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 放電。鋭い痺れがその場に居合わせた者を鞭打つ中、『黒』は術師たちの展開した軛から脱しようとしていた。不可視の縄が引きちぎられ、その度に反動が術師たちを襲う。
「ぐっ……」
 喉元を押さえ、溢れ出る血を床に撒き散らし、ひとり、ふたりと倒れていく。巨大な術の逆流は、許容量を超えた者達を内側から破壊した。外傷もないままに、床に伏す術師。だが、彼らを守っていた兵たちも無傷では済まなかった。開放された『黒』の力が、放射状に人々をはね飛ばす。
 『黒』の暴走、つまり、術は失敗した。より強い『黒』の力の前に、競り負けたのだ。数度の破壊を経て生き残っていた者全ての脳裏に、絶望の文字が走り去る。それは、ラゼルでさえも例外ではなかった。
 ただ彼だけは、心の片隅に、『黒』、アロラスへの思いを残していた。――故に、アロラスの苦しみまでもが、彼の心を苛んだ。
「あぁあああぁぁアアアァァッ、!!」
 死に行く者の絶叫よりも尚強い、それを、何と表現すればいいのだろう。
 慟哭。
(啼いている……)
 圧倒的な力を持ち、破壊を続ける暴走した、『黒』。加害者でしかないはずの彼が、絶望のままに啼いている。
 甘やかされ、少し我が儘で、けれど、優しく素直だったアロラス。彼は、こんな未来を望んだだろうか。ラゼルの脳裏に、彼と過ごした年月が駆け巡る。
(駄目だ)
 この先、『黒』の暴走の果てに残るものなど何もないだろう。そんな残酷な未来を、アロラスは描いただろうか。
 そんな思いと一瞬の、過去との邂逅。その温かさが、ラゼルの頬を打つ。深い、深い絶望よりも明確な意志に、彼は己のすべきことを悟った。課せられた役割におののくよりも先に、黒い渦の方へと顔を向ける。
 ラゼルは何者かの手に引かれるように、既に事切れた兵の手から弓を取り上げた。別の兵の体の下で、折れずに残っていた矢を拾い、弓に添える。
 飛来する礫、目を開けるのも苦しいほどの突風。『黒』が完全なる暴走へと落ち行く今、術の残滓が完全なる力の解放を抑制している僅かな間が、最後のチャンスだと思った。
 これ以上、誰も傷つかないで。誰も傷つけないで欲しい。
 願い、ラゼルは叫ぶ。
「アロラス様!」
 黒い炎を纏った少年は、呼びかけに顔を上げたようだった。全てを薙ぐ嵐の中、不思議と、ラゼルの目には彼の姿がはっきりと映し出された。
 アロラス様、とラゼルは再び心の中で呼びかける。突然の終焉に、伝えられなかった思いが溢れ出す。
 ――僕は真実、あなたが大切でした。だから、
「許して下さい……」
 弓をつがえ、弦を引き絞る。『黒』は動かない。
 予感を持って、ラゼルは指を開いた。解き放たれた矢は、真っ直ぐに、狙い違えることなく軌跡を描く。
 
 崩れ落ちる『黒』と、耳の割れるような歓声。
 ラゼルは頬を伝う涙に、己の罪の温度を知った。
 射貫かれ、倒れていく間際に見せた顔。
 目を細め、緩く唇で弧を描いたその表情は、――安堵、だったのかもしれない。

 *

 開け放たれていた扉から、夜気を伴った風が舞い込んだ。薄く積もった埃が散り、暗い室内を泳ぐ。
「後は、知っての通りだ。どうせ、調べたんだろう?」
 スエインは僅かに皮肉の色を乗せた笑みで、立ちすくむクローナを見た。
「他国には、突然『黒』が現れたとして通した。事実、何も知らない者から見ればその通りだったんだ。王位継承者だったシドニエル殿下とその妻の死はそれとは無関係の事故として数日、葬儀を遅らせた。傍系の王族も、臣下に下っていなかった奴らは城の崩壊に巻き込まれて死んだ。残ったのは、唯一、エルリーゼ姫だけだった。だから俺たちは、殿下を何が何でも守る必要がある」
 力強い指導者によるクーデターであればともかく、血筋が断たれた事による継承問題は、周辺諸国にとっては恰好の餌である。少しでも有力な者と手を組み、内部からセルリアを操ろうとするのは序の口、敢えて内部崩壊へと導き、力ずくで滅ぼそうとする国も出てくるだろう。さして実入りの少ない土地と言えど、国土は国土。狙う価値は十二分に存在する。
 言葉なく立ちつくす面々を見回し、スエインは最後に『黒』へと目を向けた。
「頼む。国へ、帰ってくれ」
 声を絞り出し、スエインは深く腰を折る。
「これ以上、セルリアを苦しめないでくれ」
 誰が悪かったのだろう。スエインの思考はいつもそこで停止する。
 王は深く妃を愛していた。それでも生まれた『黒』を殺そうとした。止めたのは術師で、しかし彼に邪な欲があったわけではない。『黒』を封じる術を長年研究し続け、その成果を実例をもって証明したかっただけだ。では、それを無茶だと制止しなかった周囲が悪いのだろうか。――否、疑問を持ちながらも、それぞれが己の職務を全うしていた。それだけだ。
 誰もに悪意が在ったわけではない。それぞれの思惑の中、それでも根本は平穏たれ、と願っていた。ただそれだけで、――ただ、ただ、はじめの時点で方法が間違っていたのだ。そしてその歪みは最終的に『黒』を追い詰め、引き返せないところに押し込んでしまった。
 全て、人の弱さが産んだ悲劇だと判っている。
 そして、『黒』に関わるべきではなかった。その後悔と教訓からセルリアは、もう二度と過ちを起こさないと決めた。
 それなのに。
「話は終わりか」
 静かな、聞きようによっては冷徹とも取れる言葉が響く。
「――行くぞ」
「殿下?」
「アスカが待ってる。王都へ向かう」
「――っ!!」
 テラが、声にならぬ悲鳴を上げた。そんな彼女を横目に、スエインは口端を歪め、低く嗤う。
「殿下……」
 三色の従者もまた、非難ともとれる制止を口にする。だが、『黒』の顔はあくまで無表情だった。僅かに落ちた沈黙に、興味のなさそうな目で室内を薙ぐ。そうして、彼はおもむろに踵を返した。
「待てよ!」
 震える声が、室内にこだまする。
「あの女が、王都に連れ去られたとは、限らねぇぜ? お前の来襲を恐れる王女にゃ、ラゼル・リオルドが付いてる。お前があの女を気に掛けてるってのは、俺が知らせた。お前の気を逸らすために、どっか他に行ってる可能性は捨てらんねぇよなぁ!?」
「他の場所?」
 頭だけで振り返り、『黒』は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「あり得ないな。あんたがさっき、自分で言っただろう」


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