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 顎を反らし、傲然と言い放つクローナの手には、細身の剣も握られている。無論、飾りではない。術師の領分は後方よりの援護と見られがちだが、クローナはそれに甘んずるつもりはなかった。接近してきた敵への対処、それに反応するための訓練を積み、相応の腕を持っている。
 数人の兵に囲まれて尚、彼女は落ち着き払っていた。
「『黒』のところへは、行かずともよろしくて?」
「敵は、『黒』だけではない」
「まあ」
 戦場に不似合いにも、クローナは可笑しそうに上品に笑う。
「ご心配なさらずとも結構ですのよ。あなた方では、『黒』の敵になどなりっこありませんから」
「……!!」
「立ち向かう勇気のない軍人など、とっとと尻尾を巻いてお帰りなさい」
「ふざけろ……!」
「あら。わたくしは真面目ですわ、よ!」
 語尾は、発気である。
 ざわりと空気が揺れると同時に、鋭く宙を薙ぐ細い軌跡。危ういところで避けたはずのセルリア兵は、次の瞬間に瞠目することとなった。
「なっ……」
「おい!」
 腹部の防具が割れ、男はもんどりをうって倒れ込む。同じくクローナを取り囲んでいた仲間たちは、構えを崩して尻餅をつく男の方へと注意を向けた。
 それを見逃すクローナではない。
 勢いを付けてバックステップ、ひと呼吸の間に剣を鞘に収め、宙に複雑な紋を描く。術の行使は才能であり、緻密なまでに正確な呼び出しの手順であり、つまりは己という珠を究極に磨き上げた上にできあがる成果である。幼い頃より努力を惜しまなかったクローナの術は、芸術的なまでの素早さを持って敵を正確に切り裂いた。
「うわぁっ!」
「ひっ……」
 セルリア兵は口々に悲鳴を上げ、けして致命傷には成り得ない傷から血を滲ませる。運良く真空の刃から逃れた兵も見えない何かに絡め取られ、身動きも出来ずにその場に立ちつくす。
「あらあらあら」
「貴様、何を!」
「無駄な殺生は嫌いですの。しばらく大人しくしていただけるかしら」
 言葉の裏に編み込まれたものは、口調ほどに穏やかではない。おそらくは雰囲気からそれを察したのだろう、セルリア兵は一様に大きく喉を鳴らした。
 そこに、別方面から怒鳴るような呼びかけの声が上がる。
「第三小隊、どうした、――フレーベル、エンドライン小隊長、いないのか!?」
「――マルロウ隊ち……!」
「おい!」
 仲間の制止の声に、兵は慌てて口を噤む。だが、時既に遅し。返事に気付いた別の隊が、誰何の声を上げながら、視界の悪い土煙の中を駆けつける。
「そこに居――うわぁ!」
「どうした!?」
 抜け目なく仕掛けていたクローナの術が、綺麗に連鎖反応を引き起こす。一人が罠に掛かったと同時に、その周辺に組まれていた術が一斉に発動した。術を補う装置もない場では、むろん大がかりな術を使うことは不可能だったが、この際は子供騙しで充分だった。なにせ、腕に覚えのある精鋭中の精鋭は、高名なユアンたちが引き受けてくれている。ましてや、全ての者の意識の半分が『黒』に対する恐怖心の抑制に働いているともなれば、凝った仕掛けなど施すだけ手間というものだ。
 不意を突いた時点で殆どこの場はクローナの独擅場とも言える。次々に術の手に拘束されていく兵を確認しながら、しかしクローナはけして油断はしていなかった。
 案の定、というべきだろうか。
「はっ」
 短い気合いと鋭い剣先が、クローナを背後から襲う。振り向きざま剣の鞘を横に払ったクローナは、身を屈めて勢いを殺すと、その低い姿勢のまま器用に横に飛び退いた。
 それまで彼女が立っていた位置を軍靴が強く叩き、小さな砂煙が舞い上がる。
「なかなか、ですわね」
「お前は……!」
 クローナの記憶にはない顔だが、相手は勝手が違ったようである。油断なく構え直された剣の向こう、驚いた顔がクローナを凝っと見つめていた。
「どこかでお会い致しましたかしら」
「……覚えてないのは無理がない」
 独り言に近い呟きを、セルリア兵は吐き捨てる。
「名乗っておいたほうが良さそうですね。私は第1師団第4大隊長補佐、テラ・マルロウ。――先日は、闇の中失礼しました」
「!」
「私も気がつきませんでした。まさか、グライセラの使者殿であったとは」
 そのひとことに、周囲の兵が互いの顔を見合わせる。会議の場には居合わせなかったとしても、その顛末は言い聞かされているのだろう。そしてクローナもまた、テラの言葉からひとつの場面を思い出していた。
「なるほど。あなたとどこでお会いしたのか、思い出しましたわ。今日は積極的な同僚の方はご一緒でないのかしら」
「……さぁ」
 一瞬、テラの顔が硬くなる。それをみて、クローナは訝しげに首を傾けた。
「かなり、腕の立つご様子でしたけれど」
「答える必要はありませんね」
「そう、ですわね」
 認め、そしてクローナは会話の合間に組み立てておいた術を解き放つ。
「申し訳ありませんけれど。――捕獲させていただきますわ!」
「!」
 一瞬速く、異変に気付いたテラが、身のこなし軽くその場を離れて距離を取る。クローナ自身も、第一撃で上手く行くとは思ってもいない。テラの逃げる位置を予測していた彼女は、素早く次の術を発動させた。
 もともとはクローナを狙って放たれた矢が、小石を弾き、地表より数センチの位置を低く飛ぶ。向かう先はもちろん、テラの足下である。
「くっ」
 呻き、テラは再びその場で土を蹴る。だが、第二撃、第三撃、四方八方に散らばっていた矢は、一斉にではなく、僅かな時間差をもってテラを襲った。避ける暇はある、だが、避け、地点に着地した瞬間に狙いが定められる為、テラは次第に余裕をなくしていく。複雑なステップ。大きく飛び退くことは可能だが、踏ん張っている間に足首を狙われるだろう。
 矢が尽きるのが先か、テラが力尽きるのが先か。待つことも可能だったが、クローナは余計な時間を与える気はなかった。テラの背後に回り込み、剣を唸らせる。その動きを読んだのだろう。セルリア兵のひとりがテラに注意を促した。
 気づき、テラは身を捩る。
「痛っ……」
 片足を犠牲に、体勢を整え、テラは大きく剣を払う。金属の甲高い悲鳴。間断なく鋭い音が響き渡る。力も剣技も上回るテラに対し、術によるフェイクを得意とするクローナ。どちらがどう有利と言えぬ駆け引きは、本人たちの感覚を別にすれば、そう長い時間ではなかった。


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