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(11)

 王都までの道は、ありとあらゆる妨害が施されていた。王都を前にして遂に、なりふり構わなくなったと言った方が早い。
 術に制御されているのか、ある一定の間隔を空けて極めて正確に、或いは単調に飛来する炎の塊や岩石。正規のセルリア兵に混じり、流れの傭兵団と思われる、統一性のない装備の一団も襲い来る。後者は、王都に住む権力者が雇った私兵と見るべきだろう。猛々しく、戦い方そのものは不規則性に富んで厄介だが、撤収もまた速いぶん、前動作のない無機物の襲来より楽な相手といえる。
 馬鹿が、とクローナは口の端を曲げた。
 どれだけの者が来ようと、所詮『黒』の相手になどなるわけがない。ましてや今は、供の三人を失おうとも引き上げる気のない覚悟で進んでいる。襲撃の頻度に反比例して、進行速度にほとんど遅滞はみられなかった。時間と人血の無駄と言うべきだろう。
 術で敵を攪乱しつつ、クローナは何度も周囲を見回した。
(アスカは……)
 早く、『失黒』を出してこいと願う反面、その時を思うと何故か身が竦む。恐れでも不安でもなく、言うなれば、不快という感情に近い。同情と憐憫と嫌悪が複雑に絡み合い、考える度に胸にしこりを残すようだった。
 そしてそれは、時間を追うごとに、焦りを含んで膨れ上がる。
 故に、――その呟きを耳にした時、クローナはひどく逃げ出したい気持ちに駆られることとなった。
「アスカだ」
 目を凝らし、ジルギールが表情も変えぬまま、そう短く言葉をこぼした。
「どこです?」
 比較的気易い受け答えは、オルトである。ユアンやラギは言葉を受けてその姿を探そうとはするが、最も早い手段、すなわち見つけた本人に尋ねるということはしようとはしない。
 十数メートル離れた場所からジルギールの指さした方向を追い、クローナは凝らすように目を細めた。疎らに立つ軍旗、陽光を受けて鈍く光る鋼鉄、これまでにやってきた足止め部隊とさほど出で立ちに変わりはないが、ひとつだけ、奇妙なものがその背後に立っていた。
 一見して馬と見える、しかし相対的な大きさは比較にすらならない。体表面は、毛艶という言葉ではくくれない光沢をもって光を弾いている。だがもっともおかしいのは、それが微動だにしないことだ。どれだけ訓練された軍馬でも、その場に止まりながらどこか動いている。遠目故に細かい所作までは判らない、というレベルではないだろう。
 あの未明に見た生物だと思い、クローナはさっと頬を紅潮させる。そしてその上に騎乗する人影を認め、彼女は口元に手を当てた。正体不明の獣と同じようにぴくりとも動かない人間の背で、風を受けた黄金の髪が微かに揺れている。
「止まれ、――『黒』」
 響き渡るような太い声に、ジルギールは僅かに眉を動かしたようだった。そうして、一応のように足を止める。彼に合わせて立ち止まったユアンが声の主を見遣り、緊張を孕んだ声を上げた。
「あの軍旗は第一師団長のものですね。大物が来たようです」
「隣の男は、術師か」
「おそらくはそうでしょうね。油断ならない相手のようです」
 ラギが頷き、それを離れた場所で聞いていたクローナは、無理矢理唾を飲み下した。
 セルリア程度の小国でどれだけ名を馳せようと、国交もなく国境を接するわけでもない格上のグライセラには伝わってはこない。戦ともなれば調べ尽くすのが常套だが、さすがに今は、通り一遍の情報を集めるだけで精一杯だった。グライセラの軍部も、『黒』の為にそこまでの人員は割いてはくれない。故にその人物のへの対応は、その場その場で見定めるしかないのが現状である。
 軍における階級を信じるなら、遂に切り札が現れた、と見るべきだろう。むろん、肩書きが全てというわけではないが、男から伝わる威圧感と堂々たる体躯、『黒』を前にしても動じた様子のない態度は、充分に警戒に値するとクローナは判断した。
 心拍数が跳ね上がる。興奮が増していることに気付き、クローナは深呼吸を繰り返す。純粋な戦闘力で言えば、『黒』にまともに対抗できる人物は居ない。その点では何の心配もしていない。危ぶんでいるのは、ジルギールの精神状態だ。
「殿下、くれぐれも……」
 クローナと同じ危惧を抱いたのだろう。ラギの硬い声がジルギールに冷静であれと促した。これまでのように、出来るだけ誰も殺すなと、――特に大人物には手を掛けるなと懇願の色が強く滲む。
 ここに至るまでの経緯に如何にセルリア側に非があったとしても、侵入した『黒』により国を代表する将、或いは要人が惨殺されたともなれば黙ってはいないだろう。下手をすれば周辺諸国を巻き込んだ戦争となる。クローゼとしても、それだけは何としてでも避けなければならなかった。
 いざとなれば体を張ってでも、と思う片隅で踊る恐怖心。背筋を、緊張と共に全く別の感情が滑り落ちていく。その確かな冷ややかさに、クローナは身を震わせた。――と、いつの間に移動していたのか。横に並んだオルトが、あやすように彼女の髪をついと撫でつけた。
「お前は下がってろ」
 潜めた、優しい声音である。純粋な気遣いだと判る言葉に、しかしクローナは反射的に口を尖らせた。
「ここまで来て、邪魔者扱いはよして頂戴」
 肉体的な頑健さははっきり劣るが、クローナには他の追随を許さない術がある。向こうが術者を連れてきたとなれば、自分の力は役に立つはずだと彼女は早口でオルトに告げた。
 赤い髪の大男は、肩を竦めて困ったように笑う。
「そういうわけじゃねぇんだが」
「では、どういう意味ですの?」
「お前がホントに単純に、アスカの護衛だとかで俺たちに付いてきてたわけじゃねぇことくらい、知ってる。まぁ、目的の一つだってのは確かだろうが、それだけでお前が寄越されるわけねぇわな」
「……」
「だけどな、それが保険で、政治的にみりゃ、セルリアに対しての配慮で、いざというときの捨て駒だったとしても、だ。――俺は莫迦だからな。これでも国の運営に関わってる身だし、国か女かって言われたら勿論国って答えはするけど、でもなぁ、やっぱ、いざとなったら、お前を助けちまうと思うんだ」
 だから、早まった真似やその覚悟はしないで欲しい。
 言葉にはならなかった部分に、不覚にも涙腺が刺激される。それを必死で堪え、クローナは、迷いを振り払うようにキッと顔を上げた。
「心配無用、ですわ」
「へぇ?」
「言っておきますけれど、わたくしの方は、無駄な時に、無駄な力を使う気はありませんわよ」
 これは些か、屈折した言葉である。本心ではあるが、オルトの情に対しての的確な返答ではない。文字面だけを追うなら非情とも言えるが、良くも悪くも顔や目の方は、言葉よりも雄弁だった。判り易い本音が、付き合いの長いオルトに判らぬはずはない。
「んなこた、判ってらぁ」
 言い、オルトは、もう一度クローナの髪を撫で、他の三人のいる前方へと戻っていく。苦笑ですらなかった深い笑みは、強情な婚約者の感情を正確に把握した証拠だろう。複雑な思いで、しかしオルトが撫でていった髪を何度も指で梳き、クローナはジルギールの背を見つめた。


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