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「やはり、所詮は異なる世界の生物か。見た目をどう取り繕おうと、組成がまったく同じとはいかぬか」
「ちょっと待ってくれ。つまり、この子はどうなるんです? 死ぬのか?」
「肉体が活動を出来ぬほどに脆くなれば、水で固めた泥が乾いて砂になるように崩れ落ちる。何も手を加えなければ、そうなるだろう」
 スエインは目を見開いた。分解と再構築に伴う危険性、或いは前例がないという意味で予断を許さないだろうことも気づいていた。だが、一度は成った体である。再び脆く崩れさるとまでは思ってもいなかった。どこまでも不安定な術が、一方的な被害者を延々ともてあそぶ。知らず、スエインは胸を手で押さえた。
 そうして、彼女自身は、と視線を床に落とす。踏み固められた土の上、体を投げ出したままの女の顔は、ひどく蒼褪めていた。
「女」
 平坦なルエロの声が、妙なほどに強く響く。
「生きたいか? 私は、君の体を治療できる」
「!」
「助かりたくば、助けてやらぬこともない。どうだね。その壊れた体を治してほしいかね?」
 女の顔が歪む。スエインは、汗の滲んだ手のひらを握りしめた。
 ルエロのこの訪問は、勿論女の体を気遣っての事ではないだろう。光明とも言える申し出の先に、彼が言葉にはしない目的がある。善意ではなく、彼の求めることに『失黒』であり異世界人である女が必要なだけなのだ。逆に言えばそこに悪意はなく、殊更に屈辱を与え、女を苛む意図もない。だがそれ故に余計に、女に単なる返事を促す問いかけは残酷だった。
 女は唇を震わせる。眼は力を失っていない。生きたいという意志がそこにはある。しかし、それを口にすることは、仇に命乞いをするのと同じ事だ。女の、屈辱と怒りに沸騰する憎しみ、その強い感情は、スエインにも容易に感じ取れた。
「返事はどうかね」
 敢えて無視しての科白だろう。ルエロの、探求心でできた面の皮には恐れ入る。
 何か堪えるように強く歯を食いしばり、女は早い呼吸を繰り返す。自分を見下ろす二対の目から僅かに視線を逸らせているのは、目の縁に滲むものを見せまいとする努力だろう。やがて絞り出された彼女の声には、葛藤と多く感情を抑えた唸りが混じっていた。
「……私には、決定権なんか、ないだろ」
「自分のことだろう。おかしなことを言う」
「自分の意志が通るなら、こんな牢なんかに入れられてない。捕虜なんだから、決定権はそっちの人にあるはずだと思うけど」
 女の言葉に対し一瞥を向けたルエロには向かず、スエインはじっと女を見つめ遣った。救いの手を拒絶はできない、だが、懇願など意地でもしないという、女なりの抵抗なのだろう。
「自分の生き死にを、他人に決めさせるのかね?」
「一回、勝手に殺した奴らに、言われたくない」
「前に何度も言ったが、召還の為の分解を、殺人と一緒にしてもらっては困る」
 そこだけははっきりと、不愉快さを滲ませてルエロは女を睨みつける。そうしてそのまま、彼は視線を横、スエインの方についと流した。
「レガー大隊長」
「……彼女は『失黒』です」
 死なせるわけにはいかないと、言外に含め、スエインは女の代わりに真っ向からルエロを見つめやった。
「同じセルリアの民として、そこは守っていただかなくては困ります」
「つまり、助けろということだな」
「――貴重な『失黒』です」
 出来るだけ事務的に、感情を排した声で繰り返す。女が屈することを良しとしていない以上、加害者の陣に身をおくスエインには、あからさまな同情などされたくもないだろう。
 しばしふたりを見比べ、ルエロはおもむろに口の端をつり上げた。
「よかろう。その女を私の研究室に運びなさい」
「きちんと、治療していただけるなら」
「二言はない」
 言い切り、意味ありげな笑みを張り付けたまま、ルエロはスエインに背を向けた。自分の言葉が実行されないとは考えてもいない傲慢な態度は、自信と実力の間に出来た醜悪な産物とも言える。だが現状、我関せずと研究所の奥深く引きこもっている他の術者への命令権を持たない以上、スエインはルエロに頼らざるを得なかった。
 重々しく扉の閉まる音を耳に、スエインは大きくため息を吐き出した。そうして視線を下に落とし、――彼は強い後悔とともに苦い声を絞り出す。
「……三十分後に、部下を派遣する」
 返事はなかった。またスエインも、反応を待たずに踵を返す。乱暴な足音が響いたか、扉番の男が監視窓から顔を覗かせた。
「い、如何なさいました……?」
 許可を得ぬまま、ルエロを通した事を気にしているのだろう。どことなく卑屈な調子で扉番はスエインを伺っている。だがそれに構う余裕は今のスエインにはなかった。勢いよく閉めた扉を背に、強く目を閉じる。
(くそっ……)
 やり場のない苛立ちと吹き荒れる感情を抑えるために、スエインは拳を震わせて、ただその場に立ちつくした。

 *

 その光景を見たとき、ラギは一瞬、背筋に氷塊が滑り降りるのを感じた。まさか、という思いと信じられないとする拒絶の隙間に、全く別の感情が湧き起こる。
「殿下!?」
 悲鳴に近いオルトの声に、ラギはびくりと体を震わせる。数秒遅れてその事態に気付いたクローナが、背後で短く息を呑む音が聞こえた。
「嘘だろ!? おい、――ユアン!」
 戦闘跡があると、廃墟の別の場所を探索に行ったユアンを呼び、オルトは脇目もふらず駆けだしていく。慌ててその後を追い、ラギは運動の反動とはまた別の動悸に痛む胸を手で押さえつけた。予感が心臓を締め上げる。
「ユアン、治癒術だ、早く!」
「一体、何が、――」
 あった、と言いかけたのだろう。唐突に途切れたユアンの言葉には、音になることはなかった驚愕がありありと示されていた。斜面を滑り降りたラギもまた、オルトの居る廃屋の方へと回り込んだ瞬間に、言葉をなくす。予想と直視とでは、衝撃の度合いが異なった。
 崩れ落ちた壁、焼け焦げた木と踏み荒らされた地面。複数の足跡と何かを引きずった跡、そして黒く変色した血溜まり。積み重なった瓦礫の間に、「彼」はぐったりと横たわっていた。呼吸はしているが、四肢に力はない。
 信じられない光景。なによりも有り得ないことに、蒼褪めた彼の、その腹部にははっきりと、近くに転がるナイフで刺された痕があった。
「――お兄様」
 上着の裾を掴む手に、はっとラギは我に返る。
「わたくし、幻を見ているのでしょうか」
「私もだ」
 言い、ラギは深呼吸を繰り返す。突っ立っていたところでどうにもならないと判りつつ、足が動かない。理性を超えたところで、体がそれに近づくことを強く拒絶していた。普段、努力すればできることが、今は困難となりつつある。
「ラギ、水を」


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