは、彼が悪いわけではない。彼はこの世界の、最たる被害者だ。そう、言いたかった。しかし、あの時は言えなかった。原因はわかっている。
 自分自身が動転していたということもあっただろう。だがそれ以上に、飛鳥は怖かったのだ。ジルギールを弁護した途端、人々は飛鳥を狂人と罵るに違いないと、予想ではなく確信をもって怯えた。実際に甚大な被害を受けた者を前に、加害者への弁護など通じるわけがない。そうして飛鳥には、人生を左右するほどの災害に遭い、ただ逃げる人々の前で、ジルギールの持つ悲哀を口にできるほどの意志も度胸もなかった。
 だが、今は違う。難民を一方的に罵る兵は、直接に被害を受けていない。他人の身に起こったことを伝え聞き、何故それが起こったのかを知ろうともせず、一方的に『黒』を責めて、全てを押しつけているのだ。
 加えて、災厄に遭ったというだけの同国人ですら、穢れを持っていると蔑み、頭ごなしに追い払う非道。
「ふざけるな!」
 叫び、飛鳥は兵と避難民の間に割って入った。
「あんたら、どこまで身勝手なんだ!」
「なんだ、お前は」
「誰だって、いいだろ! あんたらの方が、何様だ! この人たちが、一体、何をしたって言うんだ!」
「無関係なら、どいてろ!」
「どかない! この人たちは、町で暴れたのか? 何かを盗んだのか? それとも、誰かを殺した? 違うだろ、回避できない災害に遭って、逃げてきただけだろ。穢れてなんか、いない、そんなもの、はじめからない!」
 ざわり、と場が揺れる。だが飛鳥は、言葉を止めなかった。
「『黒』が穢れを撒くなら、とうにこの世界なんか、滅びてる。『黒』はただ、力の強すぎる、ただ、それだけの人間なんじゃないか! 触ったら呪われる? 近づいたら穢される? そんなの、あんたたちの怯えが作った妄想だ!」
「――お前」
「あんたらが『黒』って呼ぶ存在は、ただの、そういう力を持っただけの人間だ。そりゃ、体は傷つかないかも知れないけど、心は普通の人間なんだよ、一方的に責められて、辛くないはずなんか、ない。暴走で迷惑受けた人たちならともかく、ただ逃げ腰になってるだけのあんたらに、一方的に悪者にされていいはずがない!」
 言いながら飛鳥にも、難民の人々を援護したいのか、ジルギールを庇いたいのか判らずにいる。周囲の者達は、兵を含め、青ざめた顔で飛鳥を見つめていた。
「……何を、言っている」
 震える声で、ぽつりと兵が呟く。
「狂ってる……」
「狂ってなんか、ない」
「『黒』が人間だと? ……莫迦言うな、あんな、殺しても死なないような人間、いるわけがない」
 低いざわめきが広がる。そうしてそれは主に難民の群れから起こり、兵の言葉に同意を示すものだった。案の定、というべきだろうか。思い、飛鳥は口を一文字に引き結ぶ。そうでもしないと、本当の狂人のように、大声で笑ってしまいそうだった。
 ――同胞を拒む町の者を非難しつつ、難民たちは奥底では、その正当性を認めているのだ。
 『黒』の穢れというものが本当にあり、それを受けた自分たちは虐げられても仕方がないと思っている。
 馬鹿馬鹿しい。堪えきれない笑みが、口元に宿る。その仕草を見て取ったか、今は飛鳥の正面にいる兵が、掠れた声を上げた。
「お前は、何者だ?」
 親切だった男も、情報をくれた女も、周りにひしめいている誰もが飛鳥から少しずつ距離を取っていく中、兵だけはその場に立ちつくしていた。『黒』を恐れるならば、穢れを避けたいのなら、周囲と同じように離れていくべきだろう。にも関わらず、彼は嫌悪以上の驚きを持って留まり、不自然なほど得物を強く握りしめたまま飛鳥を凝視する。


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