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「では、では、術の為に、何人もの力を奪って殺したというのか?!」
「その通りですわ。はじめに用意していた術力だけでは、抑えきれなくなったようですわね。臨時に徴収したのですわ。同意なく力を引き出すのは困難なこと。故に抵抗する力のない者から優先的に奪われていったということでしょう」
 それを、無差別という。否、絶対数や個人的な戦闘力から言えば、『黒』の従者がそれに選ばれる確立はあまりに低く、故に、戦えなくなった仲間を見殺しにしたと評するのが正しいだろう。
 血の滲むほど唇を噛み締めたテラを見つめ、クローナは低い声を紡ぎ出した。
「状況は把握していただけましたかしら?」
「……」
「アスカは、どこへ?」
「何故それを今聞く」
「あなたはわたくしの説明にようやく、あなたがたの上司が目論んだことを知りましたわ。つまり、あなたの持っている情報の中で、役に立つことと言えば、それしかありませんもの」
「……言うと思うか?」
「言わなくても構いませんわ。ただ、今すぐ結界を解くだけの話ですもの」
 テラをはじめ、兵たちの顔が瞬時に蒼褪める。命を盾にした脅迫に、テラはクローナの勝ち気な瞳を睨みつけた。
「随分な脅しだ」
「脅迫は、セルリアのお家芸ではなくて?」
「なんだと?」
「何の関わりもないアスカを無理矢理この世界の理に巻き込んで、強制的に『黒』に捧げ、今度は彼女を盾に『黒』を脅す。そのくせアスカを助けに行くだけのわたくしたちが、味方に見殺しにされたあなた方を助けてみれば、礼もなくただその力に縋る」
 痛烈な批判に、何人もが言葉を呑み込んだ。
「言いなさい! アスカに微塵でも罪悪感があるのなら、わたくしたち、この地に生きる者に課せられた事象を、アスカに押しつけた自覚があるなら、今すぐに言いなさい!」
 クローナの一喝に、テラの眉が強く寄せられた。仲間、おそらくは同じ部隊の者の視線を受けて、己の心と軍人としての義務の間で揺れ動いている。
 逡巡、だがその時間は短く、彼女の口が躊躇いの残滓を引きずったまま開かれる。
「それは、」
 従順か拒絶か、――だが、それが最後まで言葉になることはなかった。
 突如、襲い来る熱風、そして爆音。
「っ!!?」
「なっ……!」
 結界の内に守られ、それらが直接クローナたちに害為すことはなかったが、視覚と聴覚による衝撃までが消えるわけもない。伝わる地響きと飛来する石礫。砂の弾幕で黄色く煙る視界。
「まさか、……暴走が!?」
 自ら口にした予測を、だがクローナは即座に否定する。
 違う。今ジルギールは術により力を抑え込まれている。『黒』の気配にも変化はない。それに、暴走ならばもっと禍々しい、怖気だつような闇が充満していくはずである。それがないとなると、とクローナはジルギールたちのいた方向に目を凝らした。
「何かが放電している」
「え?」
「術の装置だ」
 テラの硬い声が鋭く状況を言い当てた。
 どういうことかとクローナが問いかけるべく顔を上げる。だがまたしても、返答が言葉になる前に、更なる爆発が言葉を流す。激しい砂嵐にも似た一瞬の衝撃の後、クローナは堪らずに駆けだした。
「おい!」
 セルリア兵の男が、慌てた声を上げる。だがクローナは振り返りもせずに、粉塵立ちこめる爆発の中心へと足を速めた。つかめない状況に焦れたこともある。だがそれ以上に、放っておくことの出来ない危険な兆候を見出したのだ。
 果たしてその直後、クローナの危惧を嘲笑うかのように、『黒』の力が急激に膨張する。ルエロの残した装置はその負荷に耐えきれず、――遂に、最後のひとつが砕け散った。
 瞬間、雷にも似た強烈な光が空を目掛けて駆け上る。一閃、その直後、ジルギールの体から噴きだした闇が、渦を巻いて周囲を黒に染めた。
「!」
 クローナは咄嗟に足を止めた。例えようもなく恐ろしい力と気配が、見えない壁となって彼女を阻む。
 装置の炎上、それに伴い途切れる術。急に行き場を失った力が更に小さな爆発を引き起こし、ジルギールの周辺で幾つもの火炎が噴き上がった。風と炎に煽られ、逃げ惑う人々、だがむろん、真の問題はそこにはない。
「殿下!」
 オルトの呼びかけに、ジルギールが低く呻く。暴走ではない、だが術による疑似封印に抗っていた力が彼の制御を超えて、それに近い状況を作り上げている。
「来るなっ!」
「しかし、」
「これは、暴走じゃない、だから、捕縛術は、効かない、だから、来るな!」
 ジルギールの額から汗が頬に滑り落ちた。眉間には深く皺が刻まれ、自らの体を強く戒めた腕は細かく震え続けている。自らの力を持て余しているのだ。
 一瞬でも気を抜けば、力は形有る暴力となって人々を容赦なく襲う。それが通り過ぎた後に生きていられるのはジルギール自身と、強力な防御術を身に着けた一部の者、そしてクローナの結果に守られた者たちだけだ。怪我をして逃げるに逃げられない者などは、ひとたまりもないだろう。
 このまま何ごとも起こらなければ、ジルギールの努力は報われる。だが集中を乱す要素の多い戦場において、それを期待することは失敗を願うことと、さほど違いはない。
(そんなことは、させませんわ!)
 顔を上げ、クローナは竦んだ足を無理矢理地面から引きはがした。
 正直なところ、この期に及んでもまだ『黒』に近づくのは恐ろしい。切羽詰まった状況となれば尚更の事。だが、クローナの中に長い年月を掛けて培われた使命感、或いは強い矜持が、その場から逃げることを許さなかった。
 走りながら、己の内にある力に集中する。
 そうしてクローナは、今度こそ迷わずに力を解き放った。
「!」
 結界術が速やかに、極めて正確に『黒』を覆う。クローナ以外の者の目には映ることのない膜はしかし、その存在感のなさとは真逆の強力な効果を惜しみなく発揮した。
 急激な力の消失にジルギールが驚いた目で振り返る。同時に、何ごともなかったかのように、僅かな波動だけを残して結界もまた消え失せた。
「――」
 永遠にも取れるほどの数秒、時間を切り取ったかのような変化を目の当たりにして、人々は倣ったように同じく動きを止めていた。辺りを覆っていた闇が引き、吸い込まれるような沈黙の中、爆発に爆発を重ね、焦げ、抉られた大地で、滑らかな炎だけが小さな音を立てながら揺れる。爆風は薄い熱を孕んだそよ風へと変わり、茫然とその場を見つめる人々の頬を撫でて消えていった。


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