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「だから、あの馬鹿は処分しただろ。それに、ちゃんと怪我も治したから、何ともないはずだ」
「怪我を治した、ねぇ」
「なんともねぇだろ」
「さぁ」
 反抗、というよりもむしろ、投げやりに似た口調で、女は遠回しな否定を口にする。
「判るわけ、ないでしょ」
「は?」
「とぼけてんの? こんな牢に入れて、手錠までした挙げ句、体の自由を奪うって、どんだけ戒めれば気が済むっての。私にろくな力がないことなんて、――あんただったら、知ってるはずだろ!」
 語尾を荒くした女をまじまじと見つめ、スエインは眉間に深くしわを刻んだ。彼女が何を言っているのか理解しがたい一方で、それが虚言でも八つ当たりでもないことをはっきりと感じ取っている。
 いくつもの疑問が浮かぶ中、スエインは女を再度眺め、おそらくは彼女にとっては今更であろう疑問を口にした。
「お前、……体が動かないのか?」
「あんたらが、そうしたんだろ」
 敵意むき出しの科白に、スエインは驚いて目を丸くした。
「顔の筋肉は動く、息もできる、感覚もある。でも、体が全く動かせない。頭だって、ものすごく力入れなきゃ動かない。こんなの、無茶苦茶だ。頸損でもない、薬で麻痺させられてるわけでもない。だからこれは、あんたたちの得意な術ってやつでしょ」
「ケイソン? 何か知らねぇけど、俺たちだって、なんもしてねぇよ」
「じゃあ、なんで動かないのさ」
「お前の体が動かないなんざ、今知ったくらいだ」
 困惑のままに、スエインは女の頭からつま先までを見回した。不愉快を前面に出してはいるが、不躾にすぎる視線にも、女は微動だにしない。試しに腕を持ち上げてはみたが、医者ではないスエインにもそれと判るほどに、全く力が入っていなかった。
 女は嘘など言っていない。なぜ、と混乱に渦を巻く頭の中で自問する。だが、答えは出ない。――否、スエインは、既にそこにある答えからあからさまに目を逸らしていた。そうでもしないと、『失黒』となった女に、同情してしまいそうだった。
 言葉を探し逡巡するスエインを、女は下から睨みつける。
「何? あんた、ここのボスなんじゃないの?」
「そりゃ、一応、責任者だけど、」
「術に関しては、その限りではない」
「!」
 割り込んだ声に、スエインは瞬時にその場から跳び退いた。鉄格子の扉を越え、女をかばうように立ち、剣の柄に手をかける。敵と認めての行動ではない。長年の軍隊生活による反復訓練の賜物とも弊害とも職業病とも言える反射行動だ。
 警戒も露わに構えたまま、スエインは一本道である扉に向けて眼を細めた。いつの間にか、鍵とスエインの許可を必要とするはずの扉が開いている。そこに、緩い長衣を羽織った人物が、隠れもせずに立っていた。その特徴ある影にスエインは、過敏とも過剰とも言える構えの姿勢を緩めてため息を吐く。知っている人物だ。いずれどう転ぶかは定かではないが、とりあえず今は敵ではない。
「何か用ですか」
「入ってきたことは、咎めないのかね」
「あなたはもともと、ここで地位のある人だ。それに、軍人じゃない。別管轄の先住民ともなれば、牢屋番では荷が重いでしょう」
 ルエロ、と呼びかければ、逆光の影は笑うように肩を細かく震わせた。
「で、こんなところに何の用です? 普段でもあなたには用のない場所でしょう」
「無論。君にもここにも用はない」
 上質の皮で出来た靴が音もなく土の床を滑り、無言の圧力を持ってスエインを横に退ける。痩身の術者は、およそ感情の籠もらない眼で、鉄格子の奥を見下ろした。
「『失黒』、か……」
 呟き、微かに皮肉っぽい笑みをあるかなしかに浮かべる。
「こんなことなら、武器の一つでも持たせて行かすべきだったな」
「あんたは……」
 何かに気づいたように、女は強く眉根を寄せた。
「見たことがある。城に居た――」
「そうとも。君を呼びだした術には、直接は参加していなかったがね。その後治療にあたってあげただろう」
「嘘だ! あんたは、はじめから、知ってる!」
「はじめに意識を戻したとき居た術者の大半は、後から来たものだ。なにせ、君を呼び出す術の為に、しばらく起きあがれないほど消耗した者がほとんどだったのでね」
 ルエロは眼を細めて女見やる。
「そこまでしたのに、君は役に立たなかった。残念だよ」
「っ!」
「ルエロ!」
 あまりといえばあまりな科白に、さすがにスエインは声を上げて二人の間に割り込んだ。
「呼んだのはこっちの都合だ。期待した役目を果たしてもらえなかったとしても、それは彼女の責任ではないでしょう」
「おかしな事を言う。君は、効果を期待して買った道具が宣伝倒れだったとしても、文句の一つも言わないのかね?」
「!」
「姫の身代わりを全う出来る者を呼び出した以上、失敗したのなら不良品だったとしか言いようがないだろう。まぁこの場合、使い方の方を間違えただけだったのかもしれんがね」
 あまりの科白に、さすがにスエインも返す言葉を失った。女はただ、唇を震わせている。
「あなたは……」
 短い沈黙の後、スエインはどうにか掠れた声を絞り出す。
「そんなことを言いに、ここへわざわざやって来たのか」
「まさか。暇ではない」
「では、今のここの警備を担当するものとして言いますが、用件を済ませて自室へ戻られた方がよろしいかと。街は『黒』の襲撃に備えておりますので」
「備えるというなら、『失黒』を使える状態にするのが先決ではないかね?」
 痛いところを突かれ、スエインはぐっと喉を鳴らした。
「某か問題が起こるかとは思っていたが、想像以上に悪いようだ」
 短くため息を吐いたルエロは、緩く頭を横に振ると、その場にしゃがみこんだ。そうして格子越しに女に手を伸ばし、投げ出された腕を掴みあげる。
「ずいぶんと脆い組成になっているな。むしろ、少し前まで動いていたというのが不思議なくらいだ」
「……」
「切っ掛けは……なるほど、強い術や衝撃を立て続けに受けたせいか」
「……触るな」
 目に強く怒りを込めたまま、低い声で女が唸る。心情的に彼女の方へ傾くのを感じながら、スエインは緩慢に立ち上がったルエロの顔をもの言いたげにのぞき込んだ。
「どういうことです?」
「所詮、この世界の生物に非ず、ということだ。彼女の体は、外から見える以上に安定を欠いている。このままでは近いうちに、限界がくる」
「なっ……」


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