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 体を強ばらせたのは、スエインやテラだけではない。三色の護衛、或いは従者やグライセラの時期王候補の女も同様に息を詰めた。そういう返答があると予測はしていても、相手が『黒』である以上、精神的な負荷が強い。あからさまな程の本気が含まれているともなれば、尚更と言うべきか。
 困惑と懇願の視線を受け、スエインは音を立てて唾を飲み下した。
「――今更、多少急いだところで変わんねぇだろ」
 脈絡のない言葉に、『黒』ははっきりと眉を顰めた。
「さっきの質問、答えちゃくれねぇか?」
「質問?」
「いくら『白』が近くに居るとしても、四六時中一緒に居るわけにはいかねぇだろ。どうやってその年まで、無難に生きてこられたのか、教えてくれよ。お前にだって、変化はあったんだろ」
「それを聞いてどうする」
「さぁ」
 躱す、というよりは誤魔化すような返答に、『黒』はため息を吐いたようだった。だが、真面目な性分なのだろう。急いた割に短気を起こすわけでもなく、僅かに言いにくそうに口を開く。
「俺はそのくらいの時期にはもう、『黒』だと自覚してたし、どれだけ異質なのかどういう立場なのか、嫌というほど判ってた。だから、自分の感じる要求や欲求がどれだけ無茶なことなのかも判っていたし、反抗しようにも、相手が大恩ある『白』じゃ、どうしようもなかった。それだけだ」
「……そうか」
 ああ、とスエインは思った。――やはり、自分たちは間違っていたのかも知れない。
「せ……、隊長」
 口角を歪め、低く嗤うスエインに、テラがおずおずと声を掛ける。
「昼の戦闘で、『黒』は団長たちの作った術を破りました。『黒』であるという自覚があるのとないのとでは、力が変わってくるのでしょうか?」
「そりゃ、ねぇよ」
 言い切り、スエインは同意を求めるように『黒』の従者へと顔を向けた。硬い表情のまま、三者三様に肯定の意が示される。『黒』の力の違いがあるとすればそれは、生きてきた年月に準ずるものであり、個体差は論ずるに及ぶほどのものはない。
「では、昔セルリアにいた『黒』も、だんだんと、術が効かなくなってきていたということですか」
「そんなこた、術者たちにははじめから判っていたんだ。『黒』の力を抑え込む術の源が何なのか、お前も知っただろ」
「!」
「なんてこた、ない。あの術は、気の遠くなるような膨大な力をぶつけて、無理矢理『黒』の力を抑え込んでいるに過ぎねぇんだ。はじめはひとりの術師が、その内数人に増え、終いにゃ一日術を持たせるのにひとりの術師を倒れさせるほどの力が必要になってきた。それでも、当時の俺やお前の父親は、なんとかやりくりしてるんだと思ってた。楽観的な話だ」
「つまり、セルリアの王宮にいた『黒』が『失黒』――ラゼル・リオルドに斃される時点では、人の命を使っていたということですか」
 優しげな顔を強ばらせ、緑の髪の男が確認を挟む。頷き、スエインはテラに渡した冊子を指さした。
「主には、死刑囚や犯罪者だったけどな。『黒』を生かすために人を何人も犠牲にした。それは事実だ」
「それでも、最期の日には、暴走した『黒』を抑え込むことはできなかった、ということですね?」
 感情の見えない、努めて冷静な声が誰もの耳に痛い事実を口にする。これもまた、疑問ではなく確認だった。答えは全て現状が物語っている。
 スエインは、眉間に深く皺を寄せ、強く奥歯を噛み締めた。その、何かを堪えるような反応に、青い髪の男が更に言葉を継ぐ。
「故にセルリアは、王宮に居た『黒』の全てを封印したのですね? 『黒』に関することを人が出来うる限り避ける傾向にあるのを利用し、『黒』は突然現れ、暴走したあげくに討たれたという些か説明のつかない話を事実にすり替えた。おかしいと思う者は居ても、それを敢えて取り沙汰にする者はいない。誰も、『黒』の災厄に巻き込まれたなどと口には――」
「違う」
「……?」
「違うんだ……」
 絞り出すようなスエインの声に、眉根を寄せたのは青い髪の男だけではない。テラや、今の『黒』までもが、不可解な表情をもってスエインへと視線を移した。
 皆の無言の促しを受け、スエインは緩く首を振る。
「暴走なんかじゃねぇ」
「それは……どういうことですか」
「ちょっと考えりゃ、判る。そいつの暴走の時は、ナルーシェの街がひとつ滅んだんだぜ? いくらそいつより若い時期だったからって、王宮が多少崩壊したくらいで済むわけねぇだろうが!」
「!」
「皆、初めから暴走してたと思いたがって、そう思いこんでる。本気で自分の記憶をすり替えてる奴も居る。俺だって、こんなことが起こらなかったら、墓の中まで自分を騙したままでいただろうさ。けど、本当は判ってんだ。そりゃ、最後にゃ本当に暴走した。けどな、途中まではそうじゃなかったんだ」
「……先輩」
「さっきの続きだ。聞けよ」
 低く、スエインは唸った。
「教えてやる。何があったか。――だから、お前等も聞いて行け」
 吐き捨てるような言葉に、皆が口を引き結ぶ。ひとり、何か言いかけた『黒』は、しかし、ただ堪えるような目をスエインに向けた。

 *

 最近、周辺で仕事を辞していく者が多い。そう気付いたのは、同時期に配属された同僚が姿を消してから数日後のことだった。『黒』の住まう特別な地域の警備を担当して5年、主が何であるのかさえ考えなければ、仕事としては楽な部類に入る。辺境に配属され、負傷がもとで引退を余儀なくされた者に比べれば、身体的な危険は皆無と言って良かった。
「エイデン隊長は辞めませんよね?」
 唯一、長い付き合いとも言える直属の上司にそう問いかけたのは、やはり、心の奥底ではどこか不安だったからだろう。
「僕もまだひよっこなのに、新しく来た人に仕事教えるのって、何か変ですよ」
「ここに居座れる図太さがあれば大丈夫だ」
「へぇ? 僕で図太いんだったら、隊長は何なんです?」
「さてな。――無駄口叩いてないで、様子を見に行け」
 露骨な切り替えに、しかし肩を竦めただけでスエインはその場を後にした。基本的にここで働いている者は、私生活や心情をあまり口にしない。そういった瑕の在る者が集められているのか、敢えて「自分の日常」と仕事を切り離すことで自分を守っているのか、或いはその両方か。
 そうと知りながらも誰もが深入りしない。当たり障りのない、表面だけの平穏。仕える主がその最たる象徴である以上、仕方のないことなのか。
 王宮の端を大きく迂回し、辿り着いた庭園を複雑な気持ち見つめ、――しばし間を空けてスエインは目を眇めた。


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