[]  [目次]  [



 蝶番の軋む音が夜の闇に響く。乾燥した、しかしどこか古い臭いに、ラゼルは眉根を寄せた。普段使われることのない場所だと示すように、そこには朽ちた気配が充満していた。入って右の壁にはぽっかりと穴が空いており、そこから僅かに湿った風が流れ来る。仄暗いその先は、地下に通じているようだった。
 反対側、薄暗い室内の奥に目を向け、ラゼルは息を呑む。
「彼女が『失黒』だ」
 後ろ手に扉を閉め、ルエロは促すようにラゼルに目を向けた。
「知っていると思うがね」
 言葉もなく、ラゼルは首肯する。横たわる女の顔を覚えていたわけではない。ただ見間違えようもない、エルリーゼと同じ、金色に輝く髪、それが全てだった。
「……ふむ。よく馴染んだようだ。やはり、一度馴染んでしまうと、他のは受つけんようだな」
「?」
「髪に色が綺麗に戻っている。さっきまでは、くすんでとても金だとは思えなかったのだがね」
「何か治療でも……? そう言えば、彼女の体調を整えに戻ってこられたとか」
 原点に返るのがよい、と言い切ったグエンと、それに納得した様子の国王の姿を思い出し、ラゼルは首を傾げた。
「リーテ・ドールの方が、設備は整っていると思いましたが」
「王女がここから離れぬのでは、仕方なかろう。召喚の時とは違い、要るのは術師ではなく王女だからな。」
「姫がなにか?」
 問いかけに、ルエロが莫迦にしたような笑みを向ける。理由も判らぬままにさすがに不愉快を覚え、ラゼルは強く彼を見返した。
「逃げているだけかと思ったら、本当に気付いていないようだ」
「なに……」
「ヒントをやろう。そこにあるものを何と取る?」
 ルエロの指先につられ、ラゼルはその終点に目を向けた。角の取れた石の机、その上に鈍く光る塊がある。周囲をぼやかすような頼りない灯りのもと、目を凝らし、ラゼルはその正体に眉根を寄せた。
(髪?)
 長さにして、ラゼルの掌の幅ほどに切り取られた髪が、無造作に捨て置かれている。殆どは既に色、すなわち力を無くしているが、小さな山となった内側にはまだ残滓があるようだった。
 ルエロの視線を意識しながらそれを探り、ラゼルは再び眉間の皺を強くする。
(黄? ……いや、金だ)
 横たわっている女のものだろうかと思い、緩く頭振る。はっきりと覚えているわけではないが、『黒』の元へと連れて行かれたあの日、ちらりと見た姿、髪の長さとさほど変わりがないように思えた。それが正しいとすれば、残る選択肢はひとつ。

 ――おや、御髪を少し短くされたのですね。代理の女性と揃いの長さになさったので
 ――『黒』は! ……化け物は、どうなったの

 突然、否、必然か、ラゼルの脳裏にあの日の会話が走り抜けた。
 女が召喚される前には臀部のあたりまであった髪が、『黒』の期日には腰ほどになっていた。そして今、『失黒』となってしまった女の回復を促す場に、再び切り取られた金の髪がある。
 その符合するところ、行き着く答えに、ラゼルは目を見開いた。力の抜けた体が机に当たり、数本の髪が床に滑り落ちる。
「まさか……」
 掠れた声を絞り出し、ラゼルは顔面を片手で掴むように覆った。
「彼女は、……いや、『セルリアの金』は、はじめから作られたのか……!?」
「莫迦ではなかったようだな」
 遠回しの肯定に、ラゼルは愕然と術師を見遣る。彼の導き出した答えに感銘を受けるでもなく、ルエロは無感動な目で見返した。
「女が召喚に応じて現れたとき、なにせ、既に死んでいたのでね」
「……っ」
「いや、ぎりぎりの状態で生きていたと言うべきかな。呼ばれ来た直後は前の世界の余力で生きていたが、徐々に力を失っていく、それがすぐに判ったのでね。幸い私は、呼び出す際には直接関わってはいなかったから、力も残っていた。某か力を与えようかと思ったときに、参加していた他の術師が提案したのだよ。――金の力を持つものを混ぜ合わせれば、透明の髪に色が付くのではないかとね」
 ラゼルは、胸を手で押さえた。子供が工作をするときのような発想に吐き気を覚え、それに同意したであろう目の前の術師に嫌悪を感じる。
 だがルエロはそれを意に介した様子もなく、淡々と真実を話し続けた。
「馬鹿馬鹿しいとは思ったがね。何人もの術師を潰してまで行った召喚術を無駄には終わらせたくなかったのでね。試みたところ、見事に成功した」
「ば……莫迦な。他人の力を、付与されるなんて」
「呼び出した直後の結合の緩い不完全な体故に、簡単な合成術ですぐに定着した。液体や気体であれば、それすら必要なかったかもしれんな。生きるために、貪欲に力を吸収したと言うべきか……。徐々に力が抜けていくことは、まぁ、予想の範囲内だ」
「では……」
 弱々しい灯りに、ラゼルの影が頼りなく揺れる。
「彼女でなくとも良かった、ということなのですか」
「さて。この世界に生まれる者は某かの色を持っている。中には、生まれたときに透明の髪だったという例もあるようだがね、同じように死に行く個体だとしても、体の未熟な児ではどうしようもない。自らの力持った人間には、他の力は馴染まない。そういう意味では、肉体的に問題のない、しかし固有の力のない存在というのは、召喚するより他に作りようがなかったとは言える」
 だが、逆を言えば、女の世界の者であれば、彼女でなくとも良かったのだ。誰でも同じ事が出来た、と言える。
(なんという……)
 憐れだ。女に、彼女にしか出来ない何かがあってこの世界に呼ばれたのだと、少なくともラゼルはそう思っていた。それが『失黒』という力を得る素質だったのかと思っていた。
「召喚術については、研究が禁止されているのでなんとも言えぬが、この場所と異世界が重なり合った、その中心に存在した生命体だったと私は思っているがね。さすがにこれは、想定の域だ。結論を出すには過去にも例が少なすぎる」
「生命を弄ぶ術です……。禁術として封印されるのが当然です。セルリアは、私たちは、やってはいけないことをやってしまった」
「そんなことは、使う前から承知している。君の感傷は、罪を認めれば罪が軽くなると思いたがっているに過ぎない」
「しかし」
「もう終わったことだ。もう遅い」
「……っ」
 ルエロの言葉にふたつの意味を見出し、ラゼルは強く目を閉じた。否定できない。確かに全ては、もう遅い。
 額を押さえて呻く彼に向け、ルエロは低く嗤ったようだった。
「……君も過去を知る男なら、『黒』の暴挙をこれ以上許してはならないことくらい、判るだろう」
「……」
「『黒』を速やかに討つように、女を説得することだ。協力的にするならば、女の今後は保証しよう」


[]  [目次]  [