[]  [目次]  [



 ジルギールの踵が、ざっと砂を掻く。気の抜けたように膝を突く彼を見て、クローナはようやく胸をなで下ろした。『黒』に対し実際に結界術をかけるのはむろん初めてのことで、明らかに『白』に劣る自分の力が『黒』に通用するかの確証がなかったのだ。勿論、一秒に満たない程度しか結界を持続させることは出来ず、絶対空間は『黒』の力と相殺するような形で消滅したが、結果として目的を果たせたことには満足せねばならないだろう。
 陽光が、乾いた大地に降り注ぐ。気づき、恐怖に身を屈めていた多くの兵が恐る恐る顔を上げ、そして歓声を上げた。
「大丈夫か?」
「――オルト」
 肩を叩く手に、クローナは安堵の息を吐いた。
「……なんとかなりましたけれど」
「ん?」
「もう二度と、ご免ですわ」
 よくやった、とオルトは笑う。だがそれも数秒のこと、すぐに顔を引き締め、彼は周囲を厳しい目で見回した。
「ひでぇ有様だ」
「非道い術、の間違いではありませんこと?」
「――何ごとも犠牲無く、なんざ甘いことは言わねぇ。けどこれは、やり過ぎだ」
「ええ」
 数多く転がる屍体に、『黒』の力の凄さを思い知る。それほど多くの者の力、そして命を奪っても、足止めすら長くは持たなかったのだ。おそらくはそれを知りながら、敢えて行使に踏み切ったセルリア軍上層部の思惑には憤慨せざるを得ない。
「わたくし、我慢なりませんわ」
「クローナ?」
「今まで、事の成り行きに付いていくつもりでしたけれど、心底腹が立ちましたの」
 言い、勢いよく勇ましく、服の裾を払う。そうして毅然と顔を上げ、遠巻きに事を見守っていたセルリア兵に向かい、声を張り上げた。
「テラ!」
 この場に残り、且つ生き残った兵たちが何ごとかと視線を向ける。だが、名指しを受けた女は半ばそれを予想していたように、緊張に強張りながらもはっきりと頷いた。
 認め、クローナは重々しく口を開く。そうして、決定的な言葉を口にした。
「世界の守護者たる『白』、その代理人にしてグライセラが次期国王の名において命じます」
「!」
「なんだって……!?」
 耳にした者の口から漏れる、悲鳴。多くの兵の顔が、一気に蒼褪めた。彼らはセルリア人であり、厳密に言えば、他国の要人の命令に従う義務はない。だが、『白』の名が出るとなると話は変わる。
 そも、『白』の地位は国境を越えて最も高い。加えてクローナの宣言はつまり、命令を拒絶するのなら、大国グライセラを敵に回すだろうという脅迫を含んでいた。それは、今後一切――今の『黒』亡き後、例えセルリアに『黒』が生まれ、『白』の力が必要な事態に陥ろうとも、グライセラの王座に『白』が居る限り、『白』の援助が受けられないことを意味するのだ。
 静まりかえったその場で、幾つもの視線がテラとクローナの間を行き来する。
「お前たちの司令官が逃げた場所を教えなさい。お前たちに国と人を守るという使命感と誇りが残っているのなら、――これ以上、阻むことは許しません!」
 脅迫に屈し、或いは将来を思い、今『黒』の脅威を王都へ運ぶか。先を捨て、ただこの時だけを守るか。前者を選んだ場合、この先の展開によっては、テラは売国奴の汚名を被るだろう。だが、後者と取ったとしても、セルリアの未来に影を残すこととなる。
 軍隊の中、中堅でしかないテラには重い選択だろう。だが、この場には彼女より上のものは居らず、誰もがただ、気遣わしげな視線を向ける。
 張り詰めた沈黙の中、数秒の間をおいて、テラの硬質の唇が開かれた。
「――ご案内いたします」
 ざわめき。
「しかし、これだけは勘違いしないでいただきたい」
「……」
「ご命令に従うわけではありません。ただ正直に、自分の心から、――どこかで方法を間違えてしまったセルリアを、正しい方向へ戻したいと思います」
 そうしてテラは、深々と腰を折る。
 静かな言葉には、非難の声も野次も、ただひとつも飛ぶことはなかった。


[]  [目次]  [