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(……疑似的な捕縛術? いえ、あれは暴走に際して正気に返らせる為だけのもの。平常心の『黒』を抑えるものではありませんわ)
 判らない。それがもどかしく、クローナを焦燥に駆り立てる。
 本来なら願ってもない術であるにも関わらず、それが発動した瞬間の禍々しい音を思い出せば、手放しで喜ぶ気にはなれなかった。加えて、いくら『失黒』が使えない状態になったとは言え、術を使っておきながら即座に撤退した、セルリアの師団長の行動にも解せないものがある。
 この術には何か、裏があるのではないだろうか。
(代償に、とんでもないものを必要とするような……)
 爪を噛み、己の知識のなさに苛立ちを募らせ、――クローナは、ぎよっとして目を見開いた。
「……ぐ、あああっ!」
 臓腑を吐き出すような呻き。術で拘束していたうちの数人が、急に苦悶の声を上げてのたうちまわる。特に怪我の深かった者達だ。
「――おい、どうした!」
 テラの慌てた声に、クローナははっと我に返る。
「貴様、何を……!」
「わたくしではありませんわ!」
 テラの唸りに、クローナは悲鳴に近い否定を持って応ずる。真実、彼女は行動を封じる以外の術は使っていなかった。
 セルリアが飛鳥にした数々の罪を非難しているクローナではあったが、ジルギールとは違い、直接彼女を掠っていったテラたちを憎んでいるわけではない。与えられた命令を遂行しているだけで、飛鳥の処遇に対して決定的な権限をもっているわけではないのだ。飛鳥を人質に取りはしたが、脅し以外の積極的な暴力に及ばなかった点でそれなりに彼らの人格を評価している。
 故にクローナもまた、無用な悪意をぶつけるような真似をする気はなかった。
「ふざけるな! 貴様以外に誰が!」
「知りませんわ!」
 その間にも次々と、糸の切れた繰り人形のように、何かに抗っていた兵が倒れていく。いくつもの術が交錯するこの場で、予想外の反作用が引き起こされているのかと推測し、慌ててクローナは、倒れた者達に対しての術の拘束を解いた。
 ――だが、地に伏した兵たちに変化はない。おそるおそるその方へ手を伸ばし、クローナは小さく息を呑んだ。瞬時に、顔から血の気が引く。
「……死んでますわ」
「なに」
「怪我ではありませんわ。我が陛下の名にかけて、わたくしも何もしておりません」
 クローナの震える声、或いは『白』の王に誓ったことがテラの激情を鎮めたのだろう。何度か深呼吸を繰り返し、残った部下と顔を見合わせた後、努力して抑えたであろう声で、テラはクローナに問いかけた。
「何も? では、何が起こったと言うんだ」
「お待ち下さいまし」
 言い、クローナは事切れた兵の体を術で探る。
 外傷は、増えてはいない。失血という苦しみ方ではなかった。脳、心臓、他諸々の内臓にも異常はない。
 ただ、突然、
「!?」
 反射的に手を引き、クローナはその変化に息を詰めた。不自由な姿勢のまま身を乗り出していたテラの口から、細く引き攣った音が漏れる。
「そんな、早すぎる……!」
 同じく拘束されたセルリア兵の言葉は、正しく皆の思いを反映していた。皆の見守るなか、数体の屍体から――屍体の髪から、急速に色が失われていく。人が死ねばその力は確かに霧散していくが、それにしても、早すぎる。
「まさか」
 クローナは強く手を握りしめる。だがその現象の示すものを察し、認めたくはない事実を口にする前に、再びくぐもった悲鳴が近くから発せられた。
「――おい、しっかりしろ!」
 仲間の励ましが届いたふうもなく、新たに一人、比較的軽傷だったはずの兵が喉を掻きむしり、苦悶の形相を天に向ける。
 悲痛な声に迷い、だがクローナは、覚悟を決めるように強く奥歯を噛み締めた。『黒』に対し、どんな術が使われたのか、そうして今、何が起こっているのか、ここへきてようやく悟ったのだ。
「非道いことをする……!」
 声に含まれるのは、強い怒りだった。そうして、その怒りのままに、手を、腕を、複雑に組み絡ませる。その内に、白く光る指先。
 瞬間、不可視の檻がクローナを中心として半径数メートルの空間を包み込んだ。同時に、宣告するようにクローナが高々と手を上げる。
「己の元へ還れ!」
 閃光。
 空間から弾き出されたものが、光の尾を流しつつあらぬ方へと飛んでいく。咄嗟に目を伏せた兵も多い中、一部始終を見届けたテラが、茫然と呟いた。
「結界……!? お前は、まさか、」
「その話は後ですわ」
 蒼褪めた顔のまま、クローナは最も遅く苦しみだした男の横に膝を突く。
「お加減は?」
「う……」
「もう大丈夫ですわよ」
 諭すような声音に、男は何度か目を瞬かせた。そして、言葉を事実と認識するや、深い安堵の息を吐く。
「……なんで」
「あなたたちが既に、敵ではないからですわ」
「どういうことだ」
 口を挟んだのは、別の兵である。結界の内、既に拘束は解かれていたが、逃げ出す気は無くしているようであった。同様に、複雑な色を混ぜた目をクローナに向け、テラもまた説明を欲している。
「あなたがたは、見捨てられたということです。撤退の際に置いていかれたから、という意味ではありませんわよ」
「……何故、そうと判る」
 理屈ではなく勘でそれが事実だと認めているのだろう。辛辣な言葉であるにも関わらず、テラの声は落ち着いていた。目元の力を緩め、力なく横たわったままの兵を一瞥し、クローナは残酷な真実を告げる。
「彼が、いえ、既に亡くなった方々が、生贄に使われたからですわ」
「生贄? 何の」
「先ほど、ここより追い出しました力。わたくしの目に間違いがないのであれば、『黒』を捕らえている術の装置に向けて戻っていきましたが、あれを何だとお思いになって?」
「……」
「ひとりの人間では繰り切れないほどの力を使って、ようやく成す術があります。アスカの呼び出された召喚術然り、……今まさに、『黒』を封じている術もまた。しかし、それなりの力を持った術師を集めることは困難ですわ。そのようなとき、どうするかご存じで?」
「……まさか」
「誰しもが持っている、訓練しなければ引き出せない、眠っている力を使えば簡単ですわ」


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